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ball 第2節 不安と脳科学 (脳の構造と進化、前頭前野、生命、大脳辺縁系の記憶)



脳の構造と進化
 近年、特に進歩が著しい学問に、脳科学があります。以前はまったくの謎だった脳について、最近かなり細かいところまで解明されてきたのです。

 この節では、最近の脳科学の知見に基づいて、不安というものを、もう一度考えることにしましょう。

 まず、生物としてのヒトは、動物の延長として考えることができます。それは、脳についても言えることです。
 脳の構造からみても、ヒトとほかの動物とでは、共通点が多いことが分かっているからです。

 また、ヒトを進化の最高の状態だとすると、進化にともなって、脳が徐々に巨大化していることがよくわかります。
 この脳の巨大化を下等動物から高等動物への進化の過程、つまり系統発生として考えると、古い脳に新しい機能を持った脳が、次々とつけ加わっていったと見ることができます。

 一番原始的な脳は、爬虫類にもある脳で、脳幹大脳基底核です。
 次は、鳥類や下等哺乳類になって発達してきた大脳辺縁系です。
 そして最後に、高等哺乳類になって発達した大脳新皮質です。

 このように、次々と新しい脳がつけ加わっていったのは、以前からある脳の機能を、より高度化するためだと考えられています。
 したがって、あとからつけ加わった上位の脳は、以前からあった下位の脳を、よりきめ細かにコントロールする機能を受け持っていると推測することができます。

 実際、脳のこうした階層性は、脳科学のなかで明らかにされつつあります。
 たとえば、脳の神経線維の配線を細かく調べていくと、あとから追加された上位の脳が、以前からあった下位の脳をコントロールしている配線が見つかっています。

 まず、一番原始的な脳幹と大脳基底核ですが、生物としての個と種の保存に関するさまざまな機能をつかさどっています。
 具体的には、食欲とか性欲、なわばり、仲間づくり、攻撃、危険回避など、動物の持っている本能そのものです。

 しかし、脳幹と大脳基底核だけでは、外界の刺激に対して、決まりきった反応しかできません。
 爬虫類では、これより上位の脳がほとんどないため、こうした本能的行動がそのまま現れるだけです。

 大脳辺縁系では、恐怖や怒り、嫌悪、愛着、喜び、悲しみなどの情動といわれる、動物でも持っている感情をつかさどっています。
 たとえば、空腹のときには空腹の情動を感じます。
 近くで大きな音がすれば、恐怖を感じます。
 自分のなわばりを侵犯されれば、怒りを感じます。

 大脳辺縁系のコントロールがあると、いつも決まりきった行動とはなりません。
 さまざまな状況に応じて行動に変化が生まれます。

 空腹のときには、まず空腹の情動が発生します。そして、そのときの状況に応じた方法で、餌を探し始めます。
 なにかの刺激によって恐怖の情動が発生した場合でも、そのときの状況に応じて、すぐに逃げ出したり、安全な場所に隠れたりします。怒りの情動の場合でも同様です。

 鳥類や下等哺乳類では、これより上位の脳がほとんど発達していないため、情動によって、ほとんどの行動が引き起こされます。

 情動の働きのおかげで、決まりきった行動から解放されたとはいっても、まわりの状況の変化に対応した行動が、多少可能になったという程度のものでしかありません。

 最後につけ加わった大脳新皮質には、状況に応じて適切な行動をするための高度な学習能力があります。
 この高度な学習能力があるからこそ、高等哺乳類特有の高度な状況判断と、より合理的な行動が生まれてくるのです。

 大脳新皮質はその解剖学的な位置によって、後頭葉、側頭葉、頭頂葉、前頭葉の四つに大別されます。

 後頭葉は視覚、頭頂葉は運動や体性感覚、側頭葉は高次の視覚や言語や記憶、前頭葉は意欲や興味の維持、高次の判断、脳のほかの部分に対する抑制を主としたコントロールなどを受け持っています。

 また、それぞれに連合野と呼ばれる、一番あとからつけ加わった部分があり、より高次の処理を行います。

 特に前頭葉の連合野である前頭前野前頭葉連合野前頭連合野前頭前連合野とも言います)は、自我とか意識の座ともいわれ、ヒトでもっとも大きく発達しています。

 この前頭前野へ、大脳新皮質のほかの連合野から、情報が集められる神経線維が見つかっています。
 また、前頭前野からほかの連合野をコントロールする神経線維も見つかっています。
 つまり、大脳新皮質全体のなかでも、前頭前野が、もっとも高次の処理をしているというわけです。

