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共通掲示板 過去ログ 2005年02月10日〜



信頼感について /

はじめまして。
下のazuさんの書き込み、管理人さん、スプーさん、まりいさんの回答を拝見して、
私は大変勉強になりました。というのも、私は、自分の母親が、
「境界性人格障害」に違いない、と思っているからです。
私自身にも少し、その傾向があったかもしれません。

まりいさんの回答の最後にあるように、母は基本的な信頼感が欠如しており、
私の言葉は、すべて彼女のゆがんだ解釈により反発的、あるいは、
彼女にとって都合のいいように、受け取られます。
私の幼少期、父は完全にネグレクトで、私は母一人の手で育てられました。
母の気ままな解釈に付き合うため、私は自分を信じないで疑う性格になりました。
自分の気持ちは正しくなく、母の解釈が本当だと思いこんだわけです。

私には先天的な病気(身体的)があり、これは手術により完治しましたが、
以降、それを理由に精神的虐待が度重なり、カルト的宗教の洗脳も受けました。
11歳ごろ半年ほど重いうつ病か神経症の状態で不登校になりました。また、
自我の希薄さから、高校生のときに進んで性暴力も受けてしまったようで、
その後も強迫的に、恋愛と性行為と、専門分野の猛勉強をしました。
現在の私は芸術方面に進んでいます。この職種では「疑う性格」にも、
活路を見出すところがあるだろうと考え、希望を持つようにしています。

管理人さんの「サイストリー」は、私が以前から実行していた分析方法の、
さらにその後を予告してくださるような内容で、興味深く3度以上繰り返して、
読ませていただきました。私も、ノートに書く方法での自己分析により、
目のさめるような魂の再生を何度か体験し、とても感動しました。
大勢の方が「サイストリー」を知って、自由な心を取り戻せると、
本当にいいですね。

私の葛藤は徐々に解けつつあるので、私はこれからどんどんよくなっていくと、
未来に大きな期待感を持っています。けれども、現実生活を考えますと、
金銭面が不安です。私は部屋に閉じこもって芸術をやっているだけではなく、
人間関係をもう少し、自分から広げる勇気を持たなくてはなりません。
自分を活かすための人間関係に身をおくことが、切実に必要です。
そこで、私が人を信頼するためにどうしたらいいのか、悩んでいます。
仕事には、広く浅い人間関係よりも、深く狭い人間関係が必要だと思います。
私には、まだ母の影響が強く、人を信頼することを難しく考えてしまって、
なかなか、深い信頼関係を築くことができません。

本当は、無理に相手の感情を察知しなくても、私は他を肯定していますし、
私も相手も無理やりに肯定感情を搾取しなくても、肯定されているはずです。
人は皆お互いにとって「幸福の使者」であり、それ以外ではありえないはずです。
しかし、それを、ふと、人は忘れることがあって、
何か、相手が不幸の使者に見えたり、また、
相手が自分を不幸の使者ととらえているようにみえることがあると思います。
前者が恐れで、後者が疑いだと(私なりの定義では)思っています。

一年半ほどの分析により、私の心の中の「恐れ」は、かなり減りました。
ただ「疑い」のほうは、なかなか減りません。
私は、懸命に他を察知することをやめ、信じて単純に行動してみたいのです。
そのために、分析以外では、私はどんなことを考えていくとよいでしょうか。
たとえば、基本的信頼感情の強い友達や先輩と過ごす時間を増やすとか、
よいパートナー(伴侶など)を得る努力をするのがいいでしょうか。
しかし、近い距離の付き合いほど、強い疑いの気持ちが湧いてしまいます。
同じ人と長いときを共に過ごすと、その相手のことをすべて知っていなければ、
自分は何か失格と判断されてしまうような気がしてしまいます。

母が大変しつこい人なので(見捨てられ不安なのでしょう)、私は、
自分がそんなふうになるのではないかという怖さから(だと思うのですが)、
人付き合いが、非常にサッパリとしています。無駄話はしないタイプで、
電話も用件だけで切ってしまいます。自分の気持ちをあまり表しません。
その理由は、自分の気持ちが相手の気持ちと異なるだろうと思うからで、
また、異なる気持ちを表すと関係が悪くなると推測するからです。
たぶん、私が相手に母を投影しないように気をつければいいのでしょうが、
そのための実際的な方法が、わかりません。

相手の欲求を満たすために、無理に相手の求める仮の自分を演じたり、
わざと髪振り乱して尽くしたくなることも実はありますが(共依存的?)、
できるだけ、そういうことはやめようと、最近は思いはじめましたので、
ますます、人間関係がサッパリとしすぎてきました。
内心、これでは今後とても困るんじゃないか、と心細いのです。

No.984 2005/02/16(Wed) 00:09

 
Re: 信頼感について / スプー

御両親の問題は大きかったのでしょう。
ご両親が人格障害とまで言えるかどうかは判りませんが、親の性格の偏りで心に大きな傷や幼児期に満足感を得られなかった場合、子供が成長して思春期に入るとき、どうしても色々な問題を抱えやすくなります。

最たる例が境界性人格障害などとして現れたりするのですが、幸い響さんは心の傷は抱えているようですが、大きな症状としては収まっているようですし、ご自身を客観視できているようですから、おそらく回復されるのではないでしょうか。


