Psystory

ball 終章 結びに代えて ball



 私自身、長いあいだ不自由さに苦しんできました。
 自分自身でそうしたいと思っても、体が自由に動かなかったり、すぐにくじけてしまったり、変に怯えてしまったり、そんなことばかりでした。

 自分自身を、何度も変えようとしました。
 しかし、頑張り抜こうとすると、今度は病気になってしまうのです。結局は、風邪をひいたり、熱を出したり、腹をこわしたりと、医者通いが続くことになってしまいました。

 そんな状態だったため、幼少期は家のなかで遊ぶことが多く、たまに庭で遊ぶことはあっても、庭から外へ出ることなどほとんどありませんでした。

 ようやく、ほかの子供たちとふつうに遊び回れるようになったのは、小学校3、4年の頃でしょうか。
 それでも、スポーツなどの激しい運動を続けると、すぐに体のどこかが故障してしまいました。
 多少は改善されましたが、病気がちなのも変わりませんでした。



 中学から高校へ進学する頃になると、だいぶ活動範囲も広がり、友人たちと出かける機会も多くなりました。それでも、相変わらず、スポーツで体をこわすことも多く、病気がちな状態からも抜け切れませんでした。

 そんな私でしたから、どうしても自信が持てず、いつでも不安でした。緊張する場面は、特に苦手でした。人前でなにかを発表するときや、初対面の人の前では、いつも怯えていました。

 どうしてこんなにも、不自由なのでしょう。
 大学に通う頃から、この疑問の答えを見つけるために、医学、心理学、精神分析、脳科学などの文献をよく読むようになりました。

 そうしたなかで、自分自身の不自由さの原因は、すべて不自由な心に起因するということが少しずつ理解できるようになってきました。さらに、多くの人のさまざまな不幸の本当の原因も、この不自由な心ではないかと考えるようになりました。



 やがて、ある自己啓発セミナーを受けることになりました。
 第2章第2節でも触れた集団療法を、身をもって体験したのです。

 受講中には、素晴らしい体験がいくつもありました。
 自分自身の心の問題に直面させられ、それを乗り越えられたと感じたこともありました。
 さらに、受講後の自分自身の行動にも、確実に好ましい方向への変化があったように感じ取れました。

 私にとって自己啓発セミナーは、いい方向に作用したようです。
 しかし、セミナーを受講した人のなかには、精神的な障害を受け、日常生活が送れなくなってしまった人もいました。
 人づてに聞いたことですが、その人は、まったく現実感が持てなくなり、家から一歩も出ることができず、それまで勤めていた会社も辞めなくてはならなかったそうです。

 その後、高名な精神科医の書いた本のなかで、自己啓発セミナー受講後、精神に異常をきたし、精神科に入院せざるを得なかった人たちの話を読みました。
 自己啓発セミナーは、ある程度の危険性を持っていたわけです。

 私自身も、受講後しばらく経つと、解決できたと思っていた心の問題が、しっかりと残っていることに気づきました。
 結局、私の受講したセミナーは、根本的な解決法とはなりませんでした。

 確かに、人前での恐怖感や、新しいことを始めようとするときの怯えは、かなり軽減しました。
 また、自己蔑視や自己否定が感じられなくなるくらいの自信もつきました。しかし、今まで苦しんできた不安や恐怖の原因については、まったくわかりませんでした。

 そのせいでしょう。疲れているときや体調を崩しているとき、いくつかのトラブルが重なったときなどは、不安も恐怖もぶり返してきました。
 「このままでは中途半端だ」、そう強く感じた私は、受講した自己啓発セミナーの内容について、詳しく調べてみました。



 結局そのセミナーは、精神分析の手法を、少ししか取り入れていなかったのです。内容の大半は、認知行動療法のものでした。これでは、根本的な解決法にならなくて当然です。

 しかも、精神分析の手法は、主にマインド・コントロールのために使われているということもわかりました。
 つまり、精神分析の手法を心の問題を解決することよりも、セミナーの素晴らしさを植えつけることの方に利用していたわけです。

 たとえば、大した効果が得られなかったと自分でも認めている人が、セミナーの素晴らしさだけは、確信していたりしました。
 そういう人に聞いてみると、大した効果が得られなかったのは、あくまで自分自身の責任であり、セミナー自体の素晴らしさには関係がない、と思い込んでいるようでした。

 これでは、本末転倒です。
 自己啓発セミナーを受講する目的は、心の問題を解決して、自分自身が成長することです。その目的が達成されないのであれば、受講した意味がありません。

