Psystory

ball 第3節 ストレスの正体 (人を嫌う理由、正当化、ストレスの種類、過労死と自殺)



ストレスの意味
 近年ストレスという言葉をよく聞きます。
 私たちの日常の会話のなかでも、頻繁に使われる言葉です。
 それでも、「ストレスとは何ですか」と聞かれて、すぐに答えられる人は少ないのではないでしょうか。

 そんなわけで、まずストレスの意味についてお話ししましょう。

 ストレスとは、元来、物理学や工学の用語で、外からの力によって生じる、固体内部のひずみのことでした。
 それを、ホメオスタシス(恒常性)理論で有名なアメリカの生理学者、W・B・キャノンが、初めて生理学の分野に持ち込みました。

 キャノンはストレスを、生命体が危機的状況に追い込まれたときの本能的状態である戦うか逃げるか(ファイト・アンド・フライト)だと考えました。
 交感神経が興奮し、動悸を速め、血圧を上げ、呼吸を促進し、副腎髄質からアドレナリンを分泌させて血糖値を上げ、筋肉を緊張させるなどの状態のことです。

 その後、ストレスを人体に当てはめて理論化したのが、カナダの医学者、H・セリエです。
 セリエは、さまざまな刺激(外からの力)が生命体の負担となるとき、その生命体に現れる機能的な反応(生命体のひずみ)をストレスとしました。
 さらに、人体にストレスを与える要因をストレッサーと名づけました。

 私たちは日常会話のなかで、単に緊張することをストレスと言ったり、ストレッサーについてもストレスという言葉に置き換えて話したりしていますが、本来はこのように定義されているわけです。

 最近は、医師などの専門家でも「ストレッサー」と言う表現を使わずに、一般的な言い方に合わせて「ストレス」と言い換えて説明する人が多いようです。
 本書でも、今後は「ストレッサー」も「ストレス」と言い換えてお話ししていきたいと思います。

 さて、セリエは、ストレスを良いストレスと悪いストレスに分けて考えました。
 快ストレス不快ストレスです。

 快ストレスとは、私たちの身体に良い刺激を与え、充実感を作り出すものです。
 不快ストレスとは、有害で病気を引き起こすようなストレスのことです。

 たとえば、仕事が忙しいときには、なにかとストレスを感じるものですが、これが充実感や達成感につながる場合は、適度なストレスであり、快ストレスだと言えます。
 ところが、さらに忙しさが増したり、別のストレスが重なったりすると、とたんに不快ストレスに変わります。

 その意味では、快ストレスと不快ストレスの差は、純粋にストレスの量の問題だとも言えるでしょう。

人を嫌う本当の理由と前頭前野の正当化
 さて、このストレスは、身体のどのような仕組みが、どんな変化を起こすために発生するのでしょうか。
 もっとも一般的な人間関係のストレスについて考えながら、順次お話ししていきましょう。

 たとえば、職場の上司がどうしても気に入らないというのは、かなりのストレスになるはずです。
 こんな場合、「どうして嫌いなのか」とたずねられれば、すぐにいくつもの理由が思い浮かぶでしょう。

 しかし、人が他人を嫌う本当の理由は、大脳辺縁系の記憶にあります。

 大脳辺縁系では、前節でお話ししたとおり、生命の大原則にとって好ましいか好ましくないか、という判断から、快と不快の情動発生をします。
 つまり、ある人を嫌うというのは、その人の存在が自分自身の生存にとって好ましくない、と大脳辺縁系によって判断されたからなのです。

 誰でも、初対面の人の前では緊張し、不安になるものです。
 これは、その人が自分自身の生存にとって好ましいのか好ましくないのかハッキリとわからないためです。
 こんな場合には、大脳辺縁系が本能的に不安の情動を発生して、注意を促します。
 さらに交感神経も興奮させて、身体的にも緊急事態に備えた準備をします。

 現代の日本では、初対面の人間と会っていても、すぐに生命の危機的状況に追い込まれることはまれです。しかし、世界的な視野で見ると、現代の日本ほど安全な場所は、そうはありません。
 その意味では、初対面の人に対する緊張と不安は、本能的に自然な反応だと言えるでしょう。

