Yuki Tachibana's Healing Home Page
共通掲示板 過去ログ 2004年07月06日〜



主人が。 投稿者:よし 投稿日:2004/07/13(Tue) 13:30 No.2027
はじめまして。主人(29歳)が昨年始めから(そのころは独身)精神状態をおかしくし、精神科に通い始めました。そして病院で「軽うつ病」と診断されました。原因は仕事で、無気力状態になりその職場は辞めてしまいました。それから自宅療養を続け、今年になって、「そろそろ働きたい」と言い出し、その後結婚し、4月に就職したのですが、最近職場のストレスなのか、背中が痛い、頭痛がすると言って、2週間に1回のペースで会社を休みがちになっています。今日も休んで寝込んでいます。寝ていたら治ると言うのですが、最近頻繁なのでどこか悪いのではないのかと
心配です。それに主人にどう接してやったらいいのかもわからなく
なってきています。主人は朝7時過ぎに出社して毎晩8時以降にいつも帰宅します。帰宅後は夕食をとったらすぐに横になって寝てしまいます。病気のこともあったのでなるべくイライラしないように、うるさく言わないように気をつけているのですが、私自身、遠くから主人のところへ嫁いできたので、知り合いが全くおらず、どうしたらいい方向に行くのだろうかと悩んでしまいます。近くに相談できるような人もいないので困ってます。何かよい方法はないでしょうか?


Re: 主人が。 管理人 - 2004/07/14(Wed) 00:00 No.2030

 はじめまして。
 まずは落ち着いてください。
 今の状況は、どうしたらいいのかわからない、誰に相談したらいいのかわからない、というレベルでしょう。このままでは、本当にどうにもならないです。

 ご主人が医師の治療を受けているのなら、医師と直接相談する必要があります。さらに、うつ病について、読書などである程度の理解することも必要です。
 うつ病患者は、多くの場合、身体症状も出ます。もちろん、体の病気の可能性もありますので、一応は診察を受けておいた方がいいとは思いますが。

 ところで、過去ログは読んでいただけましたか。「うつ病との闘い方」、最後まで読んでいただけましたか。ネット上で、いろいろと調べてみましたか。
 まずは、ご自身でいろいろと調べるべきだと思います。誰かに教えてもらおうとしても、ある程度の基礎知識がなければ、大切なことが伝わらないまま、ということになりがちです。


ちょっと泣きそうになりました。 投稿者:みや 投稿日:2004/07/12(Mon) 23:27 No.2020
はじめまして。
鬱病との闘いについてのページ、大変共感しました。
私の祖母が鬱病と診断されて約10カ月が経とうとしていますが、
症状が回復しているのかどうかさっぱりわからず、家族皆が途方に暮れている最中です。

管理人さんの「うつ病から新しい人生の創造へ」の文章には、はっとさせられました。
確かに看病する私達は、祖母には以前のようになってもらいたいと思っていましたが、それは本人にとっては「無理をした姿」なんですよね。
自分の自己中で甘い考えに反省しています。

最近の祖母は高齢なこともあり、痴呆の症状も酷くなってきました。
家族の悪口も言いますし、おかしな奇声も発します。
あれだけ可愛がってくれた私に「おまえ誰だ?」とも言います。
どの部分が鬱の症状で、どの部分が痴呆なのかよくわかりません。
そんな訳で近頃の私は、悪いことを言われるのを怖がって、祖母を避けていたかもしれません。
・・・またまた反省です。

私は祖母にさんざん世話になりましたが、その恩を返すことを危うく忘れるところでした。
管理人さんの文章を読んで、いろいろなことを考える機会がもてました。
ありがとうございました。


Re: ちょっと泣きそうになりました。 管理人 - 2004/07/13(Tue) 01:36 No.2025

 はじめまして。
 おばあさま、うつ病になってしまったんですね。とてもおつらかったことでしょう。お気持ちお察しします。おばあさまの場合、痴呆症状も出ているとのことですし、ご家族の大変さ、目に浮かぶようです。

 うつ病と痴呆の症状、確かに簡単に分けられないと思います。このへんは、担当医とじっくりと相談してみてください。 うつ病と痴呆では、治療方法が変わってくると思いますので、とても大切なことだと思います。

 それから、たとえ痴呆であったとしても、調子のいいときもあります。みやさんのことを、ちゃんと思い出してくれることもあるかもしれません。そんな瞬間瞬間を大切にしてあげてください。

 私も同様の経験があります。とてもかわいがってくれた人が痴呆になって、わからなくなってしまっていたのに、ある時突然私のことを思い出してくれて、昔の話をいろいろとしてくれたことがあります。そのときは、本当にうれしかったです。





無題 投稿者:オドロ 投稿日:2004/07/09(Fri) 22:52 No.1994
はじめまして。
サイストリーのページ、興味深く拝見させていただきました。
管理人さんは、人間の心の働きについて脳科学的な説明をなされていますが、
人間の心、意識というものは、全て脳の活動によって生じているものだということですよね?
だとすれば、善悪・愛・生命の尊厳・神などといった価値の基準も、
全て脳の活動の帰結でしかないということになるのでしょうか?