 それなのに、そのセミナーが素晴らしいものだと思い込んでいるとしたら、マインド・コントロールを受けたとしか考えられません。



 一人のトレーナーが受け持つ受講者の数が多すぎるということも感じました。
 きっと高い利益率を求めすぎているのでしょう。そのせいで、すべての受講者に目が行き届かず、かえって精神的な障害を受けてしまうような人が出てきてしまうのです。

 個人が負担するにしては、受講費用が高額であるという問題点もありました。
 私の受けた自己啓発セミナーでは、セミナーを主催する会社に直接振り込んだ受講料だけで、合計50万円にもなりました。

 やはり自己啓発セミナーは、商業主義的傾向が強すぎるのでしょう。
 つまり、事業としての利益を重視しすぎるため、心理療法としての効果が薄められてしまっているわけです。

 確かに、認知行動療法的な効果は得られるでしょう。
 たとえば、不安や恐怖をある程度コントロールできるようになったり、行動面での不自由さを改善することはできると思います。しかし、不安や恐怖を感じなくなれるわけではありません。



 私が受講した自己啓発セミナーでは、まず最初に目標を設定します。
 そして、その目標を達成するための綿密な行動計画を立て、その計画通りに行動します。
 その途上で不安や恐怖に襲われたとしても、とにかく計画通りに行動することだけを考え、目標の達成を最優先します。

 こうした方法論に基づいて生活していると、不安や恐怖を感じたとしても、目標にそった計画通りの行動が可能だということがわかってきます。
 そして、不安や恐怖が行動の妨げにはならないということが実感できるようになり、やがては、まったく気にならなくなるというわけです。

 しかし、いつでも心から納得できる目標が得られるとは限りません。ときには目標を見失い、途方に暮れてしまう場合もあります。
 そんな場合には、それまで無視していた不安や恐怖がいっぺんに襲ってきて、かなりつらく苦しい時期を過ごさなくてはならなくなります。

 そのストレスを、他人へ向けて発散してしまったこともありました。
 とにかくなにかの目標を立てようと考え、自分でもくだらないとわかっていることに一生懸命になったりもしました。
 こんなときには、世間一般の価値観やまわりの人の価値観に左右されてしまうものです。



 やはり、不安や恐怖から本当の意味で自由になる必要がある、そう考えた私は、その方法をなんとか見つけ出そうと、以前にも増して読書に精を出しました。

 対象となる分野も、精神医学、行動科学、認知科学、哲学、宗教、ポスト・モダン思想と、どんどん広がっていきました。
 そんななかで、私自身の心の問題を解決する糸口となりそうな、いくつもの興味深い本に出会いました。

 精神医学、脳科学の分野では、高田明和氏、中村希明氏、小田晋氏、大木幸介氏、福島章氏、海原純子氏、内山喜久雄氏、町沢静夫氏、貝谷久宣氏、澤口俊之氏、伊藤正男氏、松本元氏、養老孟司氏といった方たちの著書が特におもしろく、夢中になって読みました。

 とりわけ、高田明和氏のストレス説を中心とした病気と心の関係についての話、中村希明氏の犯罪者の心理分析、沢口俊之氏の脳の階層構造説、松本元氏の大脳辺縁系の情動発生による脳活性の調節の話には、強く心惹かれるものがありました。



 心理療法に関しては、河合隼雄氏、故秋山さと子氏の著書を中心に、多くの著書を読みまくりました。
 もっともポピュラーなユング派の心理療法、ロジャーズ派の来談者中心カウンセリング、(認知)行動療法、フロイト派の心理療法については、特に詳しく調べました。

 心理学の分野で、私がもっとも強い影響を受けたのは、加藤諦三氏の一連の著作です。
 特に、神経症的心理の原因としての自己蔑視や自己否定についての解説は、私の心の問題の核心を突かれた思いでした。
 また、現代人の心理に対する加藤氏の鋭い分析は、痛快極まるものでした。



 哲学やポスト・モダン思想の分野は、それまであまりなじみのない世界だったため、入門書や解説書の類を何冊も読みました。
 なかでも、小坂修平氏、今村仁司氏、竹田青嗣氏の一連の現代思想に関する著作はどれも読みやすく、大変参考になりました。

 そして、フロイトの精神分析理論とソシュール記号論を高いレベルで融合したラカンの思想に、強く引きつけられていきました。

 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ラカンの思想は、難解極まるものです。私も最初のうちは、ほとんど理解できませんでした。
 それでも、ラカンの著書や解説書を読んでいると、私自身の心の問題を解決する糸口があるように思えてなりませんでした。