 大脳辺縁系が注意を促すというのは、具体的には、無意識のうちに五感を通して、より多くの情報を集めさせることを指します。

 初対面というのは、言い換えれば、その人に関する情報がまったくないということです。したがって、少しでも多くの情報を集め、なるべく正確に判断しなければなりません。

 集められた情報は、大脳辺縁系の記憶と素早く照合されます。
 そこで、大脳辺縁系の判断によって発生した情動が、第一印象にほかなりません。

 つまり、第一印象の根拠となるのは、あくまで大脳辺縁系の記憶の内容であり、初対面の相手の実際の人格や性格とは、本来まったく関係がないものなのです。
 しかも、第一印象を決める大脳辺縁系の記憶は、前節でお話ししたとおり、断片的で短絡的です。

 たとえば、ある教師にひどい目に遭わされ、そのことを抑圧しているとしましょう。
 すると、初対面の人がその教師とどことなく似ているというだけで、非常に悪い印象を持ってしまいます。
 もちろん、どうして悪い印象を持つのか、その理由はわかりません。

 大脳辺縁系は、ただ単にその人の外見の情報が、以前の危機的状況のときに記憶した情報と似ているというだけで、危険だと判断します。
 そして、不快の情動発生処理が行われ、その人のことを嫌うようになります。

 こうしてできあがった悪い第一印象は、その後、大脳辺縁系の再評価が行われるまで、ずっと続くことになってしまいます。

 大脳辺縁系の記憶による判断なので、前頭前野(=意識)は、どうしてその人のことを嫌悪するのか理由がわかりません。
 このような状態を、前頭前野は嫌います。前頭前野の一番の特徴である首尾一貫した思考の流れが、成り立たなくなってしまうからです。

 そのため、前頭前野は、大脳辺縁系が発した情動の理由を、懸命に探し出そうとします。
 初対面の人から受けた印象を分析しながら、嫌悪しても当然だと思えるような特徴を無理にでも見つけ出し、正当化するわけです。

 これが、先ほどの「どうして嫌いなのか」という問いに対する答えなのです。
 上司を嫌悪するというのも、ほとんどの場合、第一印象で決まると考えられます。
 あとは、前頭前野の正当化によって、さまざまな理由が見つけ出され、強化されていきます。

人間関係のストレスの正体
 大脳辺縁系の判断は、簡単には変えることができません。
 しかし、嫌った相手が上司の場合には、その情動をそのまま表に出すわけにはいかないでしょう。
 乱れた意識を意志の力で建て直し、情動を押さえ込もう必死になります。

 つまり、前頭葉全体で大脳辺縁系や視床下部の興奮を抑制し、神経ホルモンの分泌を止めようとするわけです。
 それでも、大脳辺縁系の判断が変わるわけではありません。

 上司が近くにいて、絶えず大脳辺縁系が警報を発し続けている場合には、前頭葉は下位の脳を抑制し続けなくてはならなくなります。
 これは前頭葉の神経細胞にとって、かなりの負担です。

 大脳辺縁系以下の下位の脳にとっても、生命の大原則に反すると判断したのですから、興奮し続けていて、大きな負担になっています。

 ふつうの状態でも、人間の脳は、非常にたくさんのエネルギーを必要とします。
 体重のわずか2、3パーセントの重さしかない脳が、全体の20パーセントものエネルギーを使ってしまうのです。

 その脳の3分の1を占める前頭葉がフル活動で下位の脳を抑制し続け、また一方では下位の脳が興奮し続けているわけです。
 これでは、非常に多くのエネルギーを使うことになってしまいます。

 脳だけではありません。交感神経の興奮は、動悸促進、血圧上昇、血糖値上昇、呼吸数増加など、身体を緊急事態に備えた状態にするため、体力をひどく消耗させます。

 この一連のエネルギーと体力の消耗が、人間関係のストレスの正体です。

 このストレスから逃れるためには、大脳辺縁系の判断そのものを変えるしかありません。
 そのためにはまず、その上司の嫌いなところを、すべてハッキリと意識する必要があります。
 そのうえで、その上司の優れたところを見つけ出し「あの上司にもこんなにいいところがあるんだ」といった具合に、新しい価値づけをしていくのです。

