Psystory

ball 第1節 不安と精神分析 (不自由な心、不安の悪循環、抑圧と神経症)



コントロールできない心
 私も経験がありますが、結婚式のスピーチなどを頼まれると、かなり緊張するものです。
 うまく話そうと思っても、せっかく覚えてきた内容を忘れてしまったり、結婚式にはそぐわない言葉を使いそうになったりと、自分で自分の心が制御できなくなってしまうのです。
 これはどうしてでしょうか。

 また、誰でも経験があると思いますが、誰かに恋をすると、その人と一緒にいるだけで緊張してしまい、うまくしゃべれなくなったり、行動がぎくしゃくしてしまったりします。そのせいで、わざと恋愛の相手を避けたりもします。

 本心では、相手と仲良く話したいし、ずっと一緒にいたいのですが、なぜかそうはできないのです。
 スポーツでも緊張をし出すと、自分の心がコントロールできなくなってしまいます。
 練習のときには簡単にできることが、いざ大切な試合というときに限って、できなくなってしまうのです。
 それは、プロと呼ばれる人たちであっても変わりません。

 私はプロ野球観戦が大好きですが、試合を決めるような大事な場面での緊張感は、プロ野球観戦の醍醐味の一つでもあります。
 こうした場面を見ていると、プロの選手であっても、極度の緊張から、実力を発揮できないこともあるように見えます。

 こんな場合、よくプレッシャー(重圧感)という言葉が使われます。試合を決めるような場面ですと、重い責任が選手にかかってくるので、そのプレッシャーのせいで緊張してしまうのです。
 しかし、プロの選手ともなると、そんなことを言っていられません。その緊張感に打ち勝ち、結果を出せるからこそ、プロだとも言えるからです。

 もし、プロの選手が緊張感に打ち勝つことができず、結果を出せなければ、すぐにクビになってしまいます。それがプロの厳しさでもあり、プロのプロたるゆえんなのです。
 みなさんも、そんな選手を、もうずいぶん知っているでしょう。

 ここで少し考えてみてください。
 私たちはどうして、自分自身をコントロールできないのでしょうか。
 どうして自分自身がこうしようと思っていることを、その通りにできないのでしょうか。

 なかには、「それが人間というものだ」とか、「そんなの当たり前だ」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
 確かにその通りなのですが、それでも少し考えてみてください。

 もう、気づかれた方もいらっしゃるでしょう。
 それは、不安を持ってしまうからなのです。

 たとえば、結婚式のスピーチを頼まれた場合など、「うまく話せるだろうか」とか、「言ってはいけないことを言ってしまうのではないか」といった不安が、頭をもたげてくるからなのです。

 恋をしたときには、「もしかしたら相手は、私のことを嫌っているのではないか」といった不安にさいなまれます。スポーツでは、「失敗したらどうしよう」といった不安です。

 この不安が、私たちから自由を奪っているのです。

不安の悪循環
 よくスポーツの試合で、緊張している選手に向かって「リラックス、リラックス」などと呼びかけるのを聞きます。

 このリラックスという言葉は、緊張の反対語で弛緩とかくつろぐという意味です。
 しかし、選手のなかには、そう言われてもリラックスできない人もいます。また、ふだんは緊張しないような人でも、突然緊張し出したりすることもあります。

 こんな場合、選手は自分自身に「リラックスしなくちゃ」と言い聞かせたりします。
 それでも緊張が取れない場合、今度は「リラックスできなかったらどうしよう」などという新たな不安が起き、かえってよけいに緊張してしまうこともあります。そうなると、体が思うように動かなくなり、注意も散漫になってしまいます。

 そうなってしまったときの選手は、本当に悲惨です。
 リラックスしようと焦れば焦るほど、どんどん不安感が募ってきて、悪循環に陥ってしまうのです。
 一度陥ってしまうと、悪循環から抜け出すのは、至難の業と言ってもいいでしょう。
 この悪循環は、プロ野球の試合でも、たまに見ることができます。