もし、世界が全て物質的なものでしかないということを、「心から実感」できるのだとしたら、
言葉を替えれば、世界は全て在るように在って、なるようになるだけだ、と「心から認め」られるのだとしたら、
必然的に全ての「人間的」な悩みは解決…どころか、存在することすら無くなるはずだ、
と思うのですがどうでしょう?(もちろん同時に「人間的」な喜びの多くも存在しなくなるはずですが…)

しかし、世の唯物論的な立場を取る科学者たちというものは、結局、自分自身が唯物論を完全には納得できない、
という不安に陥るものではないでしょうか。
他人のことが理解できない、女性のことが理解できない、凶悪犯罪者が理解できない…etc
そして、突き詰めると、自分自身のことが良く理解できない。
科学万能主義的な立場からすれば、これらのことも科学的に理解できないはずは無いのです。
それなのに、「実感」としてまるで理解できる気がしない、と。
だとすれば、彼らは科学がこのままもっと進歩すれば、いずれ人間の、つまり自分の不安も全て解消するはずだ、
と信じて研究に没頭することによって、不安を忘れようとすることになるのではないでしょうか。
そのうえ、自分自身の不安にとらわれていては、特に脳科学などの分野では、科学で最も重要である、
冷静で客観的な判断というものが、阻害されてしまう、と思うのですがどうでしょう?


Re: 無題 jジュジュ - 2004/07/10(Sat) 01:17 No.1995

わたしも 高校の頃 生物の時間に 
痛みというのは あたった場所から順番にプラスマイナスと電気が伝わっていって 脳に達して痛みを感じる
という講義を聴いたとき 同じようなことを考えました
この世には偶然がなくて 必然しかないのかと
もしそうなら 生きている意味が無い この世界の存在のいみがない と思いました

それとは別に 神は肉体を持つという事はどういうことかを体験したいために 宇宙をつくり 人の中に自分をいれた という説もあります

また 輪廻転生といって 人は何回も生まれ変わっていろいろな経験をして 魂として向上していくのだ という説もあります

自分が体験していないのでどれもなんとも言えませんが
自分が死んだら土に帰るという保障はどこにもありません
だから とにかく じぶんのしたい最善の選択をしながらいきるしかないと この頃では思ってきました

とても 簡単に書いてしまいましたが
どんなに科学が発達して いろんなことがわかってきても
生きるための 意味の後付にしかならないと思ってきています

わたしは 魂がないという保証がない限り
とにかく 自分のこころの満足の行く方向にいきていくしかないのでは ないかと思えてきています

わたしは 常に 死にたいという願望がありますが
そんなことで 行き続けているというのが現状です


Re: 無題 管理人 - 2004/07/10(Sat) 01:57 No.1996

 心を脳から説明するというのは、理解しやすさを中心に考えた方法論的な試みです。科学というのは、要するに、何かを説明するときにもっとも利用しやすい理論体系なんですね。その理論体系を使うことで、実際、多くの人が理解できる形になるわけです。
 このへんを勘違いすると、科学というものの本質が見えなくなり、単なる信仰の1つとしか感じられなくなります。
 そして、科学を勝手に信仰としてしまった人たちが、科学批判をするわけです。

 「世界は全て在るように在って、なるようになるだけだ(要するに機械論的な決定論、ラプラスの悪魔のことですね)」のような考え方をする科学者なんて、もうそんなにいませんよ。

 唯物論的な思考を実感しているのは、柔軟性のない、一部の科学者だけでしょう。科学者がすべてガチガチの唯物論者だと考えるのは、あまりにも単純すぎる判断です。
 それから、他人も自分も理解できないというのは、唯物論どうこうとは別の次元ですね。

 「科学万能主義」とか「科学的に理解できないはずは無い」とかいうのは、鉄腕アトムの時代のことです。
 科学は、要するにインポータンス(重要性・大切さ)とインタレスト(おもしろさ)でしょう。テクノロジーと結びつけて生活に役立つものを作ったり、お互いの理論の正しさを証明しあうゲームをしたり、というものだと思います。

 最近の脳の研究は、とてもおもしろいです。別に科学万能主義や唯物論者が持つ不安がもとで研究しているわけではなく、純粋におもしろいからだと思います。第一、脳の研究なんて地味なことを、おもしろくもないのに続けられないでしょう。

 心脳問題(心と脳の問題)は、科学的に見ても、哲学的に見ても、とてもおもしろい分野です。「全て脳の活動の帰結でしかない」を発端に「唯物論」や「科学万能主義」などと、時代遅れの古くさい話をしていないで、今後脳科学でどんな理論が出てくるのか、楽しみにしていた方が、よほど健康にいいですよ。

 「サイストリー」には、言語哲学的な、関係論と存在論の合一を目的とした説明もありますが、まだ読んでいないのですか。ちゃんと別のタイプの心の説明もあるのですよ。


Re: 無題 オドロ - 2004/07/10(Sat) 23:32 No.1997

>>管理人様
お答えいただき、ありがとうございます。
科学というものが、何かを説明するときにもっとも利用しやすい理論体系であるという意見には賛成です。
そして、科学的な方法論だけによって世界の全て、特に人間の心の問題が完全に解決できるとは思っていません。
今現在の脳科学的なアプローチで、心と脳の問題がどの程度まで解明できるのか私には分かりませんが、たとえ、どれほど脳の働きが解明されたとしても、それでも、自分の心の悩みや不安を解決するためには、「自分自身で自分の心をもっとよく知る」ことしかないと思っています。
それで、サイストリーの方法には大変興味を持ったわけなのです。