 こうした新しい価値づけは、前頭前野が言葉を使って行います。
 それを大脳辺縁系に伝え、再評価させるわけです。こうしたことを何度も繰り返すうちに、大脳辺縁系に新しい評価が生まれてきます。

 ただし、大脳辺縁系の判断自体は、そう簡単には変わりません。再評価できたと思っても、ちょっとしたことから、すぐに嫌悪感がぶり返します。

 これは、今までお話ししてきたとおり、大脳辺縁系の記憶が抑圧されているためです。
 もし本当に嫌悪感をなくそうと思ったら、その判断の根拠となった大脳辺縁系の記憶を意識化して、首尾一貫したまとまった記憶に再編しなくてはなりません。

ストレスの種類
 さて、ここまでは人間関係のストレスについてお話ししてきましたが、ストレスはそれだけではありません。ここで少し、ストレスの種類についてお話ししましょう。

 まず、物理的ストレスが挙げられます。
 暑さや寒さ、湿度、騒音などのことです。
 これらは、よほどひどくなければ、人体に悪影響を及ぼすことがありませんが、ほかのストレスと組み合わさると、ときに生死に関わることもあります。

 次に生理的ストレスです。
 たとえば病気になったとき、かなりのストレスとなります。また、肉体疲労や精神疲労などの疲れも、ストレスです。さらに、のどの渇きや空腹感もストレスになります。

 最後に社会的または心理的ストレスです。
 職場や学校など、さまざまな場所での人間関係の悩み、経済的不安、仕事や勉強の挫折感、さまざまな不満などです。
 現代社会では、これがもっとも厄介なストレスだと言えるでしょう。

 物理的ストレスと生理的ストレスは、生きている以上、どうしても避けがたいものです。
 そのため、この二つのストレスをなくそうとして、科学文明が発達してきました。

 現代の日本のような高度産業化社会では、物理的ストレスと生理的ストレスは、かなり軽減されたと考えてもいいでしょう。
 そのせいか、私たちがふつうストレスという言葉を使うとき、物理的ストレスと生理的ストレスは、最初から含まれていないようです。

 しかし皮肉なことに、物理的ストレスと生理的ストレスが軽減された代わりに、社会的・心理的ストレスが増大してしまいました。

ストレス軽視が生んだ過労死と自殺
 社会的・心理的ストレスは、近年まで、ずいぶんと軽視され続けてきました。
 たとえば、過剰なストレスに対処しきれず、疲れ切って会社を休んだりすると、とたんになまけ者と罵倒されました。
 学校でも、いじめなどのさまざまなのストレスに苦しみ悩んでいても、教師も親も登校を強制しました。

 こうした心理的・社会的ストレスの軽視は、結果として、多くの過労死や自殺を招き寄せてしまったのです。

 最近になって、やっと心の問題が重視されるようになり、心理療法やカウンセリングが見直されるようになってきましたが、ストレス軽視の風潮は、まだまだ消えそうにありません。
 そのせいか、必要以上にストレスを蓄積してしまい、本当の病気になってしまってからやっと気づくという人が、相変わらず大勢いるようです。

 これには深い理由があります。
 現代医学は、物質科学を基礎にして築かれています。
 そのため、物質科学ではうまく説明できないこころとか精神は、長いあいだ医学の対象から外されてきました。

 こころ精神が医学の対象とされ始めたのは、脳科学がめざましい進歩をとげた、1980年代以降のことです。
 さらに、実際の医療現場でストレスに対する処方が行われ出したのは、1990年代もだいぶ過ぎてからのことです。

 つまり、ごくごく最近になって、やっとストレスに対する医療体制が確立されてきたということなのです。
 それまでは、ひどいことに、身体になんらかの病変が起きるまで、つまり医師が病気だと診断できるまで、完全に放っておかれました。

 結局は、過剰なストレスに対処しきれずに苦しんでいても、実際に身体の病気にかかってしまうまで、じっと我慢するしかなかったのです。

 それでも、病気の原因を探っていくうちに、精神的な影響を無視できないことがわかってきました。
 また、時を同じくして、脳科学の進歩により、人間の精神活動が分子レベルで解明されてきました。
 さらには免疫学や分子生物学の進歩もありました。

 それらの成果が結びつくことで、やっと、ストレスと身体の関係が、かなり詳しく解明されるようになったのです。






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