現在、鬱状態などでなければ、近い将来、もっと遠い将来の事を考え、なにをするのが良いのかを判断するのはとても良い事だと思います。お書きになられているように、芸術に興味がありそれだけで食べるのが難しいのであれば、別の収入源も考えなければならないでしょうし、別の収入源とやりたい芸術との時間バランスをどうするかも考えなければならないでしょう。
ただ、すぐに外に出て働くよりは、バイト程度の事で慣らしてからの方が良いかもしれませんね。

人をなかなか信用できない、相手の考えを深読みしすぎる、自分を必要以上に演じてしまうというのは、赤ちゃんの時からのご両親から自分を守る手段(捨てられない、嫌われない、暴力を振るわれない)で、深く根付いてしまっているのでしょう。

ですから、簡単には変えるのは無理かもしれませんが、「自分はそういう性格なんだ。だから相手を信用し切れなくても仕方が無いんだ。でも信用してみよう」と、徐々にで良いですから、考えを変えてみるのが良いのではないでしょうか?
もちろん、時には裏切られることはあるでしょうが、そのときは「だから人は信用ではない」ではなく、「今回は嫌だったけど、ほとんどはうまくやっていける。100%思い通りには行かないもんね」と思えればすごい事じゃないでしょうか?

>しかし、近い距離の付き合いほど、強い疑いの気持ちが湧いてしまいます。
>同じ人と長いときを共に過ごすと、その相手のことをすべて知っていなければ、
>自分は何か失格と判断されてしまうような気がしてしまいます。


自分と他人は違う人格なのですから、お互いに知らなくて当然なのです。思い通りに行かなくて当然なのです。考えが違ったり、できることが違って当然なのです。

おそらく、この事は響さんは理解されていると思います。その制御ができないだけで。「自分」というものを探してみましょう。
「自分」ができれば他人もできるし、自分の失敗や他人の失敗、考えの違いも当然の事として納得できるようになると思いますよ。


>自分の気持ちをあまり表しません。
>その理由は、自分の気持ちが相手の気持ちと異なるだろうと思うからで、
>また、異なる気持ちを表すと関係が悪くなると推測するからです。


上で書きました通り、別人格なのですから違って当たり前なのです。気にせずに居たほうが良いですよ。ちょっとやそっとでは、関係は悪くなりませんよ。ただ、精神的に状態がよくなく、負担が大きいようであれば、そのときは早めに切り上げるのが良いでしょうね。


人間関係を希薄にする事で対処すると、ご心配のように今後の友人関係も希薄になる可能性があります。やはり「自分」の確立がもっとも良い解決方法ではないでしょうか?響さんは誰の為に生きるのではなく自分の為に生き、自分がやりたい事をして、その行為には自分で責任を取る。それと同時に、他人のそれも認める。考えを変えるのはいきなりは無理としても、その努力から・・・だと思いますよ

No.986 2005/02/16(Wed) 13:29

 
Re: 信頼感について /

スプーさん、大変ご丁寧で具体的なご返答を誠にありがとうございます。
しかも迅速な対応で、なんとお礼を申し上げたらいいのか分かりません。
本当におっしゃるとおりですね。「自分」というのは、過去の自分と、
そして目標となる未来の自分があってこそ成り立つものなのですから、
将来を現実として予測し、時間やお金の使い方を具体的に考えることが、
自分をつくることの土台にもなるのだと思い、非常に納得しました。
励まされる思いです。考えを少しずつ変えるよう、がんばってみます。

実は、私がこのように自己分析を始めたキッカケも、将来のためでした。
私は非常に運がよいのでしょうが、学歴と職歴は十分あり、
本当にその気になって行動力がともなえば、自分のやりたいことか、
それに準じることで、ちゃんと食べていけるはずだと思います。
しかし学歴や職歴があるにもかかわらず、自己決定ができなかったので、
それで、自分探しのため、ある節目に過去を振り返ることにしたのです。
私には職業柄(自営業的で、自分から進んで売り込むことになりますので)、
普通の人以上に、高い自己決定能力を持つことが必要だと思います。

専門は音楽ですが、私は小さい頃、母の指導により音楽をしており、
被虐待体験と私の音楽歴は重なる部分が、かなり多いです。
最初は、音楽家としての自分の歴史を探っていたのですが、
その結果、出てきたのは、意外にも、膨大な量の被虐待体験でした。
もとはといえば、経済的な自立のために努力したことが、発端です。
親孝行を目指したのが、結果として親不孝のようになりました。

どこかで読んだ話で「儲」という字は「人を信じる者」と書くように、
お金を儲けるのは、人を信じる者にだけ許される行為だそうです。
過去を振り返ったら、私は、親の心根を信じられなくなりました。
そして、誰を信じたらよいのか、ほとんど分からなくなりました。
いつか、親子関係に最良の答えを見出した時、自分がクリアになって、
本当にその気になって、私は「お金儲け」の計画に没頭できると思います。
今も本当は一応の計画ならあるのですが、気が散って集中できずにいます。

高校生の頃の性暴力の件は、ほんの数日前に「思い出した」ことです。
それまで、甘く幸せな恋の思い出の一つとして理解していたことでした。
それが実は酷い心の傷になっていたのが分かって、まる一日泣きましたが、
それでも口の中に一定の味覚としてのフラッシュバックが起こっています。
このことについては、まだ、ノートに書く気力もありません。