えっと、もちろん、現代の科学者の方たちがどのような思想を持っているのかなど、私に分かるはずがありません。
むしろ知りたいです。脳科学者の方たちが人間の心と脳の関係をどのように思いながら研究をおこなっているのかを。
素人考えでは、人間の心の働きの一部が脳科学的に、物質的に解明されるようになっている現在こそ、唯物論的なものの見方が見直されてそうなものだと思いますけど、どうなんでしょうか?

脳の研究は地味、でしょうか?むしろ、現代の花形的研究のようにも思いますけど。
それはともかく、もちろん脳の研究は大変面白いものだろうと思います。
しかし、面白いというだけなら脳の研究でなくてもいいわけです。
何故今、脳の研究なのか。脳の研究が何を期待され注目されているのか。
科学的に(唯物論的に?)人間の心が解明されることが期待されているわけではないのでしょうか?


Re: 無題 オドロ - 2004/07/10(Sat) 23:33 No.1998

そして、これも素人考えですが、人間の心というものは、とにもかくにもこの物質的世界の中だけで説明のつくことであるのか、さもなければ、この物質的世界の「外」に何らかの人間の心の根拠が実在しているということになるのか。そのどちらかしかないと思うのですが。(それともこの考え方自体がどこかおかしいでしょうか)
だとするなら、人間の心、つまり、この私の心とは、この脳とこの体とこの物質的世界全てとの、たゆまざる相互作用によって発生し続ける一つの現象である、と考えたほうが、世界の「外」のようなものをあえて考えるよりも、より納得しやすいように思うのですが、どうでしょう。

しかし、この世界が決定論的であるとは、私もあまり思いたくありませんね。
何といっても、決定論的であるとしたら、この世界から面白みというものが無くなってしまいますから。
そこで、私が思う「在るように在って、なるようになる」というのは、例えばサイコロのようなイメージなのです。
サイコロというのは、どこから見てもサイコロであり、振れば1から6の目が等しい確率で出るということが、誰にでも分かりますよね。そして、7や8の目が出るということは決して無いということも。
それでも、実際に振ってみるまではどの目が出るのか誰にも分からないわけです。
在るように在って(見た目どうりのサイコロが在って)、なるようになる(1から6の目が等しい確率で出る、ただし、振ってみるまではどの目が出るかは分からない)、という感じです。
唯物論と、非決定論とが両立し得るのかどうかは、悩みのタネなのですけどね…。


Re: 無題 管理人 - 2004/07/11(Sun) 23:42 No.2008

 要するに、科学=唯物論=決定論というあまりに単純すぎる図式ができてしまっているんですね。これでは、脳から心は説明できないなどという科学批判も出てくるわけです。
 科学=唯物論=決定論というのは、近代までの科学の世界、つまり「ニュートン・デカルト的パラダイム」です。現代科学では、近似値としての価値しかない、古すぎるパラダイム(理論的枠組み)にすぎません。
 現代科学では、意識と物質(心と脳)という単純な二元論的思考自体が意味をなさなくなっている、と考えた方がいいでしょう。

 たとえば、生命という現象自体、物質と切り離しては考えられません。これは意識(心)でも同じことです。さまざまな薬物や化学物質によって意識の状態が変わることは、誰も否定しないでしょう。また、脳の特定の部分が損傷を受けた場合、どのような状態になるのか、たいていは予想がつきます。

 しかし、脳の組織を「ニュートン・デカルト的パラダイム」の要素還元主義的な方法論で研究しても、意識や心は理解できません。物質としての脳の研究はだいぶ進んできたのですが、意識という機能を生み出すその仕組みは、まだまだこれからの分野です。
 それでも、情報工学的な人工知能の研究などから、いくつもの新しい理論が生まれてきています。

 たとえば、「ニューラル・ネットワーク」というものがあります。これは、物質としての脳ではなく、ニューロン(脳細胞)のネットワークそのものの研究です。ニューラル・ネットワークのモデルをシミュレートすることで、研究が進んでいます。
 このような研究は、今までの物質や唯物論といった概念ではとらえることができません。
 その他、脳の継時的変化の過程を、生物現象の非可逆性としてとらえ、自己組織化理論などの非線形非平衡系統計物理学の手法を使って解析していく、というものもあります。 これらの理論は、近代的な決定論を排除しています。

 上記以外にも、コンピュータの発展によって、それまで不可能だった生命現象の解明が進んできています。その代表は、A Life(人工生命)です。
 コンピュータ上で、DNAと同様の機能を持つプログラムをつくり、生命体としてシミュレーションします。すると、実際の生命現象が、実は非常に単純な論理を、複雑に組み合わせた結果だった、などということがわかります。


Re: 無題 管理人 - 2004/07/11(Sun) 23:43 No.2009

 現実世界の生命体は、非常に複雑で、現象面から研究しただけでは、どうにもわからないことばかりでした。その複雑さを高性能のコンピュータでシミュレートできるようになったことで、いろいろなことがわかるようになってきたわけですね。