 それまで調子の良かったピッチャーが、突然ストライクが入らなくなり、フォアボールを連発してしまいます。そうして焦り始めると、ますます投球のコントロールが定まらなくなり、結局は自滅していくといった場面です。

 プロ野球の選手なら、緊張する場面には慣れているはずです。
 そのプロ野球選手でさえも陥ることがあるくらいですから、こうした不安による悪循環は、誰にでも起こりうると考えてもいいでしょう。

 たとえば、結婚式のスピーチの例に戻すと、緊張しながらもなんとか話し終わればいいのですが、途中でまったく言葉が出てこなくなってしまう人も、たまにいます。
 これは不安の悪循環に陥ってしまっていると考えられます。

 恋愛の例では、本当は大好きなのに、どうしても不安にとらわれてしまい、相手を避け続けたために、結局は片思いのまま失恋、ということにもなってしまいます。これも悪循環と言ってもいいでしょう。

 本当に不安とは、厄介なものです。

 さて、ここまで緊張の原因を不安として考えてきましたが、世の中にはこうした不安とは無縁のように見える人たちがいます。

 結婚式のスピーチでも、ずいぶんうまい人がいます。
 恋愛も器用にこなす人たちがいます。
 スポーツでも、いつでも力を出し切り、誰もが緊張するような場面を、かえって楽しんでいる人たちもいます。

 こういった人たちは、自分自身の心と体を、完全にコントロールできているように見えます。
 その一方では、プレッシャーに弱く、緊張するような場面から、いつも逃げ回っている人たちもいます。
 どうして同じ人間なのに、これほど違っているのでしょうか。

 ここでもう少し不安について、深く掘り下げて考えてみましょう。
 先ほど不安の原因を、「うまく話せるだろうか」、「言ってはいけないことを言ってしまうのではないか」、「もしかしたら相手は私のことを嫌っているのではないか」、「失敗したらどうしよう」などと考えてしまうところにある、とお話ししましたが、実はこれらが不安の本当の原因ではない場合もあります。

 もし不安の本当の原因が「うまく話せるだろうか」というものであれば、「別にうまくなんか話せなくてもいい」と思うことができれば、不安は解消するはずです。

 同様に、「言ってはいけないことを言ってしまうのではないか」というものであれば、「いまどきの結婚式なら、なにを言っても大丈夫だろう」とか、「別れるとか、離れるとかいった言葉だけ使わなければいいんだ」と思えれば、やはり不安は解消するはずです。

 「もしかしたら相手は私のことを嫌っているのではないか」という不安なら、「実際に聞いてみなければ、相手の本心なんてわからない」と思えれば、別に不安にならなくてもいいはずです。
 「失敗したらどうしよう」という不安なら、「失敗しても構わない」と思えれば、不安は消えるはずです。

 ところが、不安の悪循環に陥っている人に、そんなことを話しても、ほとんどの場合ムダなだけでしょう。
 つまり、悪循環に陥るような不安の場合、原因はほかにあると考えられるのです。

 誰でも、なにかを始めようとするときには、不安を抱くものです。
 そのため、身近にいる人に相談したり、なんらかの努力をして、なんとか不安を回避しようとします。
 そんな状態をしばらく過ごしているうちに、慣れも手伝って、だんだん不安感が薄れてきます。

 このような経験を、さまざまな場面で積み重ねていくうちに、誰でも不安に対処する方法を学んでいくわけです。

 しかし、不安のなかには、どうしてもうまく対処できない不安もあります。
 こうした不安は、たいてい突然やってきます。自分の意志とは、まったく無関係です。そして、私たちの心と体を縛りつけてしまい、自由を完全に奪ってしまうのです。

 このような不安に襲われたとき、誰でもそれまでの経験を足がかりに、一生懸命その原因を考えます。

 結婚式のスピーチであれば、「うまく話そうと思うからいけないんだ。別にうまく話せなくても構わないんだ」と自分に言い聞かせたりします。
 ところが、それをいくら自分に言い聞かせても、不安感は去ってくれません。もうこの頃には、相当に焦っています。

