Psystory

ball 第4節 偽りの歴史と真実の歴史 (共通の経験、空白の時間、王国、存在の根拠)



心の歴史はその人独自のもの
 どんな人にも、生まれてから現在までの心の歴史があります。
 つらかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、うれしかったこと、それらすべての経験が一つの歴史として、現在までつながっています。

 この心の歴史は、客観的な歴史とは違います。
 その人独自のものであり、一人一人まったく異なるものです。
 したがって、心の歴史は、ほかの人には理解できません。
 いくら言葉で伝えようとしても、どうしようもないのです。

 この理由は簡単です。共通の経験が、あり得ないからです。

 たとえば、誰かと一緒に映画を見に行ったとしましょう。
 同じ映画を見たのなら、同じ経験をしたはずだ、と感じられるかもしれません。しかし、いくら同じ映画館で同じ映画を一緒に見たといっても、同じ経験にはなりません。

 そのことを証明するのは簡単です。一緒に映画を見た相手に、映画の感想を聞いて見ればいいのです。
 多少は似たところがあるかもしれませんが、お互いずいぶん印象が違うことに驚かされるはずです。
 これは当然のことです。

 経験というのは、その瞬間の行動やまわりの環境だけで成立するわけではありません。
 過去の心の歴史すべてが、経験のなかに反映されます。したがって、同じ環境のなかで同じことをしたとしても、一人一人経験は違ってくるのです。

 このことは、脳の神経細胞の配線は一人一人まったく違う、ということから考えてもわかります。
 脳の神経細胞の配線のなかに心の歴史、つまり今までの記憶があるとすれば、同じ経験などあり得ないことがおわかりいただけるでしょう。

 こうしたことから、心の歴史についてどんなに偽っていても、自分以外の人には確かめようがないということがわかります。

 もちろん、客観的に確かめられる過去の事実について嘘をつけば、ほかの人が確かめることはできます。
 しかし、過去のあるときなにを考えていたかとか、なにが嫌いで、なにが好きだったかということに関しては、確かめようがありません。

 言い換えれば、自分自身に対しては、いくらでも嘘がつけるわけです。
 何度も嘘をつき続ければ、どんな真実でも曲げることができるでしょう。
 偽りの歴史は、そんなふうに作られていきます。

空白の時間と偽りの歴史
 何度もお話ししたように、大脳辺縁系には、危機的状況のときの記憶があります。
 その記憶を思い出そうとすると、情動が発生するため、前頭前野(=意識)は、思い出そうとしません。抑圧してしまいます。

 前頭前野の最大の特徴は、首尾一貫した思考です。
 それを乱されたくないために、大脳辺縁系の記憶を抑圧しているのですが、ここで矛盾が生じます。
 抑圧しているせいで、記憶のなかに空白の時間ができてしまうからです。

 結局は、この空白の時間があるために、前頭前野の首尾一貫した思考が崩れてしまいます。
 具体的に言えば、過去のある時期を思い出した場合、つじつまが合わないことが生じてしまうのです。

 たとえば、ある青年が、胸がうずくような気持ちとともに、小学生の頃、近所に大好きだった親戚の女子高生がいたことを思い出したとします。
 懐かしさも手伝って、記憶の糸をたどっていくと、その女子高生には兄弟がなく、青年を本当の弟のようにかわいがってくれたことが思い浮かんできます。

 当時の青年にとって、その女子高生は、両親よりも大切な存在でした。
 青年は、少しでも長く一緒にいたいため、毎週のように遊びに行っていました。二人で楽しげに遊ぶシーンが、いくつも浮かんできます。

 そして、いつの頃からか、全然遊びに行かなくなったことが思い出されてきます。
 しかし、その理由については、まったく思い出せません。
 それでも、記憶の糸をたぐり続けていると、ふっとなにかを思い出しかけます。ところが、なぜか苦しくなってきて、中断してしまいます。
 なにかの抑圧がある証拠です。

 こんな場合、前頭前野は、首尾一貫した思考ができないため、ずいぶんじれったく感じるでしょう。
 そして、その頃のほかの記憶を思い出したり、いろいろと思考を働かせたりし始めます。

