Psystory

ball (第1節の続き) (集団療法、マインドコントロール、自己啓発セミナー、日記の効果)



心理療法の問題点
 もう一度、心理療法の問題点について、細かく見直してみましょう。
 通常、心理療法というのは、だいたい1週間に1時間のペースで受けることになっています。
 これにはさまざまな理由が考えられます。

 まず、心理療法家の生活を成り立たせるという経済的理由が挙げられます。
 一人の来談者に対して1週間に1時間としておけば、同時に多数の来談者を受け持つことができますし、一人一人の来談者の経済的負担も軽減できます。

 心理療法家と来談者が緊密になりすぎて、心理療法が進まなくなるということもあります。
 特にこの問題は、精神分析の創始者であるフロイトが、早くも指摘しています。

 フロイトは、心理療法家と来談者には適切な距離が必要だと考え、心理療法以外で親しく接することを禁じています。そして、必要以上に親密にならないためにも、1週間に1時間だけ、あくまで心理療法家と来談者の関係として接していくことが重要だ、と述べています。

 このフロイトの心理療法に対する取り組み方は、現在でもそのまま踏襲されているようです。
 きっと、多くの心理療法家が経験を積み重ねた結果、やはりこのくらいが一番適切だと判断したからでしょう。

 確かに来談者にしても、1週間に1時間程度なら簡単に時間を作ることもできますし、日常生活からそんなにかけ離れる心配もありません。

 しかし、こうした時間的制約は、心理療法に長い期間が必要になってしまう一番の原因でもあります。心理療法家と来談者が一対一で面談するという方法には、どうしても限界があるようです。

 そこで、ある程度まとまった集団に対して心理療法を行う、集団療法が考え出されました。

集団療法と自己啓発セミナー
 複数の来談者に同時に心理療法を行うことができれば、一人の心理療法家の時間的負担はとても小さくなります。
 来談者の方も、短い期間で集中的に心理療法が受けられ、治療費の負担もかなり軽減されます。

 さらに集団療法には、個人療法にはないプラスの要素があります。
 私たちは、通常一人だけで生きているわけではありません。多数の人間が影響し合う社会のなかで生きています。
 集団療法というのは、そうした現実の生活に近い環境で行われるため、比較的抵抗感が少なく、自己洞察が得やすいという特徴があるのです。

 この集団療法は、最初、産業心理学という、産業の効率化を主な目的とした心理学の一派で考え出されました。

 企業が順調に成長を遂げるためには、企業幹部が精神的に安定していなくてはなりません。そのためには、企業幹部が心理療法を受けることが一番望ましいでしょう。
 しかし、忙しい企業幹部に、精神分析のような時間のかかる方法は使えません。
 さらに、一人の企業幹部に一人の心理療法家をつけるというのは、費用の面からも、あまり得策とは言えません。

 このような背景から、ある程度まとまった人数の企業幹部が、いっぺんに心理療法を受けられる集団療法が考え出されました。
 それが感受性訓練と呼ばれるものです。

 その後、感受性訓練は、さまざまな心理療法の方法論を取り入れて、集団療法として確立していきます。
 また、心理学を精神的に問題のある人だけでなく、一般の人にも役立てようという考え方が、主にアメリカで発達しました。

 ロジャーズの「人間はみずから成長し、問題を自分自身で解決できる存在だ」というような考え方を、健康な一般人にも適用しようというわけです。

 その代表は、マズローの自己実現の心理学です。
 マズローは、人間の欲求を五段階に分け、一番下から、「生理的充足欲求」、「安全・保護の欲求」、「愛情・注目の欲求」、「尊敬・尊重の欲求」、最後に「自己実現の欲求」と名づけました。
 そして、下の段階の欲求が充足されると、次々と上の段階の欲求を持つようになり、最後には「自己実現の欲求」に行き着くと考えました。