 懸命にほかの原因を探そうとしてみるのですが、どうしても思いつきません。スピーチの時間が刻一刻と近づいてきます。もう頭のなかはパニックです。仕方がないので、「リラックス、リラックス」などと呪文のように自分自身に言い聞かせたりします。

 そんなことをしているうちに、スピーチの内容をすべて忘れてしまっていることに気づきます。
 これが、不安の悪循環です。

 不安の悪循環に陥ってしまうのは、不安の原因がわからないからです。このことは大変重要です。もし、なんらかの理由から不安になったとしても、その原因さえハッキリとわかれば、少し考え方を変えるだけで、不安は解消するはずだからです。

 たとえば、結婚式のスピーチで不安になったとしても、その原因が「ほかの人よりうまく話そうとしていた」のだとハッキリわかれば、先ほどと同じように「うまく話そうと思うからいけないんだ、別にうまく話せなくても構わないんだ」と思うことができたとき、不安は解消するはずです。

 そうできないのは、不安の原因がわからないからです。

抑圧と神経症
 では、どうして不安の原因がわからないのでしょうか。
 答えは簡単です。不安の本当の原因となったある出来事を、思い出せないからです。
 これが精神分析でいう抑圧です。

 こうした抑圧の原因となるような出来事は、ほとんどの場合、思春期前までの幼少期に経験します。
 結婚式のスピーチなどでひどく緊張する人は、人前でひどく心を傷つけられた経験があるからだと考えられます。
 そのときの状況が思い出せないために、同じような場面に遭遇したとき、強烈な不安に襲われてしまうのです。

 このように、思い出せない経験によって行動を束縛されている状態は、誰にとってもひどく苦しいものです。ときには、日常生活に支障が出てくることもあります。
 そうなってしまった場合を、一般的に神経症(不安障害や強迫性障害、パニック障害、身体表現性障害、心気障害、解離性障害なども含みます)と呼びます。

 この抑圧神経症の関係を最初に発見したのは、精神分析の創始者として有名なフロイトです。
 フロイトは、当時の時代背景やフロイト自身の経験から、神経症の原因を、すべて性的な事柄と結びつけて考えていました。

 確かにフロイトの時代には、性的なことはすべてタブーとされていたため、神経症の原因として、性的な事柄が多かったのは事実でしょう。
 しかし、その後時代は変わりました。現代では、フロイトの弟子たちやさまざまな心理学者たちが、神経症の原因について、もっと幅広く考えるようになっています。

 それでも、神経症の基本的な考え方に変わりはありません。
 思い出したくないようなつらい記憶を、無意識のうちに忘れようとしている、つまり抑圧しているということです。

 少し詳しくお話ししてみましょう。
 たとえば幼少の頃、一生懸命なにかに取り組んだのに、失敗してしまったというような経験は誰にでもあるでしょう。
 そんなときに、まわりにいる大人たちに暖かく励まされれば、なにも問題はありません。

 ところが、そこで嘲笑されたり、わざとらしく失望のため息をつかれたりすれば、誰でも傷つくものです。
 特に、大切だと思っている親などにそうされた場合には、ひどく傷ついてしまうでしょう。
 そんなとき、親に見捨てられたと感じてしまうかもしれません。
 子供にとって、親に見捨てられたという事実は、とてもつらく悲しいものです。簡単に受け入れられるものではありません。

 言葉が充分に発達した大人であれば、親に見捨てられたという事実を正面から受け入れ、その耐えがたい状況を解消することもできます。
 たとえば、「今回は親に見捨てられるようなことをしてしまったが、すぐにほかのことでばん回できる」などと考えられれば、それで解消するはずです。

 ところが子供は、言葉が未発達なため、耐えがたい状況を解消するような思考ができません。さらに、子供にとっての親の存在というのは、絶対そのものです。
 その親に見捨てられたという気持ちを持ち続けることは、至難の業でしょう。

 そんなことから、子供は、見捨てられてしまったという気持ちを、なかったこととして忘れようとします。つまり抑圧です。






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