 やがて、その頃同じクラスに、とても気の合う、かわいらしい女の子がいたことを思い出します。
 さらに、その女の子と仲良く遊んでいるシーンを思い出してきます。

 前頭前野は、そんな記憶をつなぎ合わせながら、首尾一貫した思考を作り上げます。
 そして最後に、「ちょうどその頃、近所の親戚の女子高生より、同じクラスの女の子の方が好きになったんだろう」とまとめ、結論づけます。

 次からその当時のことを思い出すと、先ほどまとめた結論が続いて思い出され、そこで終わりになります。こうして、幼少期の淡い初恋の想い出ができあがります。

 実は、この青年は、小学生時代のあるとき、大好きだった女子高生がデートしているところを見かけてしまったのです。
 デートの相手は、やはり高校生のようで、ルックスもよく、とても小学生が太刀打ちできるような相手ではありませんでした。

 二人はかなり親密なようでした。仲良く手をつないでいて、お互い笑い合っています。
 似合いのカップルの二人の間には、小学生だったこの青年が入り込むすき間など、まったくないように思えました。

 青年の心はひどく傷つき、すべてが終わったように感じました。
 大脳辺縁系が生命の大原則に反する危機的状況だと判断し、情動発生処理をしたのです。

 前頭前野は情動のため、活性を落とされています。
 しかも、まだ言葉が発達していない小学生では、この事態をどう考えればいいのか見当もつきません。
 結局、抑圧ということになってしまいました。

 この抑圧された失恋事件は、もちろん空白の時間となります。
 その空白の時間を埋めるために、前頭前野は、前後の記憶とつじつまを合わせて、先ほどの淡い初恋の想い出を創作しなければならなかったのです。

 このように、前頭前野は、空白の時間を、前後の記憶とつじつまが合うように創作して埋めていきます。
 そうしてできあがるのが、偽りの歴史というわけです。

真実の歴史とは
 時が経って、この青年が実際に恋人を持つようになると、なぜか強い不安に襲われるようになります。
 恋人が裏切って、自分以外の男性と交際を始めてしまうかもしれないという不安が、頭を離れなくなってしまうのです。

 恋人が自分以外の男性と一緒にいるところを見たりすると、いても立ってもいられません。
 強い怒りと不安がこみ上げてきて、恋人を一緒にいた男性から無理矢理引き離したりします。
 さらに、なにかと恋人を縛りつけるようになります。

 こんな状態が続けば、恋人の方もだんだんと嫌気がさしてきます。
 あまりにも嫉妬深い青年を避けるようになり、結局は破局ということになってしまうでしょう。

 この青年は、恋人をほかの男性に奪われるのではないか、という不安をどうしても振り切れません。以前お話ししした、不安の悪循環に陥ってしまうのです。
 その後、新しい恋人ができたとしても、やはり同じようなことを繰り返してしまいます。

 やがてはそんな自分自身を憎むようになり、自己蔑視と自己否定から、うつ状態に陥るかもしれません。
 さらに、その症状が高じて本当のうつ病になってしまったり、酒に溺れて体をこわしたりと、ふつうの人より、悲惨な運命をたどる可能性が高くなってしまうでしょう。

 これはすべて、前頭前野が創作した偽りの歴史を、自分自身の心の歴史だとしてしまったところに原因があります。

 この青年が、精神分析を受ければ、初恋にまつわるつらく悲しい事実を思い出すかもしれません。
 そうして偽りの歴史ではない、真実の歴史を紡ぎあげることができれば、すべては解決するでしょう。

 この真実の歴史とは、この章の第1節でお話しした「抑圧された過去の経験を意識化して統合すること」によってできあがる心の歴史のことです。
 また、この章の第2節でお話しした「首尾一貫したまとまった記憶」というのも、真実の歴史にほかなりません。

歴史は存在の根拠
 もう一つ例を挙げましょう。
 それは、個人の心の歴史ではありません。一つの王国の歴史です。

 ある人物がある地域を占領し、それを領土として国家を作り上げたとしましょう。
 当然その人物は王に君臨します。
 月日が流れ、対外的にも政治が安定してくると、今度は王と王国の権威の根拠が必要となります。
 そして、王国の歴史の編纂が始まります。