 ここで言う自己実現とは、人間として成長し、より成熟していくことを指しています。
 やがて、自己実現の心理学と集団療法を骨組みとして、一般の人を対象にした自己啓発セミナー能力開発セミナーが生まれました。
 つまり、ふつうの人でも、自分の成長と成熟のために、心理療法を受けられるようになったのです。

 その後、自己啓発セミナーは、さらにさまざまな心理療法の方法論を取り入れて、発達していきました。
 やがて、企業の新入社員教育や自己啓発、自分自身の心の問題の解決などのために多くの人が利用するようになり、どんどん広まっていきました。

 しかし、精神分析の方法論を使う心理療法では、偽りの歴史を存在の根拠にしていた古い自分自身が破壊されることになります。したがって、守られた安全な空間が、絶対に必要です。

 自己啓発セミナーでは、集団を相手に心理療法を行う人をトレーナーと呼びますが、このトレーナーが未熟だと大変なことになります。
 守られた安全な空間をうまく作り出せないため、破壊された自分自身を再構築できない人が出てきてしまうのです。

 このような人は、精神分裂病のような状態に陥るため、セミナー受講後に精神科に入院というようなことになってしまいます。

 また、古い自分自身を破壊してから、新たに再構築するまでのあいだは、正常な思考が働きません。
 大脳辺縁系が不快の情動発生処理をしていて、前頭前野の活性が落とされているからです。
 そのため、危機的状況のときと同じように、五感からの情報を大脳辺縁系が処理し、記憶することになります。

マインド・コントロール
 前章で何度かお話ししたように、大脳辺縁系の記憶方法は、断片的で短絡的です。
 もし、新しい自分自身が再構築できるまでのあいだに、特定のものや考え方がとても素晴らしいものだなどと吹き込まれると、大脳辺縁系はそのままの形で記憶してしまいます。

 つまり、その特定のものや考え方が、生命の大原則にとって好ましいものだという断片的で短絡的な判断が、大脳辺縁系に植えつけられてしまうのです。
 さらに、前頭前野の活性が落ちていて正常な思考ができないため、その判断が本当に自分にとって良いものなのかどうか、確認することができません。

 こうした脳と心の特性を悪用することを、マインド・コントロールと言います。

 悪質な新興宗教が、自己啓発セミナーを装って、このマインド・コントロールを行うこともあります。
 そんな場合、受講者の大脳辺縁系には、その宗教団体の教祖や教義がとても素晴らしいものだ、という独善的な判断が植えつけられてしまいます。結果として、妄信的な信者が多数できあがってしまうのです。

 もちろん、多額の寄付をすることや、たくさんの信者を入信させることが、なによりも大切で素晴らしいことだ、などと植えつけることも可能です。

 大脳辺縁系の判断を、さらに強化する方法もあります。「教祖や教義に反することは絶対的な悪であり、死よりも恐ろしいことだ」というように、恐怖の情動を同時に植えつける方法です。

 このようなマインド・コントロールを受けた信者は、教祖や教義に反することをしたり考えたりしたとき、恐怖の情動発生に悩まされるようになります。こうなってしまえば、もう逃げ出すことさえ難しくなってしまいます。

 宗教団体ばかりではありません。自己啓発セミナーのなかには、単なる営利目的だとしか思えないものもあります。

 たとえば、「このセミナーは誰にとっても素晴らしいものだから、たくさんの人に受講を勧めてみよう。もし、受講を勧めた相手が嫌がったとしても、受講してもらうように頑張ってみよう。それがその人のためになり、ひいては人類全体のためになるのだから」などと吹き込まれると、セミナー受講後に、そのとおりに行動する人が多く出てきます。

 それでも、その自己啓発セミナーが良心的で、トレーナーにも充分な訓練を積ませてあり、理にかなった受講料で行われているのであれば、大きな問題にはならないでしょう。
 ところが、受講料が不当なまでに高額だったり、トレーナーが未熟だったり、他人への勧誘だけを変に強調したりするような場合には、先ほど挙げたような、さまざまな問題を生み出すことになってしまいます。