 物質そのものについても、相対論から量子力学、カオス理論やフラクタル理論、さらには、超ひも理論を含む量子重力理論などと研究が進んできて、どんどんそのイメージが変わってきています。
 たとえば、空間と物質は、従来切り離して考えられてきましたが、それを同一のものとしてとらえる理論が発展してきています。
 決定論についても、2つの立場から否定しています。
 1つは、不確定性原理としての量子的ゆらぎの世界、つまり平衡系の非決定論です。もう1つは、カオス理論がその代表となる非平衡系の非決定論です。

 物質と意識という観点に近い現象では、観測問題というものがあります。観測しなければ、確率的にしか存在できない物質が、観測したとたんに存在が確定される、という現象です。ずっと議論されている問題ですが、なかなか奥が深いものがあります。
 実験するとすぐに確かめられるのですが、その理由は簡単には説明できません。これが現実の世界なんだ、ととらえるべき問題なのかもしれません。
 
 要するに、現代科学は、単純な唯物論や決定論から完全に抜け出してしまっているということです。物質世界そのもののとらえ方が、近代科学とは、根本的に異なっているんです。

 このような新しい研究や議論によって、物質と生命、意識(心)という現象が、同一の土俵上で説明できる日が来るかもしれません。実際、最先端の科学は、それを目標の一つとしています。

 ここであげた理論は、どれも難解なものばかりです。しかし、その難解な理論を全く理解せずに、単純に唯物論とか決定論などと言ってみても、無意味なだけだと思います。


Re: 無題 オドロ - 2004/07/12(Mon) 21:53 No.2019

えーっと、科学=唯物論=決定論だなんて、そんなことは全く思っておりませんよ。
下手な文章で分かりにくかったことは、すみませんが。
ただ、実験で証明でき、再現性のある「客観的」な現象を扱う方法論である科学だけで、あくまでも「主観的」で再現性の無い心というものをどこまで扱えるのか、疑問に思うだけです。
私は心配性なので、脳科学の先行きについては、あまり楽観的な見方はできないのです。



Re: 無題 管理人 - 2004/07/13(Tue) 01:04 No.2024

  「実験で証明でき、再現性のある「客観的」な現象を扱う方法論である科学」というのは、近代科学のことですね。

 科学理論の検証というのは、すべて実験で行うわけではありません。最先端の科学では、当然のことながら、実験不可能な理論がたくさん出てきます。そこで重視されるのは、理論的(数学的)整合性です。主な検証は、コンピュータ上のシミュレーションです。

 アインシュタインは、科学の研究者にとってもっとも大切なのはコンセプトだ、と言いました。利根川進氏も同じことを言っています。要するに、科学理論は、主観から生まれるものだ、ということです。

 「あくまでも「主観的」で再現性の無い心」というのは、要するに、心=主観=非客観ということですよね。すると、脳=客観=非主観と言うことでしょうか。要するに、どうしても二元論の立場を取りたいということですね。
 現代の脳科学は、当然のことながら一元論が基本になっています(単純ではありませんが)。

 脳科学の先行きにつきましては、現代脳科学をじっくりと勉強して、ある程度理解してから考えるべきだと思います。また、理解していくうちには、きっとその可能性の大きさが実感できるはずです。


無題 投稿者:f 投稿日:2004/07/12(Mon) 11:01 No.2016
薬が効いて来ている事は確かなのでしょう。
けど、少しずつ滅入っても来ています。
今日はクリニックが休診日なのですが、電話をして
薬を増量しても良いか聞いてみました。
1錠だけ増やしてみて近日中に受診して下さいとの事でした。
自営の仕事が手に着かないので受診するためのお金も無くなってきました。
5月に心筋梗塞で入院してしまったし、出費がかさみ
更に収入も無かったので最悪の状態です。
僕の場合作品を作れば、その日の内に買取ってくれるので
仕事さえすれば良いのですが、今はそれができません。
薬を増量して、直に効果は出るのでしょうか?

ここのサイトや、他の掲示板などを見ても
皆さん何年も治療を続けていらっしゃいますが
やはり、何年もかかってしまうものなのですね。
必ず治ると言われても、それまで経済的にも
精神的にも保つものなのか不安がつのります。
経済的な問題を掲示板で書いても
答えようがありませんね。

薬の効果で不安感が軽減されても、やる気を起こすまでに至りません。
不安が無くなり、更にやる気を起こすまでを
薬に頼る事が出来るものなのでしょうか。


Re: 無題 f - 2004/07/12(Mon) 11:33 No.2018

受診をして5週目くらいです。
4年前に、仕事用の材料の仕入れで粗悪な物を取ってしまい。
その後のやりくりが上手く行かず自己破産同様になりました。
そのあとは、仕事意欲も無くなり全く製作が出来ない状態になったり
簡単な仕事すら出来なくなり嫌気が差し・・・・
サボリ癖がついたと思っていました。
その他にも、いろんな事がありました。
それを並べても仕方ありませんね。
問題を抱えている人は、健康な人でも病気の人でも
限りなくいますから。

