Psystory

ball (第2節の続き) (抑圧と葛藤、記憶の再編、危機的状況、恐怖症の原因)



脳科学から見た抑圧と葛藤の仕組み
 私たちのように、大脳新皮質の発達により、高度な情報処理能力を獲得した人間の場合、大脳辺縁系の情動発生処理は、ときに非常にやっかいな状態を引き起こします。

 先ほどお話ししたように、危機的状況のときには、前頭前野(=意識)は活性を極度に落とされるため、ほぼ無意識状態になります。
 したがって、記憶も定かではありません。

 それを無理に思い出そうとすると、大脳辺縁系にある断片的な記憶を使わなくてはならないため、その記憶と結びついた情動も同時によみがえってしまうのです。

 そうなると、前頭前野(=意識)は、ふたたびつらく苦しい体験をしなくてはならなくなります。
 さらに神経ホルモンにより活性を落とされて、首尾一貫した思考の流れも乱され、高度な判断能力も失われます。

 このような状態は、前頭前野にとって、もっとも避けたいものです。そのため、前頭前野(=意識)は、生命の危機的状況について思い出すことを拒否しようとします。
 つまり、そんな事実はなかった、とするわけです。

 こうなった状態が、精神分析でいう抑圧に当たります。さらに、この抑圧が完璧に行われた場合を、一般的には記憶喪失(健忘)などと呼びます。

 さて、私たちはいつでも、さまざまな情報を五感を通して取り入れています。
 もし、そうした情報のなかに、たまたま大脳辺縁系の記憶の内容と同じような情報があった場合、どんなことが起こるでしょうか。

 先ほどの水難事故の例で、その記憶が抑圧されていて思い出せない場合を考えてみましょう。
 たとえば、近くで波の音が聞こえたとします。すると大脳辺縁系は、水難事故に遭ったときと同じような危機的状況だと判断し、その記憶と結びついている「恐ろしい、痛い、苦しい」という情動の発生処理をします。

 それでも、波の音だけであれば、そんなに強い情動にはなりません。突然嫌な気分に襲われたといった程度で済むでしょう。

 このように、大脳辺縁系が過去の危機的状況の記憶から判断して情動発生処理をした場合が、精神分析でいう葛藤に当たるでしょう。
 前節では「意識上の偽りの自分と、心の奥底に抑圧した現実の自分のせめぎ合い」とお話ししましたが、今度はそれが、「前頭前野と大脳辺縁系のせめぎ合い」になるわけです。

 さて、波の音だけでなく、さらにそのとき潮の香りや顔に当たる海風の感触、ぎらぎらした太陽の光などが大脳辺縁系にある記憶の内容と似ていたりすると、「恐ろしい、痛い、苦しい」という情動は、かなり強くなります。
 原因不明の恐怖感と苦痛にさいなまれ、強い不安に襲われるでしょう。

 そして、実際に海に入ったりして、ある程度以上の情報が大脳辺縁系の記憶と重なった場合には、溺れたときと同じくらいの強い情動に襲われることになります。
 原因不明の恐怖感と苦痛は耐えがたいものになり、発狂するのではないかと思えるほどになるでしょう。

 苦痛が実際の事故のときと同程度にまで達すると、記憶がよみがえることもあります。
 前頭前野(=意識)は、この苦痛が再現することを恐れて抑圧しているわけです。もし、その苦痛がすでに再現されてしまったのであれば、抑圧している意味がなくなります。
 そのため、記憶がよみがえるのです。

 記憶喪失や重度の神経症の治療のなかで、この原理を利用したショック療法という治療法がありました。
 患者を、問題となっている抑圧された事件と同じような状況に陥れ、そのときと同じ苦痛を味あわせて、記憶を復活させようとするものです。
 とても荒っぽく危険な治療法だったため、最近はほとんど行われていません。

大脳辺縁系の記憶を大脳新皮質の記憶として再編
 思い出したくなくても、正確な事故状況の判断のために、警察官などに報告しなければならない場合もあります。
 そんなとき、恐怖や苦痛にさいなまれながらも、混乱しそうな意識を意志の力で建て直し、必死になって思い出して言語化していくと、大脳辺縁系の記憶がどんどん少なくなっていきます。