加えて、母からは「元気か」という問い合わせが何度もきます。
ひどい日は一日に6通もメールがきます。「元気か」と問われると、
「お前は社会に出ないでよいから、病気になって私のそばにいなさい」
という意味に、私は受け取ってしまいます。これは私の受け取り方のほうが、
何か歪んでいると思われるかもしれませんが、色々な過去の事情から、
筋のとおった理由があり、私の感じることは経験として本当のことです。
社会とのコミュニケーションを妨害されているようで怒りがこみあげます。

そして、怒りとは矛盾しますが、罪悪感、自責感も同時にこみあげます。
私が五体満足に生まれてこなかったから申し訳ないことをしたのだ、とか、
母の話を私が今まで優しくききすぎたことで母の性格は助長されたので、
これもすべて、私の(母に対する)接し方が間違っていたせいだ、とか、
頼られた私が、母を治療者のもとへ連れていくべきなのに、とか、
そもそも私が生まれてこなければ、母は何も心配なく暮らせたのに、とか、
思ってしまうのです。また、このような自分の不満や否定感情を、
相手にアサーティブに伝えられないのは、自分が未熟なせいではないか、
とも、思うことがあります。こうして、いくつもの考えが堂々巡りになると、
つい私は日常生活で(一人暮らし)、普段の自分の扱いをおろそかにして、
悲惨だった子供の頃と同じような生活に、自分で戻してしまうのです。
そして、当然ですが、すっかり元気がなくなってしまいます。

この思考の堂々巡りは、親からの連絡を受ける度、いつも起こるものです。
この堂々巡りを断ち切ると、きっと、私はもっと継続的に、
遠い将来や近い将来、そしてお金や時間について考えられるはずなのですが。
もし、さらにアドバイスをいただけるようでしたら、ぜひお願いいたします。

No.989 2005/02/17(Thu) 09:28

 
Re: 信頼感について / スプー

隠れた心の傷を負っている場合、過去の整理をしていると傷が発見できる場合があります。発見できたのはプラスの方向と考えて、傷を癒す事に使えれば、決して悪い事ではないんですよね。
一時的に落ちこむ、怒りが出てくるのは仕方が無いので、それはそれで受け止めましょう。
このあたりの話は私は詳しくないので、管理人様にお任せいたします。


お母さんが境界性人格障害(またはそれに近い人格)とした場合、引きとめようとあらゆる手段を取ってくるでしょう。
メール、電話、逢いに来る。もっと巧妙な手段を使う・・・等。
その振り回しに乗ることで響さんの回復が遅くなるようであれば、断ってもかまわないと思いますよ。もちろん、お母さんが怒ってしまい、さらに振り回そうとしないような断り方の方が良いのですが。

生まれてきた事、過去のこと、できない事が頭を回り始めたら、それを解消できる手段を見つけましょう。音楽が好きならそれを思いっきり演奏したり、聴いたり。散歩ができる状態なら散歩したり。何でもいいんです。
うまく不安・不満等が解消できれば、かなりの確率で回復できると思いますよ。その能力は十分あると思います。
そして、どうしても落ち込んでしまうようなら、神経科に頼ってはいかがでしょうか? おそらく響きさんの場合はカウンセリングに頼らなくても自己解決できると思います。ただ、異常に落ち込む場合などは、薬の力で思考できる状態まで回復させる必要はあると思います。

No.991 2005/02/17(Thu) 14:17

 
え〜とですね / 西丸まりい

私もそうですよ。

母親は見捨てられ不安が強く、自己像を常に私に投影し
おそらく人格障害とまではいかないけれど、
私に向けられたことは人格障害の水準でした
それに気づいたのは、体を壊して精神科に転向して
「人格障害」の勉強をするようになってからです。

そんな親から自由になる方法はいろいろありますが
私の場合は経済的に自立して
自分が親に頼らずにすむようになり
自分が親の「親的存在」になることでした
すべてしたことを
「彼女も子供だったのだ」と思うようにしました
今の所はこれでうまくいっています

また、自分の親御さんの状態をうまく
自分で感情を込めず、描写を続けて
それが本当に自分に何が起こっているのか、何が起こっていたのか
考えてみるのも手です
過去のことを振り返るのも大事ですが
振り回されてはいけません

本当に今も境界性人格障害だと思ったら
境界性人格障害=BPD 星和書店 2800円
よんでみてください。
アメリカでの事例ですが、具体的な対処法が書いてあります。
家族(とにかく相手をしなくてはいけない者)向けの本です。

それでは…

No.993 2005/02/17(Thu) 21:54

 
Re: 信頼感について / 管理人

 はじめまして。
 お母様との関係のなかで、無意識的な苦しみがたくさんあったように思います。お母様は、確かに、境界性人格障害の要素がそろっているようですね。
 このような生育歴のなかで、信頼感という言葉に、何か強い意味が感じられたのでしょう。
 確かに、信頼関係とその根底にある安心感の基礎となるものは、母子関係ですね。その母子関係に問題があったとすれば、信頼感や安心感がハッキリとは実感できなくなってしまいます。