その後も段々ひどくなりましたが、どうしても医者へ行く事が出来なく
心筋梗塞で入院した事を期に心療内科へ受診したのです。
その心筋梗塞も、ストレスのために15年間やめていたタバコを
一気に吸い始めたのが原因でした。

きっと、4年前から鬱の傾向があったのかもしれません。
長い間をかけて溜め込んで来た鬱というのは、
やはり、完治するまでには時間が掛かるものなのでしょうか。
この数年で、自分の不誠実が原因で何人もの友人を無くしてきました。
自分からも、合う事や話す事も嫌になり離れていきました。
とうとう、誰も居なくなりました。
あれほど、友達も多く話し好きだったのに・・・

今は、かかりつけの医者と薬だけが頼りです。
でも、ゆっくり話をする診療方針の所ではないのですが・・・

せっかく薬で不安が軽減されても、また現実に押しつぶされそうです。
自分が、これからどうなって行くのか


Re: 無題 管理人 - 2004/07/12(Mon) 23:59 No.2023

 うつ病の症状は、医師の治療を受けることでいいと思います。そして、生活に関しては、福祉事務所とか、役所の福祉関係の窓口などを利用した方がいいと思います。公的な援助、どんどん利用すべきでしょう。
 医療費に関しては、公費負担制度もあります。これは担当医と相談してください。


疑問 投稿者:しろねこ 投稿日:2004/07/11(Sun) 00:26 No.1999
こんにちは。
ちょっと、気になっていることなのですが・・・
心理学やカウンセリングなどのサイトを覗いていると「あるがままの自分を愛してあげよう」というのが目につきます。
また、人と接するときにも、受容的態度で「あるがままの相手を受け止めよう」というような。
良いところも悪いところもそのままに受け止めて、認めてあげる。どんなところも自分として愛してあげる・・・
そのようなことを言わんとされているのだろうと思うのですが、だから、どうすればいいの?という疑問が残ります。
「あるがまま」「そのままの〜」って、どういうことですか?


Re: 疑問 f - 2004/07/11(Sun) 17:39 No.2003

こんにちは
自分自身が治療中だし、自分の病気の程度すら疑問だらけの
僕がこの問いにレスするのはとても変なのですが
似たような事を考えていたものですから・・・

あるがまま、そのままというのは短く分かり易い言葉で表したのでしょう。
鬱の時には自分が分からなくなるのでしょうか。
僕も以前は明るく快活な性格と思われ自分でもそう思っていました
しかし今の現状は何事にも自信が無く、悲観的で
それでも、人前では明るく振舞ってしまう自分に嫌悪し
しだいに自分の本性が分からなくなるのです。

でも、やっと効いて来た薬のおかげで少しずつ
落ち込んでいる自分も疲れ果てている自分も
人に会う事を避けている自分も、だらしない自分も
今の自分にとっては仕方の無い事だと、精いっぱいの自分だと
諦め?もしくは「認めて」います。
現実には、かなり揺れ動いていて認めるとまでは行っていないかも・・・

もし僕が鬱の人に対面したら、同じようにその人が訴えているままに
苦しみは苦しみとして、悲しみは悲しみとして
死にたいという人には、本当にそういう時もあるねと
聞いてあげられるように思います。
人によっては言葉に表せない人もいるでしょう。
言葉では尽くせないほどの難問を抱えた人も沢山います。
僕には、その人の見たまま聞いたまましか分からないし
それを受け止める事くらいしか出来ないと思うのです。     
でも、今は自分の事だけで精いっぱいなんですけどね。
実際、なにも分かっていないかもしれませんし。

自分の事で聞きたい事があるので後で改めて書き込みます。
そのときは、また宜しくお願いします。


Re: 疑問、追伸 f - 2004/07/11(Sun) 17:50 No.2004

しろねこさんの疑問に思われたこと分かります。

あるがままに受け止めるって、言葉では簡単だけど
実行するのって、とても難しい事だと思います。
言葉だけで、気持ちが分かる、大変だねと言われても
言われている本人が、その言葉すら受け取れない事も
あるかもしれない。
前のレスで偉そうな事言ってすみません。


Re: 疑問 Coco - 2004/07/11(Sun) 23:02 No.2006

しろねこさん、こんばんは。またお会いできましたね。
「あるがままの自分を受け入れる=無条件の自己受容」って、私もいまだに疑問です。それができたら苦労はないのに!と、ついつい苛立ってしまいます。心が元気な時は、いい言葉だなあと素直に納得できるのですが・・・。
あるネットカウンセリングで、私も同じ疑問を投げかけました。そして、「自分をもっといたわってあげること」という答えをもらいました。こんな私は嫌いじゃ〜、元の前向きな私はどこ行ったん?と、自分を責めてしまいがちな時、この「いたわる」という言葉を噛みしめるようにしています。
いたわることさえ、今は難しいけれど。私はずっと、自分にも人にも厳しい完璧主義でした。それは苦しいので、これからはせめて、自分を自分に対する「いじめっ子」にするような不毛なことはやめようと思っています。