 ラカン思想の一つの源流であるフロイトの精神分析理論については、長いあいだたくさんの本を読んできたおかげで、かなり深いところまで理解できていました。
 しかし、もう一つの源流であるソシュール記号論については、あまり深くは知りませんでした。

 「ラカン思想の理解のためには、まずソシュール記号論を理解することが必要だ」、そう思いついた私は、早速ソシュールに関する本を読み始めました。
 そうして、ソシュール記号論の世界的権威であった、故丸山圭三郎氏の言語哲学に出会ったのです。



 人間の存在と言葉との関わりを、まったく新しい次元で展開する丸山氏の思想は、私にとって、どこまでも刺激的でした。
 しかも、丸山氏の著書には、ポスト・モダン思想にありがちな、無意味なまでに難解な言いまわしが、まったくありませんでした。私は、丸山哲学に心酔しました。

 丸山氏は、ソシュールだけでなく、フロイトやラカン、クリステヴァ、ユングといった精神分析に関係した思想家たちにも目を向けられ、独自の解釈を試みられました。そのおかげで、難解なラカン思想についても、かなり理解を深めることができました。

 丸山氏と親交の深かった岸田秀氏の思想も、とても興味のあるものでした。ご存じの方も多いと思われますが、岸田氏はフロイトの精神分析理論から出発して、唯幻論という独自の思想を展開された方です。

 岸田氏のご著書は多数に上りますが、その何作かのなかで、精神分析理論に基づく自己欺瞞の理論が展開されています。
 私はこの理論に、私自身の心の問題の原点があるように感じました。

 たとえば、現在神経症の症状に苦しめられているとしましょう。そうした症状が現れる原因は、もちろん抑圧です。この抑圧というのは、見方を変えると、そうした事実はなかったとする自己欺瞞だとも解釈できます。
 そして、個人にしても国家にしても、その歴史のなかに自己欺瞞があると、神経症的症状が現れてくるというわけです。



 その当時は、文筆業の世界にとてもあこがれていました。
 しかし、もともと理系人間の私にとって、文章を書くことは、とても苦手でした。
 そこで、文章修行の基本とされている日記を書き始めました。

 しばらく日記を続けていると、あることに気づきました。
 自分のそのときの気持ちを素直に文章として表現していくと、とても気分がスッキリしてくるのです。
 さらに、それまでぼんやりとしか感じていなかったことが、ハッキリと実感できるようになることも分かりました。

 ちょうどその頃、実際の心理療法の過程で、来談者が絵を描いたり、小説や詩を書いたりといった表現活動を始める場合があることを知りました。
 さらに、そうした表現活動には、箱庭療法と同じように、心理療法的な効果があるということも知りました。

 また、自分自身の過去の体験を記述することによって、抑圧されていた内容を意識化していく記述療法についても知りました。

 さらに、日記をつけていたときに感じたスッキリした気分や、自分の考えに対するハッキリとした実感も、心理療法的な効果の一つだったと気づきました。

 いくつかの偶然が重なって、「もしかしたら記述という行為を通して、心の問題を解決できるかもしれない」という予感のようなものが生まれました。
 しかし、実際になにをどうすればいいのか、すぐには思い浮かびませんでした。



 あるとき、「戦後民主主義を見直す」というテーマで編纂された何冊かの本を読みました。
 そこで、強く興味を引かれる考え方を見つけました。
 「戦後日本が、敗戦という歴史的事実を、終戦という言葉で偽り続けている」というものです。

 その考え方から戦後の日本を見ると、「戦後の日本人は、学校教育を通して、偽られた歴史観を押しつけられており、そのひずみがさまざまな場面で社会問題として噴出してきている。全共闘やオウムも、そうした文脈のもとに発生した」となります。

 私は、この話を読んでいて、すぐに岸田秀氏の精神分析理論に基づく自己欺瞞の理論を思い出しました。
 そして、「戦後の日本は、近現代史のなかで、敗戦はなかったとする自己欺瞞をしていたんだ。そのせいで、神経症的症状として、全共闘やオウムのような社会問題が発生したんだ」と思いついたのです。

 また、岸田氏が、「精神分析は個人の歴史を紡ぎあげることであり、歴史学や考古学の方法論と本質的に同等である」と述べられたことも思い出しました。

 このとき、私の頭のなかで、バラバラだった鎖が一つにつながりました。
 つまり、「私自身の心の問題を解決するためには、私自身の心の歴史を記述していけばいい」と思いついたのです。こうして「サイストリー」の元型が誕生しました。

 そして私自身、サイストリーを実践し始めました。最初のうちは、方法論上の試行錯誤ばかりでしたが、方法論がある程度確立されてくると、まさに驚異の連続でした。恐ろしいほどに、サイストリーの効果は絶大だったのです。

