Psystory

ball (第1節の続き) (葛藤と不安、幼少期の不幸な体験、不安の克服)



葛藤と不安
 しかし抑圧という方法は、記憶の一部を無視または否定することですから、どうしても精神的に不安定な状態になります。
 現実に起こった事実は、本来否定しようがありません。いくら無視したり否定したりしても、心の奥底では事実だとわかっているのです。

 自分自身が、意識上の偽りの自分と、心の奥底に抑圧した現実の自分に別れてしまうと考えてもいいでしょう。その二つの自分は、もちろん矛盾し合っています。
 このような状態を、精神分析では葛藤といい、不安の原因とされています。

 この不安から逃れるためには、すべてを思い出し、親に見捨てられたというつらく悲しい事実に直面しなくてはなりません。それは、とても耐えがたいことでしょう。そのせいで、抑圧し続けることになってしまうのです。

 つまり、親に見捨てられたという事実に直面して耐えがたい状況に陥るよりも、抑圧して葛藤の不安に悩まされる方を選ぶというわけです。

 いくら不安であっても、なにかほかのことに夢中になっているときには忘れることができますし、ほかのことで親に認められることもあるかもしれません。
 そうして、親に見捨てられたというつらく悲しい事実から、目をそらすわけです。

 このような抑圧された体験というのは、心の奥底にずっと残っています。そして、あるとき突然、心に傷を負ったときと同じような状況に置かれたとき、心の奥底で以前味わったつらく悲しい体験が、刺激されて暴れ出すのです。

 これは大変な状態です。
 過去のつらく悲しい体験が意識上に上ろうとするため、抑圧を強めなくてはなりません。
 つまり、強い葛藤状態に置かれるわけです。心の奥で強い葛藤が起こると、精神力がその葛藤に使い果たされてしまいます。

 この強い葛藤が、意識上に強烈な不安として現れてきます。さらに、精神力が使い果たされているため、なにかに集中することもできません。

 この状態が不安の悪循環なのです。

 不安の悪循環に陥ったとき、心の奥深くでは、「どうせぼくは親に見捨てられた、どうしようもないヤツなんだ。なんにもまともにできやしない。いまのような大事な場面では、きっと失敗するに違いない。あきらめろ」というような言葉が渦巻いていると考えてもいいでしょう。

さまざまな幼少期の不幸な体験
 ここまで、幼少期の不幸な体験として、親から嘲笑されたり失望されたりした場合についてお話ししましたが、もちろんほかにもいろいろなケースが考えられます。

 たとえば、小学生の頃、大勢の同級生たちを前にして、なにかを発表したとします。
 そのとき、自分では一生懸命発表したつもりだったのに、教師にひどくけなされ、同級生たちの笑いものになってしまったとしたら、とてもつらい体験になるでしょう。

 このような体験をどうしても認められず、抑圧してしまうと、どうなるでしょうか。
 もうおわかりでしょう。
 人前で話をするということが、とても困難になってしまうのです。
 もし、どうしても人前で話をしなければならなくなった場合には、不安の悪循環に陥りやすくなってしまいます。

 こんなケースはどうでしょう。
 幼少の頃、大好きだった異性の友だちに、自分の気持ちを素直に伝えたとします。
 そこで、相手に毛嫌いされて、ひどくけなされてしまったとしたら、かなりつらい体験になるでしょう。
 このような体験を抑圧してしまうと、どうなるでしょうか。

 きっと心の奥底で、「私はどうせ、好きになった人から嫌われるんだ。だから絶対に、気持ちを相手に伝えてはいけない。そんなことをしたらひどく傷つくだけだ」と考えるようになり、無意識的に自分自身を縛りつけてしまうでしょう。
 こうしたことが、片思いのままの失恋の原因だと考えられます。

 幼少期に不幸な体験をしている人は、かなり多いはずです。
 こんなふうに言うと、なかには、「私にはそんな経験がない」とか、「おれには関係ない話だ」などと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかしもう一度よく考えてみてください。

 もし、幼少期の不幸な体験を抑圧しているとしたら、簡単には思い出せません。
 そんな場合には、偽りの歴史を作ってしまっていると考えられます。

 この偽りの歴史とは、抑圧された体験がすべてなかったこととして偽造された歴史のことです。
 人生を振り返ってみて、すぐに思い出せる事柄を並べたものが、ほとんどの人にとって、偽りの歴史にほかなりません。

 ほとんどの人は、偽った自分自身の歴史を、自分の人生だと自己欺瞞しているのです(偽りの歴史については、あとで詳述します)。

 先ほど挙げた幼少期の不幸な体験の事例は、どれもわかりやすいものばかりです。
 しかし実際の人生では、簡単には説明できないような、ごくごく個人的で複雑な事件が、たくさん起こっています。
 そんななかで、抑圧せざるを得なかったような事実がいくつもあったに違いありません。

 特に幼少期には、言葉が未発達で、うまく思考が働きません。そのため、耐えがたい状況に直面したとき、それを解消するような思考ができないのです。
 そうした理由から、どうしても抑圧することになってしまいがちです。

 幼少期の不幸な体験の抑圧は、その後の人生に多大な影響を残します。
 たとえば小学生や中学生のとき、ちょっとしたことで怒ったり泣き出したりする子が、まわりにいなかったでしょうか。
 あるいは、ありふれた言葉なのに、ひどく傷ついてしまう子供が、まわりにいなかったでしょうか。