Re: 疑問 管理人 - 2004/07/12(Mon) 00:44 No.2011

 あるがまま、そのままの自分というのは、要するに、自分自身のなかで、弱いところもある、嫌いなところもある、これを事実としてそのまま受け入れるということです。

 たとえば、人前でひどく緊張する、という場合、それを弱点とか短所だと感じてしまえば、なんとか直そうと努力するでしょう。でも治らないとなると、そんな自分自身が嫌いになります。自分自身が嫌いだと、自信がなくなって、人前を避けるようになって、ますますそんな自分が嫌いになって、という具合に、どんどん悪循環に陥ります。

 そこで考え方を変えるわけです。人前でひどく緊張してしまうのは、弱点でも短所でもない。自分自身の特性なのだと。そして、実際に人前で緊張している状況のとき、またはそのような状況を頭の中で想像しているとき、緊張してもいいじゃないか、何でそれを嫌がるんだ、緊張したままでいいんだ、という具合に受け入れていくわけです。
 このように、今まで弱点とか短所とか、マイナス要因としてとらえている部分をプラス要因としてとらえていくことです。この方法で悪循環から抜け出します。

 さらに、計算が得意などという自分の長所、プラス要因を、そのまま自分自身に認めていってあげます。ここでの注意点は、計算が得意だって、人前で話せなければ意味がない、などというマイナスのとらえ方を排除することです。計算が得意だというのは、それだけですばらしいことですから。

 そして、この自分自身は、この世に1つしかないとても大切な存在なんだ、かけがえのない存在なんだ、と、いたわり愛し、慈しむ、という感じでしょうか。

 この一連の作業を繰り返すことで、あるがままの、そのままの自分自身を受け入れることができるようになってきます。
 また、自分自身を受け入れられるようになることで、他人も同じだと感じられ、受け入れられるようになるわけですね。


Re: 疑問 しろねこ - 2004/07/12(Mon) 11:00 No.2015

fさん、Cocoさん、管理人さん返信ありがとうございます。
日常の中では、私は自分を受け入れている方だと思いますし、自分が結構好きです。欠点も山盛りありますが、それなりじゃないかと思っています。
では、何が問題なのかというと、DNAレベルで欠陥がある、という思い込みが強いのかな、と一連の書き込みで感じました。
私は8才時にリンパ節に腫瘍が出来、一命を取り留めたものの、37才時にまたがんが出来ました。若年でがんが発生するということから、遺伝子に欠陥がある、という観念が根強いです。
サイコオンコロジーの中で遺伝子カウンセリングというのがあって、そういうのも勉強したのですが、魂が痛い、と言う感じです。
がんのサイトなどで、あなたはかけがえの無い存在で、生きているだけで尊いことなんだ、というようなことが書き込まれていると、余計に辛くなってしまいます。
これまで、こんなにがんばってきたんだから、きっとこの先はいいことがあるよ、なんて言われても、わかってくれてないな、とひがんでしまいます。(このへんのひがみ根性が大嫌いなところ)
確かに、これ程の病気をし、それでも生きているというのは奇跡的なことだし、感謝もするけれど、なぜ、ここまでの傷を受け取らなければいけないのか、と感じてしまいます。
なぜ、私のあるがままは、がんなのでしょうか?
顕在意識のレベルでは自分をそのままに受け入れることが出来ているようです。だから、今はまだ再発はしていません。
でも、潜在意識、無意識の層ではまだまだ反乱があります。
魂から自分を受け入れるのは、遺伝子の部分を癒さないと進まないな、と感じています。


Re: 疑問 管理人 - 2004/07/12(Mon) 23:38 No.2022

 とても大変な病気を2回も経験してきたのですね。そして、そのような病気になってしまうご自身(DNA)を受け入れられない、と言うことなのでしょうね。
 確かに、あまりにも大変な経験をしてしまうと、その経験を受け入れるのに、とても長い時間が必要となることがあります。それが2回も起きたのですから。
 ゆっくりと少しずつ、そのようなご自身を受け入れてあげてください。





パソコンから目を守る工夫 投稿者:テール 投稿日:2004/07/11(Sun) 22:28 No.2005
初めて投稿します。テールと申します。
ここのサイトへは、管理人さんの「パソコンで目が疲れた時」
のコラムを読んで知りました。
確かに最近、パソコンの見過ぎで、目が針で刺すように痛むんです。
それで、コラムにも書かれている事を参考にして、
自分でも色々と工夫してみました。
まず、背景の色を真っ黒にして、文字を白または黄色にすると、
目にはとっても負担が少ないことが分かりました。
(僕は黄色のほうが好きですが)
そして、紫外線カット用サングラスを必ず掛けるよう心がける事。
色はなるべく薄い、黄色からオレンジ系統のものが見やすいようですね。
これだけでも、目の痛みはすっかり消えてしまいました。
それから、輝度、コントラスト、色温度のことも書かれておりまし
たね。
輝度については、ディスプレイの明るさのことだと思いますが、
これは、画面の横にツマミが付いておりますので、簡単に調整
することができます。
しかし、コントラストと色温度については、どこから調整すれば
よいのか分かりません。
お手数でも、お教え願いないでしょうか?