前頭前野のコントロールと生命の大原則
 前頭前野を中心にした前頭葉のコントロールは、下位の脳全体におよびます。
 たとえば、高等哺乳類では、空腹で、しかも食物がすぐ目の前にあったとしても、いつでもすぐに食べるということはありません。
 まずは、食べていても安全かどうか、まわりを確かめます。
 次には、仲間との関係などの社会性から、自分が食事をしてもいいかどうかの判断があります。

 このように、下位の脳で、個と種の保存という生命の大原則にのっとって食事を摂ることを求めたとしても、前頭葉でそれを禁止したり抑制したりして、コントロールしているのです。

 私たち人間は、もっとも進化した脳を持っています。
 それは、最上位の脳である大脳新皮質、なかでも前頭前野を中心にした前頭葉が一番発達している、ということでもあります。
 そのため、下位の脳から発される本能や情動に基づく欲求を、そのまま行動に移すことはまずありません。

 ただ、下位の脳から発せられる欲求は、生命の大原則である個と種の保存から発せられるため、とても強力なものです。いつでも大脳新皮質のコントロールがうまく行くとは限りません。
 ときには、下位の脳が上位の脳を完全に支配してしまうこともあります。

 たとえば、空腹感がひどいのに仕事などの都合で食事が摂れないときは、とてもつらいものです。
 それでも、「この仕事さえ終われば、すぐにたっぷりと食事を楽しめる」などと思えれば、ずいぶん楽になります。

 こうした思考によって、大脳新皮質は下位の脳をコントロールしようとします。

 しかし、血糖値が極端に下がってきて生命の危険を感じるようになると、下位の脳も黙ってはいません。あらゆる手段を使って、生命の大原則を守ろうとします。
 特に種の保存の前提である個の保存に関しては、非常に強い作用を生み出します。

 そんな場合、下位の脳が支配している内分泌系や自律神経がよく使われます。
 たとえば冷や汗を出したり、呼吸や鼓動を速めたりして、ふつうの行動ができないようにします。そうしてなるべく体力を消耗しないようにし向けるわけです。

 さらに内分泌系は、さまざまなホルモンを分泌して内臓に命令し、脂肪を分解して血糖値を少しでも上げようとします。

 また、下位の脳は身体に対するさまざまな処置をすると同時に、脳内に危険を知らせる大量の神経ホルモンを分泌します。
 それが不安として感じられるものなのです。

 もう少し脳と不安の関係について、詳しくお話ししましょう。
 脳に入ってくる五感からの情報は、まず脳幹の一部である視床を経由して、大脳辺縁系と大脳新皮質に送られます。
 このように、視床は、脳内の情報の流れを交通整理し、必要な場所に振り分ける役割を担っています。

 大脳辺縁系では、扁桃体と呼ばれる部分を中心にして、送られてきた情報から情動発生処理を行います。

 大脳新皮質では、最初に感覚野というところに情報が入ります。そこからそれぞれの連合野へと情報が流れ、知覚処理が行われます。
 そして最後に、前頭前野で高次の判断が下されます。

大脳辺縁系の情動発生処理と大脳新皮質の知覚処理
 大脳辺縁系の情動発生処理とは、生命の大原則にとって好ましいものか好ましくないものかを判断することだと言えます。
 好ましいと判断したときにはの情動を発生し、好ましくないと判断したときには不快の情動を発生します。

 快の情動とは、うれしさや楽しさ、満足といったものです。どれもが、生命の大原則にかなうものであり、簡単に理解できるでしょう。

 不快の情動については、少し説明が必要です。
 不快の情動は、怒り、恐怖、悲しみ、不安などを指します。これらは、一見、まったく異なるもののように感じますが、生命の大原則に反するという意味では、あまり変わりません。

 怒りというのは、生命の大原則に反する事実に対して、自分の力で変えることができると判断したときの情動です。
 そのため、身体を攻撃態勢にし、能動的にその事実を変えようとします。

