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ball とっても迷惑なナルシシズム(ナルシズム) ball



 よく聞く言葉なので、「ナルシシズム」については、ご存じの方も多いと思います。「ナルシズム」と表記または発音される場合も多いです。
 ふつう、「ナルシシズム」は、「自己愛」「自己陶酔」などと訳されています。
 しかし、「ナルシシズム」を、単純に「自分自身を愛すること」と受け取ってしまうと、その本質が見えなくなってしまいます。

 このへんの「訳語」や「言葉」の問題というのは、本当にいろいろなところで出てきます。
 以前のコラム「劣等感とコンプレックスの違いって?」でお話しした「劣等感」などと共通の問題です。
 今回の「ナルシシズム」も、ハッキリとはわかりにくい言葉の一つだと考えていいと思います。

 さて、「ナルシシズム」の語源ですが、もともとは、ギリシャ神話の物語から命名された精神分析用語です。

 ナルキッソス(ナルシス)はうぬぼれ屋の美少年で、心優しいニンフ(妖精)のエコーが恋い焦がれる相手でした。
 エコーは、ゼウスが妻である女神ヘラの監視を逃れる手伝いをしたため、ヘラの怒りを買い、相手が最後に言った言葉を繰り返すことだけしか、話しができないようになっていました。
 エコーは、自分の愛をナルキッソスに伝えようとしますが、まともに話ができないこともあって、手ひどくふられてしまいます。
 ショックを受けたエコーは、洞窟に閉じこもり、最後には声だけの存在になってしまいます。
 復讐の女神ネメシスは、ナルキッソスがエコーの愛を踏みにじったことに怒り、ナルキッソスに自分だけしか愛せないように呪いをかけます。
 ナルキッソスは、泉に写る自分自身の姿に恋するようになり、そこから動けなくなってしまいます。
 そのまま憔悴しきったナルキッソスは、死んで水仙の花となって生まれ変わります。

 このナルキッソスの、泉(鏡)に写った自分の姿だけしか愛せないような心理状態を、「ナルシシズム」と言います。

 「ナルシシズム」も、「劣等感」と同じように、いろいろな人たちが使うようになって、その意味も、どんどん広がってしまいました。
 専門家のなかでも、「健康なナルシシズム」などと肯定的な使い方をする人もいて、とてもややこしいことになってしまっています。

 ここでちょっと「ナルシシズム」の意味について、整理してみましょう。
1.「自己愛」として、自分自身を大切にすること
2.「自尊心(プライド)」の代わりとしての使い方
3.神経症的心理としての「ナルシシズム」
4.精神分析や心理学で使われる発達段階としての「自己性愛」

 結局、この4つの使い方が混在しているので、ややこしくなっているのでしょうね。

 このコラムでは、本来の意味である、神経症的心理としての「ナルシシズム」を、取り上げていこうと思います。

 「ナルシシズム」の原因は、「抑圧」から発生する「無意識の葛藤」です(「抑圧」と「葛藤」につきましては、以前のコラム「神経症と不安障害について」をご参照願います)。

 「無意識の葛藤」があると、絶えず不安に悩まされます。その不安のために、自分自身の存在に自信が持てません。
 自信がないと、自分がなにをしたいのか、なにが欲しいのか、なにが自分にとって価値があるのか、判断することができません。心はいつも空虚なままです。

 必然的に、自分自身の価値基準をまわりの人に求めるようになります。
 まわりの人が価値あると認めるようなものが、自分にとっても価値あるものだ、と思いこむわけですね。
 そして、まわりの人の尊敬や賞賛を得るような自分自身になることが、一番大切だと感じるようになります。
 これが「ナルシシストの価値基準」です。

 それは、言い換えれば、まわりの人の目を通して見た自分自身の姿にほかなりません。つまり、まわりの人の目という「鏡」に映った自分の姿になるわけです。
 その姿は、周囲の人の尊敬や称賛を得るという目的のためだけに存在します。
 だからこそ、ナルシシストにとって一番価値あるものであり、「愛する対象」なのです。

 「反動形成」からも、「ナルシシズム」を説明することができます(「反動形成」につきましては、以前のコラム「防衛機制ってなあに?」で詳しく説明してあります。ご参照ください)。

 「ナルシシズム」の原因としての「無意識的な葛藤」というのは、自己否定や自己嫌悪の「抑圧」です。
 「ナルシシズム」の場合は、その自己否定や自己嫌悪をより強く「抑圧」するために、「反動形成」が行われます。つまり、自分自身を「過大評価」するわけですね。
 もちろん、「反動形成としての過大評価」なので、不自然な形で「強迫的」になって現れます。いつでも「自分は特別な存在である」と思い続ける必要があるわけです。
 そうしていないと、不安になってしまうからです。

 この「自分は特別な存在である」というときの「自分」は、現実の自分ではありません。「鏡に映った自分の姿」のことです。
 では、現実の自分はどこでしょう。それが、自己否定や自己嫌悪の対象となっている自分のことなのです。

 「自分は特別な存在である」と思い続けるためには、まわりの人が自分を特別扱いし続けてくれることが必要になります。
 「ナルシシスト」の一番困るところは、このように、自分の「神経症的思いこみ」のために、まわりの人を巻き込むところです。これほど、迷惑なことはありません。