 まずは、信頼と依存がどのように違うものなのか、よく考えてみてください。信頼は、要するに、個人としての自己が確立されていて、お互いがお互いを認め合う行為です。
 依存は、お互いの存在の境界がなく、未分離のままの関係です。お母様と響さんが、母子未分離状態だったように。この状態のなかにいると、個人としての意識的な行動をとることができません。
 また、本来感じるべきはずの相手に対する怒りや煩わしさが意識できなくなってしまいます。

 この怒りや煩わしさをずっと意識できないままだと、それが突然他者に投影されて、攻撃的になったり、反対に未分離状態に回帰したくなる願望から、べたべたと依存したり、または自分自身に攻撃性が向いて、自傷行為となったり、という境界性人格障害になってしまいます。

 響さんが過去の経験を思い出していく段階で、怒りの感情が出てくるのは当然のことで、その感情を意識できるようになる、ということがとても重要なんです。
 ただし、怒りの感情が出てきたとき、それを言葉などで表現することで発散していかないと、怒りの感情に支配されやすくなります。いわゆる情動ジャックというもので、身体の病気になってしまうこともよくあります。

 表現は、言葉だけではありません。芸術作品を作ることや音楽を演奏することも入ります。もっと簡単に身体で表現することも有効です。さまざまな運動(スポーツ)がそれです。
 汗をかくというのは、まだ完全に意識化できない怒りを発散するとてもいい方法でもあるんです。溜まったエネルギーがある程度発散されたあと、もう一度考えてみると、怒りのもととなった体験や考えが意識化されやすくなります。

 今後の人間関係について、いろいろとご心配もあるでしょう。でも、基本的には、人間は自分で考え、行動し、責任をとるものなんだということを実践していくことで、少しずつ本来の意味の信頼感というものが、感じられるようになってくると思います。

No.996 2005/02/18(Fri) 00:03

 
Re: 信頼感について / スプー

西丸まりいさん
>境界性人格障害=BPD 星和書店 2800円
>よんでみてください。


私もBPDの言動に戸惑っている書込みを見たときは、回し者のように紹介させて頂いているのですが、この本は境界性人格障害の周りにいる人にとって、判りやすい表現で書かれていますし、何が起きてきたのか、何が起きるのがが明確に書かれているので良いですよね。法律に関する記述は日本では通用しない事もありますが、それを差し引いても良い本だと思います。

No.1001 2005/02/18(Fri) 17:03

 
Re: 信頼感について /

お蔭様で、いろいろなことが分かってきました。

スプーさん、お返事ありがとうございます。私は本当に感心したのですが、
悪いことが頭をまわりはじめたら、何か他のことで解消すればいいのですね。
娯楽や気分転換を楽しむ感覚が、私には欠けていたと、気がつきました。

スプーさんから、「音楽が好きなら」といわれて、とても驚きました。
私は、意識にのぼる範囲では、音楽を「自分のために」やったことが、
これまで一度もなかった?!と感じ、びっくりしました。そこで、早速、
「自分のため」という気持ちで楽器を演奏してみたのですが、そうしたら、
もう、とめどなく涙が流れてきて、大変、感動し、大きな力を感じました。
まさに、私の探していたものはこれだったのだ、と思いました。
とても大切なキーワードをいただきました。本当にありがとうございます。

まりいさん、お返事をありがとうございます。
まりいさんは、私と同じような状況をご経験されて、ご苦労もあったのに、
今では「親の親的存在」にまでなられたとのこと、頭の下がる思いです。
私は確かに、現在の母に過去の母の姿を見ていますので、おっしゃるとおり、
私もなるべく感情をこめず、冷静に現在の母の姿をとらえることができたら、
母にとって、また、お互いの関係にとって、本当は理想的でしょうね。
ご紹介いただいた本は、今度本屋へ行ったら買って読んでみることにします。
貴重な情報をありがとうございました。

管理人さん、お返事をありがとうございます。
「信頼と依存」、「責任」というキーワードについては、
今の状態で考えこむと、きっと私は悪循環にはまってしまいますので、
まずはここまでの問題を自分なりに整理してから、その後で時間を置いて、
一週間後くらいに、またあらためて考えてみたいと思っています。

本当に身体と心は繋がっているものですね。主観的な判断になりますが、
楽器を演奏するとき、私は身体にくらべて心の比重が高すぎて、
以前は、離人的で陶酔的な状態で、演奏していることが多かったのです。
でも、一年半、心の分析をしたら、エネルギーがうまく身体のほうへ回って、
あきらかにバランスがよくなり、ずっと演奏しやすくなってきています。

お返事を読んで気がつきましたが、私は子供の頃から、
「自分の身体を自由に動かす」、ということを滅多に許されず、
それでストレスがたまったところも、あったのかもしれません。
一方、音楽をすることで発散できた部分もあって、重い精神疾患などには、
罹らずにすんだのかもしれません(と思いましたが、素人考えです)。

自由に動かせる身体をもっているのは、それだけで幸せなことですね。
大人になってからは、「身体を動かすこと=人とのコミュニケーション」
のように思い込んでいましたが、たしかに、自分の健康のために、
身体を動かしてみる、汗をかいてみる、という発想もあるわけですね。
今日は天気がいいので、これから早足で散歩にでかけてみようと思います。