 集団療法は確かに素晴らしい方法なのですが、問題があることも事実です。
 自己啓発セミナーなどの集団療法を受けるとしたら、充分な情報を集め、慎重に決めていかないと、かえってひどいことになってしまうかもしれません。

 結局、理想的だと思われていた集団療法でさえも、実際には、あまり信用できないということなのです。

日記は手軽な心理療法だった
 では、ふつうの生活をしている人たちが、心身の病気を予防したり、自由な心を獲得したりするためには、いったいどうすればいいのでしょうか。

 ここで、もう一度整理してみましょう。
 まず一番大切なことは、大脳辺縁系の記憶を意識化して偽りの歴史を棄て、新たに真実の歴史を紡ぎあげることです。そして、そのときには、守られた安全な空間が必要になります。

 もちろん、真実の歴史を紡ぎあげるためには、精神分析の方法論を利用した心理療法を受けることが一番いいわけです。
 しかし、ふつうの生活をしている私たちにとって、長い期間と高い治療費が必要な心理療法を受けるのは、かなり難しいことでしょう。しかも、自己啓発セミナーなどの集団療法も、先ほどお話ししたように、あまり信用できません。これでは八方ふさがりです。

 少し視点を変えて考えてみましょう。
 私たち現代人は、日常生活のなかで、なにかと時間に追われています。1日のうち、自由に使える時間は、せいぜい2、3時間といったところでしょう。
 しかも、実際に自由に使える時間が取れるかどうか、取れたとしても何時頃になるのか、まったく不確定なのです。

 そのような不確定で細切れのような時間を、真実の歴史を紡ぎあげる時間として使えたらどうでしょう。
 これほどの時間の有効活用は、ほかにはないでしょう。今までの生活のリズムを崩さずに、心身の病気の予防と自由な心の獲得が可能になるのです。

 実は、そうした方法は、昔からありました。日記をつけることです。
 日記などと聞くと、「小学生のときに教師や親にすすめられて始めたけれど、結局三日坊主で止めてしまった」というような経験を思い出される方も多いでしょう。
 しかし、日記をつけるという行為は、もっとも手軽な心理療法でもあったのです。

 日記というのは、その日にあった出来事を記述していくものです。特に印象深い経験については、いろいろと思い出しながら、ほかのものより詳しく記述することになります。
 この思い出しながら記述するという行為こそが、心理療法としての効果を持つと考えられるのです。

 たとえばその日、なにかつらいことがあったとします。当然そのときには強い情動発生のため、前頭前野は活性を落とされ、大脳辺縁系にそのときの内容が記憶されています。したがって、あまり思い出せません。

 それでも、日記にその日のことを思い返して記述しているうちに、つらい体験が少しだけでも思い出されてきます。そこで突然強い不安に襲われ、一次的に筆が止まるかもしれません。
 しかし、日記をつけるという行為は、前頭前野が行っているため、なんとか首尾一貫性を保とうとします。結局は、いろいろと思案を続けることになります。

 やがて、強い情動とともに大脳辺縁系の記憶が断片的なままで、思い出されてきます。それを日記に記述していくと、首尾一貫したまとまった記憶ができあがってきます。
 そうして一通り記述し終わった頃には、心がすっきりしてくるというわけです。

 さらに、記述の終わった文章を読み返すと、なにかしっくりこないところに気づきます。
 まだ意識化していない大脳辺縁系の記憶があるため、つじつまが合わなくなってしまっているからです。

 そして、そのことがまた刺激となって、その文章を書いたときには思い出せなかったところまで思い出されてきます。その分も記述していくと、もっと心がすっきりします。
 大脳辺縁系の記憶がまた減って、大脳新皮質に再編されたからです。

 このように、つらかった体験の記述が心理療法と同じような効果を持つことは、いろいろな場面で確かめられています。

 たとえば、学生につらかった体験を作文で書かせた場合、書かせなかった学生と比べて、カウンセリングなどの心理的援助を必要とする割合が、極端に減ることが確かめられています。
 日記帳というのは、本来自分だけしか読まないものです。そのおかげで、ほかの人には言えないようなことでも、平気で書くことができます。