 そうして、自由に思い出すことができる、首尾一貫したまとまった記憶が、大脳新皮質のなかにできあがっていきます。
 このことは、別の見方をすれば、大脳辺縁系が、短絡的に情動と結びつけて記憶した断片的な情報を、再評価するということにもなります。

 たとえば、波の音という情報も、自分自身が実際に海に入らなければ、生命の危険には結びつきません。潮の香りや顔に当たる海風の感触、ぎらぎらした太陽の光、船の汽笛なども、それだけでは生命の危険と直接結びつくものではありません。

 前頭前野(=意識)が言語化して、首尾一貫したまとまった記憶を作り上げていくと、そういったことは自然にわかってきます。
 そうして、大脳辺縁系も、生命の大原則に反する危険なものだという判断を変えるのです。

 一度生命の危険と関係がないと判断されれば、大脳辺縁系の情動発生処理から外されます。
 情動発生処理から外されれば、大脳辺縁系から削除されたと考えてもいいでしょう。

 どんなにつらいことでも、何度も誰かに聞いてもらっているうちに、ずいぶん気楽に話せるようになります。
 これは、前頭前野の言語処理によって、大脳辺縁系のバラバラな記憶が、大脳新皮質の首尾一貫したまとまった記憶に再編されていくためなのです。

幼少期の不幸な体験は危機的状況になる
 さて、ここまでは、生命の危機的状況ということから、わかりやすい水難事故の例でお話ししてきました。
 しかし、生命の危機的状況は、水難事故ばかりではありません。

 実は、前節で何度もお話しした幼児期の不幸な体験も、生命の危機的状況だと考えられるのです。
 たとえば幼少の頃、自分の失敗によって、大切な人に嫌われてしまったという経験について考えてみましょう。

 幼少の頃というのは、誰でも自分だけで生きていくことはできません。親などの保護者がどうしても必要になります。
 その保護者の愛情を得ることは、生存にとって有利な状態です。
 逆に嫌われるというのは、生存にとって不利な状態です。

 親の愛情を得ようと一生懸命やったことで、親から失望され嘲笑されれば、大脳辺縁系は、親に見捨てられたと受け取るでしょう。
 動物では、親に見捨てられたり、親とはぐれたりすることは、ほとんどの場合を意味します。

 つまり、本能的にみれば、親に見捨てられた状態というのは、生命の危機的状況になるわけです。
 そのため、水難事故でお話ししたのと同じような情動発生処理が起こり、無意識的に大脳辺縁系が、そのときの状況を記憶していきます。

 その記憶のなかには、親のさげすんだ顔、失望のため息、嘲笑、そのとき失敗した内容などが含まれていて、それぞれに「見捨てられてつらい、苦しい、もうダメだ」といった情動が結びついています。

 もちろんこうした事件は、水難事故などとは生命の危険の度合いが違います。
 もし充分に言葉が発達した大人であれば、そんなに苦労なく思い出して、首尾一貫したまとまった記憶に再編できるでしょう。しかし、しょせん子供には不可能な話です。

 それでは、自分の意見を発表したときに、教師や同級生にひどくけなされたという事件や、大好きな異性の友だちに毛嫌いされたという事件の場合は、どうなるでしょうか。

 教師というのも、子供にとっては大切な存在です。特に教師を慕っていた子供の場合には、親と同じような判断がくだされ、大脳辺縁系の記憶が増える可能性があります。

 同級生は、同種の仲間となります。動物では、同種の仲間から見捨てられることも、やはり生命の危機的状況に当たります。
 つまり、この場合も、本能的に危機的状況となるわけです。

 異性の友だちというのは、生命の大原則の種の保存に関係してきます。したがって、生命の大原則に反するということから、危機的状況と判断されるかもしれません。

大脳辺縁系の記憶の増加と恐怖症の原因
 このように、幼少期の不幸な体験は、本能的要素から危機的状況と判断されやすく、大脳辺縁系の記憶が増える可能性がとても高いと言えます。