皆さんから、私の思考能力、自己解決能力を信じていただいたことが、
とても励みになりました。自分を幸せにするのは自分自身、と思って、
これからも、あきらめずに取り組んでいきたいと思いました。

No.1005 2005/02/18(Fri) 21:23

 
Re: 信頼感について / スプー

響さんの書込みを拝見すると、「自分の為」というのが極端に少なくなっているな・・・と思います。

言葉は悪くて申し訳ないですが、お母さんがBPDだとして、お母さんが自分の見捨てられ不安を子供に向けた為、幼少の頃の響さんが親から離れて行くことができない状態にされてしまったのではないかと思います。

おそらく、響さんは言うこと聞く良い子供だったのでしょうね。音楽も勉強もできたのではないかと思います。裏返せば、子供が親からだんだんと自立していく事が不安で仕方がなく、自立させない。言うことをきかせる。響さんは親の顔色を見て親が怒らないように行動していたのかもしれません。つまり、一見「聞き分けが良くて手間のかからない、頭の良い子」だったわけです。

自分の為の行動ではなかったのですから、「音楽を楽しんで」というのができなかったのかもしれませんね。
しかし、そのせい(?)で音楽はできるのですから、自分の為に楽しんでやってはいかがですか?自分を束縛していた(可能性が高い)音楽や学力を自分の為に使い、楽しんでお金に通じさせれば良いではないですか。

対人関係(特に親)に信用ができないという事はあるかもしれませんが、過去は過去です。過去をどう憎んでも今の自分は一つしかないのですから、今からどう過ごせばいいのかを考えましょう。

親からの自立がいきなり出来なくても良いんです。
親との距離を取り、自分で出来る事はする。必要以上の干渉はさせない。自分も必要以上に頼らない。その分、少しでも儲けて家にお金を入れるなり、貯蓄なりをする。
そして物理的・経済的な自立ができるよう自信がつけば、実際は実家に住んでいても精神的な自立ができるんじゃないかな・・・と思いますよ。

No.1009 2005/02/18(Fri) 23:57





聞いて下さい。 / サラン

お話を聞いていただけますでしょうか。
私は何でも悪いほうに考えるというか、心配ばかりしています。
今、子供が受験なのですが、受かるだろうか。。。とか、私立には受かっていますが、お金の事で、主人の母から、大丈夫なのかと、いろいろ言われるので(上の子の時にそうだったので)、それが嫌で内緒で手続きしようとしているのですが、ばれたらどうしよう・・・とか、いろいろ考えて眠れません。
お酒を飲んで3時頃に無理に寝ます。
でも、子供たちのために朝起きる事は必要ですので、朝一度起きて、皆が出てから、またお昼頃まで寝ます。
そうしないと、夜が辛くて、夕飯などできないからです。
それが悪循環になっているの分かりますが、直せません。
また、仲の良かった友達とうまくいかなくなり、そのことばかりが気になります。
何事も前向きに考えられず、心配ばかりして、明るくない自分が嫌なのですが、変えられません。
出かけるのも、おっくうで、身体もだるくて、調子悪いです。
私はどうすればいいと思われますか?

No.985 2005/02/16(Wed) 03:38

 
Re: 聞いて下さい。 / スプー

体が疲れた時に寝るように、頭が疲れた時も寝るのが一番です。
心療内科、神経科で受診されてはいかがでしょうか?
体に合う睡眠導入剤が見つかれば、すぐに寝れて目覚めも体に残りませんよ。
「この程度で神経科なんて・・・」「行きづらい」とお考えであれば、それを捨て去って行ってみてください。今の神経科は内科の雰囲気と大差ないですし、悩みを聞いてもらうだけでも楽になれますし、導入剤に限らず適切な薬(たとえば不安に襲われたときの安定剤としての頓服)を出されるかもしれません。

薬が処方された場合ですが、
この手の薬は怖いというイメージが昔は大きかったかもしれませんが、今は非常に安全になっていますし、適切に飲めば「なんでこんな事で悩んでいたんだろ」と思えるくらい楽になる事も多いものです。症状が治まれば医師の診断で薬を減らし、薬を飲まなくても良くなります。(急に止めれない薬もありますから、必ず医師の判断に任せた方が良いでしょう)


無理して鬱状態、そして鬱病になると、治療も大変です。
よく「鬱病は心の風邪」と言いますが、風邪だってこじらせれば大変なのです。おそらく今は風邪にかかるかも知れない・・・という状態ですから、無理せず医師の判断に任せた方が良いと思いますよ。

No.987 2005/02/16(Wed) 13:44

 
敷居が高いですか? / 西丸まりい

精神科を思い切って受診されてはどうですか。
お酒を飲んで無理に眠られるのは絶対おやめ下さい。
(アルコール依存症になりかねません)
精神科のお薬のほうがはるかに安全です。

小さいクリニックでいいですので
相談されてください。
内科で出されたお薬でよくならないのであれば
なおさらです。

それではごきげんよう…。

No.992 2005/02/17(Thu) 21:46

 
Re: 聞いて下さい。 / 管理人

 はじめまして。
 いろいろな不安が重なって、うつ状態になりかけているといった感じですね。スプーさんやまりいさんがおっしゃっているように、精神科や心療内科を診察されたらいかがでしょう。今のうちなら、比較的短期間でよくなると思いますよ。
 今は、話し相手もいないようですし、さまざまな悩みを専門家である医師に聞いてもらうことも、安心につながると思います。