 日記帳にはカギがついているものもありますが、このカギは秘密を守るということを象徴的に表しています。このことは非常に大切です。

 つまり、日記帳の紙面というのは、心理療法で必要になる、守られた安全な空間の役割を果たすことができると考えられるのです。
 その安全な空間のなかで、箱庭療法のように、自分自身を自由に表現していくという行為は、まさに心理療法そのものだと言えるでしょう。

心理療法としての日記の問題点
 しかし、日記をつけることによる心理療法の効果には、どうしても限界があります。
 日記帳には、ふつうペンで記述していきますが、先ほどお話ししたように、一通り記述し終わって読み返したときに、新たに思い出されたことがあったとしても、そのあとに追加するしか方法がありません。
 しかも、最初に記述した内容のなかに、しっくりしない部分があったとしても、そこを修正することもできません。

 日記というのは、たいていは、あとで読み返すことを想定しています。したがって、読み返したときに、ストーリーが簡単に読みとれるような文章が一番理想的です。

 ところが、人間の記憶というのは、最初からストーリーができあがって思い出されてくるわけではありません。
 ほとんどの場合、偽りの歴史の影響もあって、最初は断片的な部分だけが思い出されてきます。
 したがって、その断片的な部分の前後を思いめぐらし、ある程度のストーリーを頭のなかで作り上げてから、日記に記述していくという方法しかありません。

 こうした作業というのは、かなりの集中力を要し、結構疲れるものです。集中力が少しでもとぎれると、ストーリーがうまくできあがらなくなってしまいます。
 そうした理由から、断片的なまま日記に記述することになりがちです。

 しかし、そんな文章を読み返してみても、なにが書いてあるのかよくわかりません。
 そこで、読み返すことによって新たに思い出した分を含めて、いろいろと手直しを試みるのですが、ペン書きのため、うまくいきません。

 もし鉛筆で書いていたとしても、消しゴムで消しながら修正していくというのも、かなり大変な作業になってしまいます。

 まれには、文章の才能に恵まれている人もいて、簡単にストーリーを作り上げ、すいすいと読みやすい文章を書ける人もいます。
 しかし、ほとんどの人にとって、ストーリーをきちんと作りながら記述していくというのは、困難なことでしょう。

 特に、大脳辺縁系の記憶がからんでくると、困難さは何倍にもなります。
 前頭前野が首尾一貫性を保つことと、抑圧を続けようとすることで葛藤状態になるからです。

 私たちは日常生活のなかで、大脳辺縁系が不快の情動発生処理を起こすような刺激を、絶えず受けています。突然疲れを感じたり、嫌な気分になったり、感傷的になったりすることは誰にでもあるはずです。

 また、そこまでハッキリとは感じなくても、大脳辺縁系の記憶によって、前頭前野の活性が少しだけ落とされることは充分に考えられます。
 そうなると、そのときの五感からの情報は、大脳新皮質に記憶されるか、大脳辺縁系に記憶されるかは微妙なところとなってしまいます。

 こうした理由から、日記を記述しようとしたとき、前頭前野と大脳辺縁系のあいだに、葛藤が起きてしまうことが考えられます。もちろん、偽りの歴史の影響もあります。
 そうした要因が重なって、ストーリーがまとまりにくくなってしまうのでしょう。

 日記が三日坊主になりやすい本当の原因は、こんなところにあるのかもしれません。
 それでも、日記をつけることの心理療法としての効果は、やはり無視できないものがあります。この効果を、もっと生かせないものでしょうか。

 実はこのことが、サイストリー誕生への、大きなステップとなりました。
 この節では、心理療法について詳しくお話ししてきました。そして、もっとも簡単にできる心理療法として、日記についてもお話ししました。

 もうここまで来ると、サイストリーの誕生まで、あとわずかです。
 それでは、いよいよサイストリー誕生についてお話ししましょう。






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