Re: パソコンから目を守る工夫 管理人 - 2004/07/12(Mon) 00:57 No.2012

 はじめまして。
 目の痛みが治って良かったですね。
 さて、ディスプレイのコントラストと色温度の設定ですが、残念ですが、教えることはできません。ディスプレイのメーカーは、多数あります。また、その種類も多数あります。
 そのそれぞれのディスプレイによって、設定方法は異なります。同じメーカーであっても、種類ごとに設定方法が異なる場合が多いです。

 つまり、お使いのディスプレイのマニュアルを読んいただくしか、方法はありません。マニュアルが手元になければ、メーカーのホームページ等で調べることもできると思います。
 あとは、そのディスプレイに実際にさわることができる身近な人のなかで、パソコンに詳しい人に頼むという手もあります。


その後 投稿者:ちょめ 投稿日:2004/07/08(Thu) 16:47 No.1991
管理人様、以前はアドバイスありがとうございました。

やはり家族には、仕事の精神的辛さを話すことができませんでした。
家族は私の想像以上に、社会復帰できたと喜んでいます。
初めて仕事に行った夜は豪華な外食につれていってくれました。
親戚や近所の人たちにも話しています。
「これは神様が与えてくれた仕事だ。しっかり働きなさい。」といっています。それほど嬉しい様子です。
そんな親たちを目の前にしてとても「仕事がつらい」とは言えません。

リストカットも相変わらず続いています。
カウンセラーには「あなたの苦しさには付き合ってあげられるが、リストカットには付き合えない」といわれ、なんだか突き放された気分になりました。
私は優しさを求めているような気がします。
人に大切にされたい・・必要とされたい・・という思いが強いです。
リストカットをすれば病院に行ける。何度リストカットしてもイヤな顔ひとつせず治療してくれる外科の先生や、話を聞いてくれる精神科の先生の優しさに触れたいです。
そのためにリストカットしているような気がして、これはとても危険な考えだと自分でも思います。
病院以外心が開放される場所がありません。
カウンセリングももう4年も続いており、焦りもあります。
もし管理人様がカウンセラーでありましたら、こんな私になんといってくださいますか?


Re: その後 管理人 - 2004/07/09(Fri) 01:03 No.1993

 優しさを求める方法や考え方に問題があるということでしょう。
 大切にされたい、優しくしてほしい、というのは、誰でもある程度は思っているものです。でも、多くの人は、大切にされたい、優しくしてほしい、という気持ちをかなえる方法を知っています。
 それは、自分が望む優しさをほかの人に与え続けることで、自分にも返ってくる、ということでしょう。情けは人のためならず、ということですね。

 自分が優しくしてあげても、まったく返ってこないこともあります。逆にひどい仕打ちをされることもあります。
 それでも、優しさを与え続けることで、自分自身の心も豊かになってきますし、優しくされることもあるわけです。

 一方的に優しさを求め続けると、青い鳥を探し続けることになって、つらいだけ、ということになってしまうでしょう。
 結局は、青い鳥は、自分の心のなかにしかいない、ということですね。


無題 投稿者:I 投稿日:2004/07/08(Thu) 13:47 No.1990
以前No.1821で、悩みを聞いていただいたIです。
その節は、みなさんからレスをいただいて勇気付けられました。
ありがとうございます。

あの書き込みからしばらくして、思い切って受診しました。
心療内科と精神科を併設しているクリニックで、先生は同じ方です。

いずれにしても、先生は落ち着いた女性の方で私が心配していたような「こんなことくらいで。。。」と言われることもなく、時間をかけて話を聞いてくださりました。
初診ではなかなかこれまでのことまでは言い出せず、とりあえず現時点での落ち込みや体の症状を相談しました。
病気なのかどうかとか、診断名については何も言われませんでしたが、「しばらくお薬を飲んでみませんか?」と薦められ抗うつ剤を処方されました。
2週間くらい飲んで、ひとまず慢性的な下痢の症状は治まりました。
やはり心因性のものだったのかと、自分でもびっくりしています。
2度目の診察で以前から悩んでいたことや、過去の自殺未遂のことなど話しました。
それも、馬鹿にする様子もなく穏やかに聞いてくださったので、だいぶすくわれた気がします。
そのときも、特に診断を言われずに「薬の効果があるようですから、もうしばらく飲み続けてみませんか?」ということでまた同じ量を処方してもらって服薬を続けています。
目が覚めるように何かが良くなったわけでもないですし、相変わらず自殺願望はぬぐえませんが、それでも下痢などの体の症状がなくなっただけでも少しよい方向に向いているのじゃないかと思うことができるようになってきました。

先生は、特に診断を出されたりしませんが、薬が処方されたということはやはり何か病気なのでしょうか。
少し気になりますが、先生のことは信頼できそうですし、場合によっては診断名をあえて告げないこともあると聞いたこともあるので、今は指示通り服薬と通院を続けていこうと思います。
これから、自分とうまく付き合えるようになるまで、どのくらい時間がかかるかわかりませんが、いつかこんな自分も素直に受け入れられるようになれるといいなと思います。