 まりいさんのおっしゃるように、アルコール依存に陥ってしまうと、治療も大変ですし、長引きます。身体への負担も相当なものになってしまいます。
 女性は特に内臓が悪くなりやすいので、注意が必要です。

No.995 2005/02/17(Thu) 23:20

 
ありがとうございます。 / サラン

皆様、ご親切にアドバイスをありがとうございました。
でも、今の私の悩みは眠れない事ではなく、何でも悪い風にばかり考えて、心配ばかりしている性格なのです。
だから、いつも心が晴れなくて辛いのです。
たとえば今は子供の受験の事。
幸い、私立には合格したのですが、支払いが心配で、、、でも、第一志望の国立には受かるかどうか分かりませんし、、、浪人は今まで遊びをある程度我慢して勉強してきた子に、また一年浪人させるのも、無理があるだろうと心配ですし、、、。(本人が浪人しても第一志望を目指す覚悟があれば別なのですが、本人は行けるのなら行きたいと言っています。)
支払いが大変なので、説明して浪人してでも国立をめざすように言おうとも思いましたが、浪人させたらどうなるかわからない(病気をしたり、事故にあったり)という心配があって、出来ず、、、それなら、無理してでも、受かった所に行かせた方がいいと想い、結局支払ったのですが、そうしたら今度は、いったいこれから支払っていけるのだろうかと、今後の支払いが心配なのです。
これは一例なのですが、こんな風にどんな場合も心配事が出てきて、どうしようどうしよう、どうなるだろう・・・と、心配ばかりしているのです。
こんな病気ってあるのでしょうか。
電車に乗る事が、乗ったらどうなるか分からないから、怖い(パニック障害でしょうか)というのを聞いたことがありますが、そんなことはありません。
すみませんが、またアドバイスをいただけましたら嬉しいです。

No.998 2005/02/18(Fri) 02:48

 
Re: 聞いて下さい。 / ぺぺ

サランさんは、心配性とか、とり越し苦労されるタイプみたいですね。
私も似た部分あります。
でも先のことで心配しだしたらきりないですよね。
子供さんが国立を受験できるくらい学力のある子供さん、これだけで羨ましいと思う親御さんいっぱいおられると思います。お金の事もほんとうに貧しければ、一時金だって都合するのは出来ない人もいます。
奨学金制度、こづかい分のアルバイトなどちゃんと整理して考えればいろいろ方法もありますよ。

仏教には莫妄想といって、妄想するな、わからないことは考えるなというのがあるそうです。ケセラセラ=なるようになる、という言葉もありますね。私は好きです。
少しゆとりをもって、考えてみてもいいんではないですか?
そして子供さんが助けて欲しいときに、助け舟を出せばいいんでは?なんて、次元がちがいますか?

No.999 2005/02/18(Fri) 10:18

 
Re: 聞いて下さい。 / スプー

>でも先のことで心配しだしたらきりないですよね。

その通りだと思います。
お金が無尽蔵にあれば別ですが、どんな場合でも限界はあるものなので、自分たちの限界をちゃんと説明すれば良いと思うのですよ。
親がちゃんとやってくれているというのは十分理解できる年齢ですし、大学ともなれば足りない分は自分で稼ぐ、奨学金を利用するなど、いくらでも方法はあるものです。

悩みを抱えれば、また悩みが出てきてしまうものです。
「ここまではしてあげるけど、ここから先は自分でなんとかしなさい」と割り切れば、お互いにすっきりすると思うのです。

たとえば、「国立でかかる程度なら出すけど、それ以上は自分で稼ぐか奨学金を使いなさい」と。
私が思うに、大学は知識を詰め込む為ではなく、いろんな人に逢って視野を広げ、自立に向けた勉強の場だと思いますから、高校まで行かせれば十分。大学の資金を多少でも用意できれば十二分だと思いますよ。サランご夫妻は、もう十分責任を果たしたのですから、あとは余力があればしてあげる・・・で良いのでは?

No.1002 2005/02/18(Fri) 17:17

 
ありがとうございます。 / サラン

そうですよね。
ケセラセラ、なるようになる・・・そう想えば、どんなに楽かと想います。
割り切れば、楽になる・・・そうとも想います。
でも、いくら、そう努力しても、できないのです。一度、そう思い込んでも、また同じ事で心配し、心が重くなっています。
受験の事だけではないのです。
例えば今。明日、友だち何人かと出かける約束があるのですが、数日前から気が重く、行くのをどうしようか悩んでいます。
行ったら、身体が疲れるのではないか、人とうまく話そうとして、疲れてしまうんじゃないか・・・帰ったら疲れて頭が痛くなっていたり、また自分が話した事に関して、皆はどう想ったんだろう。。とか、他の人みたいに上手に楽しい事が話せない・・・と落ち込んだりしてしまいます。
だから明日はもう行くのを止めようかと想っていますが、断るのも悪いし。。。とこんな風にずっと悩んでしまうのです。
ほんとに、自分の性格が嫌です。どうして、こんな風になってしまうのでしょうか。