 次から次へと、抑圧された内容が浮かんできました。私自身の自己認識を根本から覆すような重大な内容も、いくつもありました。そのような内容が意識化できるたびに、大きな開放感を得られました。



 私の場合、一区切りついたと実感できたのは、40万文字程度まで記述が進んだときでした。その後は、不自由な心に悩まされることが極端に少なくなり、いつでも気楽な状態でいられるようになりました。

 身体面でも、著しい改善が見られました。
 サイストリー実践前は、年に数回風邪をひいていました。しかも、そのうちの1回か2回は、治るまでに1ヶ月以上もかかるという有様でした。また、便秘や下痢にも、いつも悩まされていました。

 そんな私が、サイストリー実践後は、まるで嘘のように風邪をひかなくなったのです。たまに軽い風邪をひくことはあっても、すぐに治るようになりました。便秘や下痢も、かなり軽減されました。

 様々な好ましい効果がいくつも得られ、精神面でも身体面でも、大きな自信を持てるようになりました。やっと、私自身の心の問題が解決できたわけです。

 そして、「サイストリーを体系化し、わかりやすく理論化すれば、誰でも私と同じ効果が得られるに違いない」ということを思いつきました。
 そうしてできあがったのが、本書というわけです。



 やがて、サイストリーの方法論がある程度確立された段階で、あることに気づきました。
 それは、丸山圭三郎氏が他界される直前まで展開されていた「生の円環運動」理論が、サイストリーの根底にあったということです。

 「生の円環運動」というのは、意識と表層と深層のあいだの円環運動を指します。
 丸山氏によれば、この円環運動を続けることが本当の意味で生きるということであり、もし滞ってしまった場合、狂気に陥ることになります。

 サイストリーの実践も、意識の表層と深層のあいだの円環運動だと考えることができます。
 また、偽りの歴史のなかで停滞した人生を過ごしている人は狂気に陥っている、と考えることもできます。
 さらに、サイストリーを実践することが、本当の意味で生きることになる、とも考えられるわけです。

 「生の円環運動」理論を初めて読んだとき、本当に心から感銘を受けました。
 きっと、そのときの強い感銘が心の奥で少しずつ具現化していって、サイストリーとして結実したのでしょう。



 サイストリーは、まだ生まれたばかりの方法論です。これからも研究し続けなくてはならないところが、いくつも残っています。そのため、本書のなかでお話しした内容は、今後どんどん変わっていく可能性があります。

 たとえば、脳科学は近年もっとも発展著しい分野ですが、まだまだ解明されていないことがたくさんあります。
 特に心と脳の関係(心脳問題)は、21世紀の中心的課題だといわれています。

 ここまで何度もお話しした大脳辺縁系の記憶というのも、実のところハッキリと解明されているわけではありません。
 もちろん、扁桃体を中心にした大脳辺縁系が危機的状況の判断を行い、情動発生処理を行うことは、かなりハッキリと分かっています。
 しかし、そのときの判断の材料となる記憶が大脳辺縁系にあるのかどうかは、よくわかっていないのです。

 もしかしたら、大脳辺縁系にあるのではなく、ほかの記憶と同じところ(側頭葉か、または脳全体)にあるのかもしれません。その場合には、大脳辺縁系が直接管理していて、情動と結びつけていると考えることもできます。

 つまり、同じ場所にあったとしても、機能的な違いによる2種類の記憶があると考えるわけです。
 一つは、大脳新皮質の管理下にあって、ふつうに思い出せる記憶です。
 そしてもう一つは、大脳辺縁系の管理下にあって、情動と結びついている記憶です。
 このように考えれば、記憶の場所は、脳内のどこにあっても構わないことになります。

 どちらにしても、記憶という現象自体が、まだハッキリとは解明されていません。
現段階では、21世紀の脳科学に託された、課題の一つにすぎないのです。



 今後も、脳科学は発展し続けることでしょう。いつかは、大脳辺縁系の判断の基準となる記憶の場所についても、解明されていくと思われます。

 脳科学と同じように、サイストリーの方法論自体も、発展させていきたいと思います。
 そして、より良い方法が見つかったとしたら、すぐに発表したいと考えております。

 実際にサイストリーを実践してみて、「こうしたほうがいい」とか、「これは止めた方がいい」などと感じられた方は、ご連絡ください。みなさんと一緒に、サイストリーを発展させていければ、私にとって、これ以上の幸せはありません。

 たくさんの人が、サイストリーの実践を通して自由な心を獲得していけば、今よりずっと暮らしやすい世界が実現することでしょう。それが私の最大の望みなのです。






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