とにかく、ここで、皆さんに話を聞いていただいたおかげで勇気を出して受診することができました。
本当にありがとうございました。


Re: 無題 管理人 - 2004/07/09(Fri) 00:46 No.1992

 良かったですね。診察を受ける決心ができて、さらにはいい先生とめぐり会えて。
 心の病気は、診断がとても難しくなっています。病名も同じような症状で、いろいろとありますし。そんなことから、しばらく治療を続けてから病名を伝える医師もいますし、ずっと伝えない医師もいます。特に気にしなくてもいいでしょう。

 病気かどうかというのは、グレーゾーンもあるので、ハッキリと分けられないものです。でも、薬を処方されて、それで症状が改善したのですから、病気だと考えていいと思います。
 あとは、医師の指示を守って、ゆっくりのんびり治療を続けてくださいね。


板をかえます 投稿者:jジュジュ 投稿日:2004/07/03(Sat) 09:36 No.1954
スプーさん レスありがとうございました
自傷行為の一番怖いのは 
周りの人に対して加害者となってしまうことです

自死の怖いのも周りの人の人生に 重い鎖をつけてしまうからです

生きていても死んでも 
魂はというか 
わたしという質量というか
わたしという波動というか
人によって考え方も違うし わたしも正直知りませんが
わたしという何かが残るとしたら
どんな無様な姿をさらしても
わたしというものはあるのだから
生きる意味は分らないし 生きる気力もなくなるときがあるけれど
死ぬ時期を自分で決めても意味がない

どんなに苦しくてもこころもからだもボロボロになっても
死ぬ時を決めるのはわたしであってはならない・・・


Re: 板をかえます スプー - 2004/07/03(Sat) 10:25 No.1956

そうですね。自殺・自傷行為は、自分のを傷つけるのと同時に、サポートしてくれている人も傷つけますよね。
解っていても、なかなか止めるのは難しいと思いますが、それでもできる限り耐えてみましょう。耐える色々な方法があると思います。ご自分にあった方法を見つけてみましょう。

そして、事故、病気、老衰と、いつどのお迎えがくるか解りませんが、その日を待ってみませんか?
きっと自殺するよりは充実した死を迎える事ができると思いますよ。


Re: 板をかえます jジュジュ - 2004/07/07(Wed) 21:58 No.1988

スプーさん 御礼が遅くなってすみません

どんなに辛くても意識がある限り 
どろどろになっても いきていようと思います

「何で生きているんかな?」と考えてしまう自分を
しゃーないヤツだ とそのままうけいれることにします

人は一人では生きれないのに
他人の言動が自分の琴線に響いて こころが苦しくなります
それが まさに 生きるという事なのでしょうね

人それぞれ いろんな物語を作りながら終着駅に行くのですね


今後の対応について 投稿者:シルバー 投稿日:2004/07/06(Tue) 12:44 No.1976
こんにちは、管理人様
復職して早、1年と数ヶ月過ぎましたがうつが一向によくなりません。朝目覚めはいいのですが会社につくと眠気とだるさがでてきて仕事になかなか手につきません。
どうしたら改善されるでしょうか?
教えてください。
ちなみに坑うつ薬はアモキサン、デパスを服用しています。
主治医はこのままで行きましょうと言って薬の量を増やしてもらいません。


Re: 今後の対応について 管理人 - 2004/07/07(Wed) 01:03 No.1982

 眠気とだるさは、薬の副作用なのかもしれませんね。そろそろ、治療が進んで(良くなってきて)、薬が効きすぎるようになった、ということかもしれません。
 でも、基本的に薬に関しては、医師の指示どおりに飲み続けることが大切だと思います。たとえある程度の副作用があったとしても、必要なこともありますので。
 ただし、あまりにも眠さやだるさが強い、ということでしたら、担当医とよく相談してみてください。


Re: 今後の対応について 阿井上男 - 2004/07/07(Wed) 08:19 No.1986

 直接は関係ないのですが、私の体験談を話します。

 私は今年の4月に今の病院に移ったのですが、それ以前は、約1年間にわたって、某心療内科に通っていました。

 私は、どうやら薬を過信する傾向があるようで、「調子が悪いのは薬が足りないからだ。」という考え方で通院しているうちに、医師もそれに呼応し、薬の量が増加していきました。それで回復すればよかったのですが、逆に一日中頭がぼーっとして如何ともし難くなってきました。時には陰性症状の薬(セロクエル)を処方され、体に合わなくて思考能力を奪われたこともあります。そんなこんなで、ああでもないこうでもないと、試行錯誤していました。

 当時の主治医は、それを病状悪化と捉えたようで、「純粋な鬱なら、とっくに回復しているはずだ。」とも言っていました。そのような経過をたどり、双方ともに転院した方がいいという認識で一致したため、今回の転院につながったのです。当時はもうお手上げ状態でした。

 で、現主治医のもとで服薬の調整を行なったところ、頭がぼーっとするのは、どうやらドグマチール(ミラドール)の過剰投与が一因だったらしいです。この症状に限っては、今では改善されています。

 ちなみに、アモキサンでも若干ぼーっとしたり眠かったりするのですが(薬としては穏やかな方だと思うんだけどなぁ。)、鬱で体がだるくて動かないことを考えると、仕方がないのかなぁ、と思っています。

 で、何が言いたいのかというと、「薬は増やせばいいというものではない。」ということですね。

 そんなようなことで、すんません (笑) 。





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