 恐怖というのは、生命の大原則に反する事実に対して、自分の力では変えることができないと判断したときの情動です。そのため、なんとかその事実を避けようとしたり、逃げ出そうとしたりします。
 もし、避けられないと判断した場合でも、なるべくダメージを減らすような態勢をとります。
 また、その苦痛があまりにも激しいと予想される場合には、気絶して苦痛を感じなくすることもあります。

 悲しみというのは、生命の大原則に反する事実に対して、受け入れざるを得ないと判断したときの情動です。
 その事実を能動的に変えることもできず、また、その事実から逃げ出すこともできない、というときに感じるあきらめの情動です。

 不安というのは、生命の大原則に反すると感じることは感じるのですが、なにがそう感じるのか、または、どうしてそう感じるのか、まったく見当がつかない状態です。
 したがって、不安の対象や理由がハッキリわかった場合には、怒りや恐怖、悲しみなど、ほかの情動に移行することになります。

 この大脳辺縁系の情動発生処理は、非常にスピーディーに行われます。
 生命の大原則に反するかどうかの判断ですから、速ければ速いほどいいわけです。
 そのため、処理自体は、とても大ざっぱに行われます。さらに必要であれば、すぐに筋肉に命令が発され、反射的行動となります。

 たとえば、ボールなどが突然目の前に飛んできたり、自動車が高スピードで近づいてきた場合に、不安や恐怖に駆られると同時に、反射的に避けようと体が動きますが、それはこうした脳の処理によって引き起こされます。

 また、大脳辺縁系での情動発生は、脳幹の一部である視床下部という部位に伝えられます。
 視床下部は、別名生命脳とも呼ばれ、欲望と自律神経の中枢です。

 生命の大原則に反するような情動の場合、視床下部は、自律神経の一つである交感神経を興奮させ、動悸を速め、呼吸を促進し、副腎髄質からアドレナリンを分泌させ、血糖値を上げます。
 こうして、緊急事態に備えるわけです。

 大脳辺縁系や視床下部のこうした緊急事態による興奮は、脳全体の活性を調節する脳幹網様体という神経群も強く刺激します。
 この脳幹網様体からは、何種類かの神経線維が脳全体に張りめぐらされていて、それらの神経線維が大量の神経ホルモンを分泌します。

 そのなかで、アドレナリンは恐怖、ノルアドレナリンは怒り、セロトニンは不安を引き起こすと考えられています。

 この三種類の神経ホルモンの大量分泌は、前頭前野の一番の機能である首尾一貫した思考の流れを混乱させ、強い情動で支配しようとします。
 こうした方法で、大脳辺縁系以下の下位の脳は、生命を守ろうとするわけです。

 大脳辺縁系の情動発生処理と比べて、大脳新皮質での知覚処理は、きめ細かに正確に行われます。したがって、かなりの時間が必要です。

 この処理速度の差は、処理の段階数の差としても理解できます。
 情動発生は、ほんの2、3ステップの処理で終わりますが、大脳新皮質の知覚処理は、非常に多くのステップを要します。

 たとえば、視覚情報だけでも、見えたものがなんであるか認識できるまでに、5、6ステップも必要になります。
 さらに、認識したものに対する前頭前野の高次の判断まで行き着くためには、あと何ステップもの処理が必要です。

 つまり、私たちが実際に五感からの知覚情報を前頭前野で意識する前に、大脳辺縁系の情動発生処理は終わっており、先程お話しした神経ホルモンが脳内に分泌されているというわけです。

 したがって、意識の座である前頭前野では、いつでも情動の方を先に意識することになります。

 たとえば、屋内の暗がりのなか、誰もいないはずなのに、すぐ近くで人影が動いたような気がしたとします。
 すぐに大脳辺縁系は、恐怖や不安の情動発生処理をし、交感神経が興奮します。
 血圧が上昇すると同時に、ドキッとして心臓の鼓動が早くなります。さらに筋肉が緊張し、逃げ出す体勢を整えます。

 そうした恐怖や不安の情動発生と身体反応のあと、大脳新皮質のきめ細かな分析処理が終わり、前頭前野の判断が済みます。
 そして、やっと人影の正体が、大きな鏡に映った自分自身の姿だったと認識でき、「なーんだ」となるわけです。