 そうした子供は、そのちょっとしたことやありふれた言葉に関係した、抑圧された体験があると考えられます。そのせいで、異常なまでの反応を示してしまうのです。

 それだけではありません。その異常なまでの反応のせいで、まわりの子供たちから、さらに傷つけられたり敬遠されたりして、また新たな心の傷をつくってしまうことにもなりかねません。
 そうなると、新たな耐えがたい状況から、また新たな抑圧が発生することにもなってしまいます。

 このように、抑圧された幼少期の不幸な体験は、次から次へと心の傷と抑圧を増やし続ける元凶ともなるわけです。

 また、人前で話せなくなったり、大事なスポーツの試合で失敗を繰り返したり、好きな異性から逃げてばかりいたりすると、そんな不自由な自分自身をさげすんだり否定したりするようになります。
 この状態はとても苦しいものです。

 この苦しみから逃れるために自己蔑視や自己否定を抑圧すると、もう本当の自分が何者なのかよくわからなくなってしまいます。
 いつも虚無感にさいなまれ、なにをしてもうまくいかず、自分自身や他人を傷つけたり、いわゆる無気力の状態に陥ってしまうのです。

不安の克服と精神分析
 もちろん成長過程のなかで、そうした不安を克服できる人もいます。

 たとえば、人前で話すとき、いつも不安に悩まされていたとしましょう。その不安を押し切って何度もチャレンジしていくうちには、少しずつでも話せるようになります。
 そうして一度だけでもなんとかうまく話せたとき、「私は人前で話すことができる」という自信がつきます。

 あとは、その自信を強化するために、何度もチャレンジして、どんどん「うまく話せた」という実績を積み重ねていけばいいのです。
 それは、スポーツの試合でも、恋愛でも、同じことです。

 不安を押し切って何度も果敢にチャレンジしていけば、いつかは慣れも手伝って、かなり不安を軽減できるでしょう。

 もちろん、いつでもうまくいくとは限りません。かえって心の傷を深くしてしまうこともあります。
 それでも、たった一つでも自信を持てるものができれば、人生はずいぶんと楽しくなります。
 それを足がかりにして、ほかのものにもチャレンジしていく気力が生まれるからです。

 そして、いろいろなものにチャレンジしていって、結果的にいくつかのことには自信を持てるようになるかもしれません。
 また、そのほかのいくつかのことはどうしてもうまくいかず、不安感を克服できないで、避けるようになるかもしれません。

 成長過程をこのように過ごしていって、結果として得意なことと苦手なことがいくつかずつできてくる、こうした人が、大多数なのではないでしょうか。

 なんとなく避けていることがあったり、思い浮かべたとたんに不安を感じてしまうようなことの背景には、まず間違いなく、なんらかの抑圧があると考えられます。
 さらには、不安の悪循環に陥った経験があるとすれば、その原因は確実に抑圧によるものです。

 また、成長過程のなかで特定の場面での不安を軽減できたとしても、さらにはその不安を克服して自信を持てるようになったとしても、抑圧された内容はそのまま残ってしまう場合がほとんどだと考えられます。

 自信を持てるまでに不安を克服した場合、以前はどうしてあれほどひどく不安になってしまったのか、不思議に思うこともあるでしょう。そうして深く思考をめぐらしているうちに、まれには、幼少期の不幸な体験について思いつくこともあるかもしれません。

 しかし、単純に思いついただけでは、抑圧されたすべての内容を完全に意識化したことにはなりません。
 どちらにしても、当時の耐えがたい状況を意識上で再現して、言葉によって解消していく、という過程がなければ、完全に抑圧が解けたことにはなりません。

 さらに、思いついた幼少期の不幸な体験を引き起こす原因となった、もっと過去の不幸な体験があるかもしれません。
 こうした不幸な体験は、何度もさまざまな場面で起きていて、複雑にからみ合っている場合が多いのです。

 結局、ある不安を克服したと思っていても、完全に抑圧を解かない限りは、不安の原因はなくなりません。
 あるとき突然、なんの前触れもなく、まったく関係ないと思われるような場面で不安に襲われる、ということにもなりかねないのです。

 正体不明の不安から完全に逃れようと思ったら、抑圧された内容をすべて思い出すことがどうしても必要となります。
 そうして耐えがたい状況を意識上で再現し、それを言葉によって統合していくしか方法がありません。
 さらには、その耐え難い状況を引き起こした原因である、やはり抑圧されたもっと以前の不幸な体験を、意識化して統合しなくてはならない場合も多いでしょう。

 このように、抑圧された過去の経験を意識化して統合するという作業は、とても困難なものになります。

 この方法を実践してきたのが、精神分析です。
 しかし精神分析には、大きな欠点があります。それは、膨大な時間がかかるということです。

 一つの抑圧された内容を意識化して統合しても、あまり良くなったという実感が持てません。
 また、次から次へと抑圧された内容が出てくるため、いつまで経っても終わらなくなってしまうのです。

 抑圧された内容にも、いろいろなものがあります。
 そのうちの、もっとも人生に与える影響が大きい、言い換えれば、もっとも悪質な抑圧の内容が見つかるまでは、精神分析の効果があまり実感できません。

 実はサイストリーというのは、この精神分析と同じことを、短期間で手軽に行える方法だとも言えます。
 つまり、サイストリーを実践することで、抑圧された記憶の再現とその統合が、短期間で簡単にできるのです。
 だからこそ、心と体と健康法となるわけです。

 ここまでは、不安について、精神分析を中心にお話ししてきました。今度は脳科学の立場を中心に、もう一度不安について考えて見ましょう。






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