No.1004 2005/02/18(Fri) 21:08

 
Re: 聞いて下さい。 / スプー

やはり、一度病院に行かれた方がいいのではないでしょうか?
アルコールに頼るのはたとえ少量でも良いことではありませんし、気分が落ち込む状態が続くようならなお更です。

性格で考えすぎるというのはあるでしょうから、それはそれで長い目で考えるとして、睡眠導入剤、症状を改善する薬、先生に話しを聞いてもらう、場合によってはカウンセリングを受けるなど、適切に対処してくれると思いますよ。

初めてのところ。特に神経科などは行きづらいでしょうが、行ってみると普通ですから安心してみてください。
風邪をひけば内科で診てもらうように、精神的に疲れれば神経科で診てもらうだけです。

No.1006 2005/02/18(Fri) 22:44

 
Re: 聞いて下さい。 / 管理人

 サランさんの場合、眠れないのは、要するに不安や心配が強すぎて入眠しにくい、ということですよね。そのせいで、寝酒に頼っているということもありますね。
 不安や心配事が頭から離れず、悲観的な思考が続いてしまい、睡眠障害にもなっている、ということですから、やはり一度精神科や心療内科で診察を受けてみた方がいいと思います。

 不安感が強く、日常生活に支障が出ている場合(眠れないことも入ります)は、不安障害などと言いますが、特に病名は気にする必要はありません。

 要するに、気分が晴れない、心配や不安が強い、などの症状があって、日常生活に支障が出てきている場合には、なんらかの心の病気の可能性があるということなんです。
 さらに言えば、心の病気だった場合、適切な治療を受けることで、いい状態になれる可能性が高いということですね。

 病気かどうか、治療の必要があるかどうか、といった判断は、専門医に任せましょう。誰でも、身体の調子が悪くなれば、病院に行きますよね。心の調子が悪くなった場合でも同じです。

No.1007 2005/02/18(Fri) 23:33





父が入院しました / ちゃまこ

管理人さん、たんぽぽさん、スプーさん、レスありがとうございました。
8日に父が入院しました。
かなり拒否をしており、大変ではありましたが、これできちんとした治療ができるとほっとしています。

この日、母は父に「病気の孫に会いたいから一緒に行ってほしい」と頼んだそうです。
父にとってはとても珍しいことですが、会社を休み孫の家へ。
そして来たついでにといつも通院している心療内科を受診しました。(本人はいつもの薬をもらおうと受診したようです)
先生のお話では、入院の必要があり、他の病院を紹介するので
子供、親、兄弟誰でもいいから本人を説得して連れて行くようにとのことでした。
母が説得したのでは頑として行こうとせず、弟は仕事で抜け出せない為、私が呼ばれ、父を説得することになりました。

父は、私に会うなり「俺は病院に行かない」と言い、「お前に話があるんだ」と私だけを連れ出しました。
父は非現実的な話も含め自分の話したいことをあれこれと話し始め
ました。
私がうんうんと聞くと父は満足したのか少し機嫌が良くなったのです。
でも、病院には行きたくないとのことだったので、私もその場では強く行くようには言いませんでした。

「私の家に行こう」父にそう言い、私は父をタクシーに乗せることにしました。
行き先は我が家ではありません。病院です。
母には「そんなことして後悔にならないか」とか「恨まれるかもしれないよ」とか「今日はその病院に行かずに家に帰る」など言われましたが、ここで機会を逃してしまえば、次の機会がいつ来るか分かりません。
私は父の機嫌をできるだけ良くし、タクシーに乗せました。

病院までの道のりは長く、途中で父が「話が違う」といつ言い出すか心配ではありましたが、幸い父は静かにしていてくれ、病院に着いても取り乱すことがありませんでした。
診察まで少し時間があったので、父の機嫌をとりつつ待っていました。

診察が始まり、色々話をしていく内に、やはり入院が必要ということになり、先生が何度も父に入院するよう説得して下さったのですが、父は「それはおかしい。入院する必要なんてない。薬だけ出して下さい。それができなければこのまま帰る」と拒否し続けています。
診察室に何人もの看護士さんが入ってきて、父を取り囲むようになり、もう少しで注射も打たれるところでした。
「お父さん、私と行こう」
我慢しきれず父を連れて診察室を出ました。
そして病棟へ。病棟では父も落ち着き、ほっとしました。

父の病名は「躁鬱病」で、今は重い躁とのことです。
脳の検査などもしてもらえることになり、これを機に体のあちこちを調べてもらえます。
私自身、ほっとした反面、父を騙して入院させたことはとてもつらいことであり、できればしたくなかったとの思いが離れません。
あの時連れて行って良かったと心から思える日が1日でも早く訪れますようにと願っています。

色々とアドバイス頂きありがとうございました。
これからもまた訪問させて頂きます。

No.962 2005/02/10(Thu) 15:32

 
Re: 父が入院しました / スプー

何はともあれ、入院できて良かったと思います。
確かに騙したような感じでの入院だったのもかしれませんが、今のまま家にいてもいい結果が出るとは思えませんし、脳に何らかのダメージがあるとしたら早ければ早いほど良いのですから。