 「ナルシシスト」にとって、まわりの人は、自分に尊敬や賞賛を与えるためだけに存在しているようなものです。
 世の中のすべては、自分を中心に回っています。自分を特別扱いしないような人間は、間違っていると感じています。

 「ナルシシスト」は、まわりの人の尊敬や称賛を受けるためなら、多少卑劣なことでも平気でします。
 そもそも、まわりの人は、自分を尊敬したり賞賛したりするためだけの存在なので、それをしない人は、その存在さえ、認めようとはしないのです。

 現代の日本のような高度に発達した資本主義社会は、必然的に「競争社会」になります。
 したがって、「ナルシシスト」たちは、「鏡に映った自分自身」をもっと偉大にしようと、必死で競争を始めます。
 もとから「反動形成」の要素が強いため、競争に勝つということに「強迫的」になりがちです。したがって、卑劣な手を使うことも、正当化してしまいます。

 それでも、自分の「ナルシシズム」を満足できるような地位や財産を築くことができた場合、実感を伴った自信がついて、抑圧していた自己否定や自己嫌悪を解消できる場合もあります。
 実際、「競争社会」のなかでは、実績を上げるための原動力として、「ナルシシズム」が肯定的にとらえられる場合も多いのです。

 しかし、「ナルシシスト」は挫折しやすい、というのも事実です。
 それぞれの分野でがんばり続けるためには、やはりその分野に対する愛着心がないと、続けられないものです。
 「ナルシシスト」というのは、唯一の価値基準が尊敬や賞賛を得ることなので、少しのあいだでもそれが得られないと、がんばる気力がなくなってしまうのです。

 競争に勝つために手段を選ばない、というような態度も、「敵」を増やすことになりがちです。結局、そのような「敵」から足下をすくわれる、ということにもつながってしまいます。

 挫折した「ナルシシスト」は、次の2つのパターンに落ち着くことが多くなります。

 1つ目は、抑うつ状態に陥り、引きこもりなどを起こすことです。そのまま、うつ病になってしまうこともあります。
 でも、このような状態というのは、自分自身の心の問題点に気づくチャンスでもあるわけです。気長に適切な治療を受ければ、人生をやり直すことも可能です。

 2つ目は、責任転嫁やもっともらしいいいわけで、現実をねじ曲げてしまうことです。
 たとえば、自分が出世できないのは、上司が人を見る目がないからだ、とか、あの大発見は私のものなのに横取りされたとか、いろいろな正当化を続けます。
 やたらと攻撃的になったり、被害妄想に陥ることもあります。

 こうなってしまった「ナルシシスト」は、手が着けられません。現実をねじ曲げ出すと、まともに話しが通じなくなってしまうからです。
 身近な人たちは、もう、その人をうまく避けて生活するか、まったく縁を切るしか、手はないかもしれません。
 このような人は、「ナルシシズム」が、病的な形として現れた「自己愛型人格障害」「自己愛性人格障害」とも表記されます)と呼ばれます(「自己愛型人格障害」につきましては、別の機会に詳しくお話ししたいと思います)。

 「ナルシシスト」との関係の築き方は、慎重に行う必要があります。
 あまり近づきすぎると、ゆがんだ誇大妄想を押しつけられ、自分自身も正常な判断ができなくなってしまいます。
 また、極端に避けると、どんな卑劣な手を打ってくるかわかりません。正当化も巧妙ですし、罪の意識を感じることがないので、非常に厄介です。

 「ナルシシズム」が、癒されることはまれです。
 もし癒されるとしたら、「ナルシシズム」が満足されるような社会的実績を得ることと、抑うつ状態に陥ったあとの、適切な治療による無意識的「葛藤」の解消だけです。
 もちろん、この2つは、そう簡単に実現することではありません。

 親が「ナルシシスト」だった場合、子供は、愛情を受けることができません。したがって、さまざまな神経症症状に苦しむことになりがちです。
 もちろん、もうひとりの親がしっかりとしていた場合や、親の代わりとなって愛情を注いでくれる人が身近にいれば、問題は起きにくくなります。

 「ナルシシスト」の親は、子供が成長段階で精神的な苦痛にあえいだり、異常を来したりしても、たいていは無関心です。さらに、子供が精神的な苦痛に耐えかねて、精神科医やカウンセラーにかかろうとすると、妨害する傾向があります

 「ナルシシスト」本人は、よほどひどい抑うつ状態にでもならない限り、「カウンセリング」や「心理療法」を受けることがありません。したがって、本人が自分自身の心の問題に気づくというようなことは、まず期待できないのです。
 このことが、まわりの人にとって、迷惑で厄介なこととなってしまう一番の原因です。

 つまり、「ナルシシスト」から身を守るためには、充分に「ナルシシズム」というものを理解し、その時々の適切な対応を続けていくしか、手はないと考えていいでしょう。

 「ナルシシスト」は、本当に迷惑な存在ですが、「反動形成」としての「強迫的」ながんばりが、社会全体にとっても大きな利益を生み出すこともあります。
 そのへんを考えて、賢く対応していくことが一番だと思います。






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