大脳辺縁系の記憶
 さて、五感の情報の認識よりも先に情動発生処理が終わるとなると、人間の前頭前野(=意識)は、情動に強く左右されるということになります。

 つまり、大脳辺縁系の判断は非常に重要だということです。

 この重要な判断の根拠とは、一体どんなものでしょうか。
 まず、生命の大原則に関する記憶が、考えられます。これは動物と共通なため、本能と言い換えてもいいでしょう。
 しかし、それだけではありません。

 実は、前節でお話しした抑圧された記憶も、この記憶のなかに含まれると考えられるのです。
 生命の危険が間近に迫っている非常事態のときには、大脳辺縁系以下の下位の脳は、かなり劇的な方法を採ります。

 前頭前野が通常の判断をして行動に移すまでの長い時間を短縮するために、複雑な処理過程を極端に省いてしまうのです。

 たとえば視覚情報の処理では、必要ない色の認識や人物の判定、見えた物体がどんなものなのかといった高次の推論などは省かれます。
 また、前頭前野(=意識)で行う高次の判断も必要ないため、神経ホルモンによって活性を極度に落とします。

 このとき意識上は、強い恐怖と不安に支配されて、なにも考えられないような状態になっています。
 もちろん前頭前野も下位の脳をコントロールしようとしますが、情動のせいで活性を落とされ、肝心の思考能力を奪われているため、ほぼ無意識状態になってしまいます。

 先ほど少しお話しした、ボールが突然目の前に飛んできたり、自動車が高スピードで近づいてきたりした場合の行動は、このような処理に基づいた無意識的行動なのです。

 こうした処理とともに、大脳辺縁系は、生命の危機的状況を細かく記憶します。
 この記憶は、次に同じような場面に遭遇したとき、より正確に判断して、生命を守る可能性を少しでも高めようとするための学習でもあります。
 したがって、大脳辺縁系が判断するときの材料となるわけです。

 大脳辺縁系の記憶は、私たちがふつうに思い出す記憶とは形式が異なっていて、断片的で短絡的です。
 大脳辺縁系は、大脳新皮質のような高度な情報処理能力を持たないため、本能と同じように短絡的な判断しかできないからです。

 動物の本能というのは、ある刺激に対して必ずある行動が採られるというように、決まりきった反応です。情動というのも、ある刺激に対して必ずある情動というように、やはり決まりきった反応です。

 したがって、情動の脳である大脳辺縁系の記憶も、ある情報に対してある特定の情動というように、断片的で短絡的なのです。鳥類や下等な哺乳類の学習能力と同じ程度だと言ってもいいでしょう。

 それでも、生命の危険に関することですから、五感を通して入ってきた情報は、非常に細かいところまで記憶されます。

 たとえば、海で溺れてしまった場合、海水に浸かっている全身の感触、塩辛い海水の味、ぎらぎらした太陽の光、潮の香り、顔に当たる海風の感触、波の音、船の汽笛、けいれんした足の痛み、海草が足にからみつく感触、海水が肺に入り込んだときの息苦しさ、耳を満たすゴボゴボという音、咳き込んだときののどの痛み、海水を大量に飲んだための胃のむかつきなどの情報を、バラバラのまま大脳辺縁系が取り込みます。

 そして、それぞれの情報が、バラバラのまま、水難事故に関する一連の情報として、グループ化されます。
 さらに、そのグループの要素すべてに、「恐ろしい、痛い、苦しい」といった、水難事故に遭ったときの強い情動が結びついて記憶されます。

 このように、情動と結びついた一連の記憶のまとまりを、ユングは、コンプレックスと呼びました(コンプレックスに関しては、「きまぐれコラム」の「劣等感とコンプレックスの違いって?」に詳しい説明があります)。
 認知療法で言うスキーマも、だいたい同じものだと考えてもいいでしょう(スキーマに関しては、「うつ病との闘い方」のなかの「認知療法と認知のゆがみ・自動思考・スキーマ」のページをご参照ください)。

 さて、断片的で短絡的な記憶形式は、高度な状況判断ができないという難点はありますが、非常に素早い処理が可能だという長所もあります。

 大脳新皮質が未発達だった人類の祖先も、この学習機能を使って生き抜いてきたわけです。
 それは、現在の鳥類や下等な哺乳類でも変わりません。






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