二つの病院の先生が入院を勧め、しかも看護士が注射をする手前まで行ったという事は、今回の入院を逃せば大変なことになる可能性があったからだと思います。

ある程度回復できるまでは、大波・小波があるでしょう。一時的に酷くなったように見えたり、治ったように思ったら悪くなって落胆する事があるかもしれません。そのような波を乗り越えて、徐々に回復するので、状態に一喜一憂しないようにする方が良いと思いますよ。

No.968 2005/02/11(Fri) 15:56

 
Re: 父が入院しました / 管理人

 なるほど、やはり躁うつ病でしたか。
 となると、入院に至る過程について、多少後ろめたいようなことがあったとしても、まったく気にする必要はありません。というより、ちゃまこさんの機転の利いたすばらしい方法が、お父様を危機から救ったと考えるべきことだと思います。

 なかには、殴り合いに近いようなケンカをしながら、やっとの思いで入院までこぎ着けたとか、何人かで力づくで押さえつけて説得して半強制的に病院へ連れていったとか、すさまじい例もけっこうあります。
 ちゃまこさんは、穏やかな方法でお父様を連れていったのですから、家族として立派な対応方法だったと思います。
 
 躁うつ病は、うつ状態のときよりも躁状態のときの方が、家族など、まわりの人にとって大きな負担となります。有名な精神科医の先生が、「うつのときは本人が泣き、躁のときは家族が泣く」というようなことを言っていました。
 要するに、ご家族にとって、本当に大変な状態になってしまう、というわけです。

 とにかく、お父様が入院したのですから、あとは専門医に任せましょう。
 躁うつ病の場合、一度入院して落ち着いてからは、躁状態をどれだけ防げるようになるのかが、治療の大きなポイントとなってきます。
 本当にお疲れさまでした。

No.970 2005/02/12(Sat) 00:48

 
Re: 父が入院しました / ちゃまこ

スプーさん、管理人さん、レスありがとうございました。
お陰様で父を入院させることができました。

私の父は子供に返っているようでした。
父の話にうなずいていると、父は笑顔を見せました。
いつ怒り出すかと不安も感じましたが、穏やかな状態で病院まで行けたことは本当に良かったと思います。

スプーさんの仰る通り、今回の入院を逃せば大変なことになる可能性がありました。父の躁は悪化しており、いつどんなトラブルが起こるか分からなかったのです。

又、管理人さんの仰る通り、父の躁が悪化してから母は泣きながら耐えており、母の受けた心の傷は相当深いものだったようです。
母自身へのフォローも必要と思っていますが、こちらの言うことが思うように伝わらず、いつもは気にしないこともきつく取られてしまったりするので、自分も戸惑います。

母の心の傷を癒すにはどうしたらいいのでしょうか。

No.972 2005/02/12(Sat) 20:05

 
Re: 父が入院しました / 管理人

 お母様の心の傷を治すためには、お父様の病気がどのようなものなのか、まず理解することだと思います。どんな症状が出て、まわりの人はどんな思いをするのかなど、体験談のような資料があれば、一番わかりやすいですね。
 そのような理解のあと、お父様が行ったいろいろな攻撃的行動は、病気のせいだったと理解できれば、癒されると思います。

 ただし、お母様は、一種のPTSDのような状態だと思いますので、医師の治療を受けることも、有効な方法となります。さらには、カウンセリング等を受けることで、かなり改善されるでしょう。
 躁うつ病患者の家族の会のようなものもあると思いますので、同じ立場にある人同士のコミュニケーションも、有効な方法になると思います。

No.974 2005/02/13(Sun) 01:08

 
Re: 父が入院しました / たんぽぽ

ちゃまこさん、本当におつかれさまでした。
とっても迅速な対応をされたのですね!すごいと思います。

お父様の病気、躁うつ病とはっきりされたのですね!
きっと治療されれば、元気なお父様に戻られることでしょう。
体の病気と違い、入院させることになんか抵抗感があるのは皆そうだと聞きますよ。
うつに反転すれば、またお父様ご自身相当な苦しみがあったはずでしょうから、入院は検査・治療するいい機会に恵まれたと考えたほうがいいのではないかと思います。

ちゃまこさん、お母様とも、気が抜けるとどっと疲れが出てしまうと思いますので、どうかご自愛くださいね!
ゆっくりと休まれてください。
一日も早く、一家団欒、楽しい日をむかえられますよう祈っております。

No.980 2005/02/14(Mon) 10:19

 
Re: 父が入院しました / ちゃまこ

管理人さん、たんぽぽさん、レスありがとうございました。
父の病気がどのようなものであるのか、理解することは本当に必要だと思っています。
母自身は、父が病気と分かりつつも、以前の父とのギャップがあまりにも大きくて、そのショックが抜けていません。
母自身が受けた心の傷は、癒すのに時間がかかることと思いますが、これからは母が一人で抱え込まない環境を作っていきたいと思っています。

同じ立場にある人とのコミュニケーションも私自身始めています。
今感じているのは、家族にはそれぞれの役割があり、それぞれできることが違うということです。
私自身、娘としてできることをできる限りしていきたいと思っています。

たんぽぽさんの仰るとおり、躁鬱病である父は躁から鬱になった時、苦しむことになるでしょう。
私自身、父を騙して入院させたことをつらく思っていましたが、
これで良かったんだと思えるようになりました。
皆さんのアドバイスのお陰です。
本当にありがとうございます。

No.982 2005/02/14(Mon) 14:41





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