 しかも、言葉が未発達なため、大人なら簡単に思い出して、首尾一貫したまとまった記憶に再編できるような事件でも、そのまま大脳辺縁系の記憶として保持されてしまいやすいのです。

 また、前節でお話ししたように、抑圧された記憶(=大脳辺縁系の記憶)のせいで不自然な行動を取ってしまい、そのことが原因となって、さらに新たな危機的状況に陥ることもあるかもしれません。そうなると、また、大脳辺縁系の記憶が増えてしまいます。

 思春期以後でも、たとえば肉親の死、いじめ、恋人との離別、事業の失敗、犯罪など、危機的状況に遭遇することがあります。

 こうしたときに、誰かに何度も話を聞いてもらったりして、しっかりと言語化しておくと、大脳辺縁系の記憶は増えません。

 もちろん思春期以後の場合でも、幼児期の不幸な体験がその根源にあって、そのせいで、危機的状況がよりひどいものになるということもあります。
 そんな場合には、大脳辺縁系の記憶が増えやすくなってしまいます。

 大脳辺縁系の記憶は、増えれば増えるほど、日常生活のなかで五感を通して入ってくる情報と一致する可能性が高くなります。
 そうして結局は、正体不明の怒りや恐怖、不安に襲われる危険性が高くなってしまうのです。

 また、大脳辺縁系の記憶は、断片的で短絡的です。そのため、断片化された記憶の内容のなかには、同じようなものが複数あることも充分考えられます。

 たとえば、2歳ですべり台から落ちて怪我をしたときのまわりのざわめき、5歳で迷子になったときの遊園地の雑踏の音、10歳でピアノの発表会で大失敗をしてしまったときの観客のざわめき、こうしたものはとても似ています。

 これらの体験が前頭前野(=意識)で思い出されることなく、大脳辺縁系にそのまま記憶されていた場合、ざわめきや雑踏の音を聞くと、とてもふつうの状態ではいられません。

 恐怖や悔しさ、悲しみ、寂しさ、恥ずかしさなど、さまざまな情動がいっぺんにわき起こってきて、複雑な葛藤状態に陥ってしまいます。
 さらに、その情動の正体がわからないため、強い不安に襲われます。

 こんなことが何度かあると、雑踏や騒がしい場所を、自然と避けるようになります。
 そして、「私は人が集まるところは嫌いだ」とか、「騒がしいところにいたくない」などと考えるようになります。
 この状態が悪化すると、雑踏や騒がしい場所に行くことを極度に恐れ、日常生活に支障が出てくることもあります。

 このように、特定の対象に強い恐怖を感じる状態を、一般的に恐怖症特定の恐怖症単一恐怖とも言います)と呼びます。
 雑踏や騒がしい場所を怖がる場合は、広場恐怖症社会恐怖症などと診断されるのがふつうです。

 恐怖症には、これ以外にも、暗闇恐怖症高所恐怖症閉所恐怖症などがありますが、やはり大脳辺縁系の記憶が原因だと考えられます。

 前節で少しお話しした神経症不安の悪循環も、抑圧された記憶、つまり、大脳辺縁系の記憶が原因です。

 恐怖症にしても神経症にしても、不安の悪循環にしても、私たちの自由を奪うものです。
 つまり、私たちは、大脳辺縁系の記憶のために、知らず知らずのうちに、ずいぶん不自由な生活を送っているわけです。

 このような状態から抜け出せれば、人生はどれほど自由に満ち、はつらつとしたものになるでしょうか。

 そのための方法が、サイストリーなのです。
 サイストリーを実践していけば、大脳辺縁系の記憶はどんどん減少します。

 したがって、突然襲ってくる正体不明の怒りや恐怖、不安に悩まされることが、どんどん少なくなっていきます。
 結果的に、心と体の健康法となるわけです。

 ここまで、近年の脳科学の考え方を基礎に、不安についてお話ししてきました。今度は、最近話題に上ることが多いストレスについて、お話ししすることにしましょう。






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