 このような歴史の編纂では、事実をありのままに記す必要はありません。
 現在の王や王国にとって都合のいいことだけを記し、都合の悪いことは削除するか、都合のいいように作りかえてしまえばいいのです。
 さらに必要であれば、いくらでも事実になかったことを創作することもできます。

 こうしてできあがった歴史が、王国の歴史です。
 これがないと、王も国民も、自分たちの存在の確かな根拠が得られません。
 つまり、王国の歴史ができあがって初めて、王も国民も、自分たちの存在がなんであるのか、証明することができるのです。

 このように、歴史というのは、存在の根拠でもあるわけです。それは個人の場合でも同様です。

 たとえば外国へ出かけると、必ずパスポートの携帯を義務づけられます。
 これは、その人の国籍を証明するためのものですが、国籍というのは、その人の存在の証明でもあり、歴史の証明でもあるわけです。

 もしこの歴史を失ってしまったらどうなるでしょう。

 記憶喪失という病気がありますが、これがまさに歴史を失ってしまった状態だと言えるでしょう。
 この病気にはさまざまなレベルがあり、ある一時期だけの記憶を失ってしまうものや、完全に記憶を失ってしまい、自分が誰かもわからないというものもあります。

 完全に記憶を失ってしまった状態を、精神医学では解離性健忘または全健忘と呼びます。
 この状態になったときには、同時に解離性とん走という状態にもなりやすいことが知られています。
 解離性とん走というのは、全記憶を失った人が、そこがどこだかわからないまま、放浪し続けることです。

 もし、解離性とん走になり、家族や親戚、友人、知人が誰もいないような場所へ放浪してしまうと、大変なことになります。
 その人自身、それまでの人生の記憶もなく、誰もその人のことを知りません。
 こうなると、その人本人を含めて、その人がどこの誰だかまったくわからなくなってしまいます。
 歴史を失った状態とは、まさにこのような状態です。

 家族や友人からすれば、その人が突然いなくなり、その後まったく消息がつかめなくなってしまいます。まさに神隠しにでも遭ったような状態でしょう。
 これでは、その人の存在自体が消滅したのと同じことです。

 つまり、歴史を失うということは、存在の根拠がなくなってしまうということであり、さらには、その人の存在自体が消滅したのと同じことになるのです。

 どんな人でも自分自身の心の歴史を持っています。自分自身の存在の根拠であり、それがあるからこそ、自分が自分だと判断できるわけです。
 自分自身の心の歴史の認識が、その人のアイデンティティとなる、と言い換えてもいいでしょう。

 心の歴史の認識は、前頭前野が受け持っています。しかし、危機的状況のときの記憶は大脳辺縁系にあるため、前頭前野は情動発生を恐れて、その部分の歴史をなかったこととします。
 そのせいで、前頭前野が認識している心の歴史というのは、いくつもの空白期間を持った、とぎれとぎれの歴史になってしまいます。

 前頭前野の最大の特徴は、首尾一貫した思考です。したがって、心の歴史にも首尾一貫性を持たせようとします。
 ところが、もともとがとぎれとぎれの歴史であるため、首尾一貫性を持たせようとすると、さまざまなごまかしが必要になります。
 そうしてできあがった心の歴史が、偽りの歴史なのです。

 この偽りの歴史は、先ほどお話しした王国の歴史と、とてもよく似ています。
 都合の悪いことは削除されたり、作りかえられたりします。必要であれば、事実になかったことが創作されます。

 もっと細かく見ていくと、大脳辺縁系を刺激して、不快の情動発生処理を起こす危険のある記憶も、前頭前野が削除したり、作りかえたりします。
 さらに、さまざまなごまかしの矛盾点が目立たないように、細かい事実は、かなりの部分が切り捨てられてしまいます。

 ほとんどの人が、この偽りの歴史を、自分自身の存在の根拠にしています。言い換えれば、自分自身を騙し続けながら、日々の生活を送っているわけです。
 そして、そのせいで、原因不明の怒りや恐怖、不安に襲われてしまうのです。

 さらに前頭前野は、そうした原因不明の怒りや恐怖、不安に対して、いかにももっともらしい理由まで作り上げてしまいます。
 前節でお話しした人を嫌う理由というのも、前頭前野が首尾一貫性を守るために考え出したことにすぎません。






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