Psystory

ball 第2節 (続き) (心の真実と客観的事実、他者の経験、夢・ファンタジー・幻覚・錯覚)



心の真実は客観的な事実ではない
 サイストリーは、その語源からすれば、心の歴史という意味になります。これには、理由があります。
 サイストリーは真実の歴史を紡ぎあげる技法ですが、この真実というのは、心の真実を表しています。

 心の真実は、客観的な事実とは違います。存在の根拠としての歴史は、あくまで心の歴史であり、その人独自のものなのです。

 前章の第4節で、映画を例にして、経験の独自性についてお話ししましたが、この経験の積み重ねが心の歴史であり、それを記述していくことこそが、サイストリーとなるわけです。

 これは、前節でお話ししたロジャーズの来談者中心カウンセリングの考え方を、そのまま利用したものです。
 ロジャーズは、来談者の心のリアリティを尊重し、それを受容し、共感することが一番大切だと考えました。つまり、客観的な事実ではなく、心の真実だけを見つめていくということです。

 心の真実が客観的な事実と違っていた場合でも、サイストリーでは、心の真実の方を記述していきます。
 もちろん、自分自身で現実とは違っていると感じていれば、その両方を記述します。
 このような矛盾は、偽りの歴史を存在の根拠としている以上、いくらでも出てきます。

 たとえば、自分の過去について、親などから聞いたことと、自分自身がいつも思っていたことが食い違うというのは、よく起こることです。
 こんな場合、サイストリーでは、基本的に自分自身がいつも思っていたことだけを記述していきます。

 ただし、親などから聞いたことに対して、自分自身でも真実味が感じられる場合には、両方を記述していきます。
 そうして記述していくうちには、自分自身の心の歴史の矛盾点がハッキリしてきます。
 そこで初めて、真実の歴史が現れてくるというわけです。

 ここで注意しなければならないのは、自分以外の人の言うことを、むやみに信じてはいけないということです。
 親でも友人でも親戚の人でも、その人自身の経験から話しているわけですから、自分自身の経験と違っていて当然なのです。

 このことは非常に大切です。
 サイストリーを実践していくに当たって、自分の過去が思い浮かばなくなるときもあります。こんなときには、自分の過去をよく知っている人に、聞いてみたくなることもあるでしょう。

 しかしそれは、いたずらに新たな偽りの歴史を作り上げるだけのことです。

他者の経験は真実の歴史を遠ざける
 自分以外の人、つまり他者の経験を、サイストリーに取り入れてはいけません。
 ときに真実の歴史を紡ぎあげる作業では、悲しみや苦しみ、怒りや恐怖などの強い情動と、正面から向き合う必要がでてきます。
 そのため、前頭前野(=意識)が逃げ出そうとすることもあります。

 そんな場合に、他者の経験というのは、とても便利な隠れ蓑の役割を果たします。
 たとえば、前章の第4節でお話しした、親戚の女子高生に恋をした青年が、サイストリーを実践したとしましょう。そして、問題の小学生のときの初恋の記述を始めたとします。

 最初は、遊びに行かなくなった理由として、一番新しい偽りの歴史である、担任の美人教師の方が好きになったという記述をするでしょう。
 しかし、その後もサイストリーを実践し続けていくうちに、矛盾点が出てきます。

 たとえば、担任の美人教師について記述しているときに、本当はこの教師を嫌っていたことに気づいたりします。その理由は、当時同級生だったほかの子ばかり可愛がるので、すっかり嫌になったということかもしれません。
 そして、同級生の女の子の方が好きになった、という偽りの歴史を思い出して、記述することになります。

 しかし、しばらく記述を続けていると、また矛盾点が出てきます。
 たとえば、その女の子と遊んだのは、ほんの数回だけで、すぐに引っ越してしまったというようなことを思い出すかもしれません。そんな矛盾がいくつも出てきて、おかしいと気づくのです。

 ここまで来ると、真実の歴史が姿を現すまで、あとわずかです。
 そのため、サイストリーを実践中に、強い不安が表れてくるかもしれません。

 このとき、前頭前野(=意識)は、なんとか真実の歴史から逃れようと最後の抵抗をしています。
 もし、サイストリーの実践前なら、その前後の断片的な記憶をうまくつなぎ合わせるような創作をして、偽りの歴史を作り上げるところでしょう。

 ところが、サイストリーの実践によって、その前後の記憶が、首尾一貫した歴史として明確化してしまっています。そのため、偽りの歴史を作る材料が、なくなってしまうのです。
 こうなると、首尾一貫性を保つためには、大脳辺縁系の記憶を意識化するしか方法はありません。追いつめられているわけです。

 そんなとき、親などの、青年の小学生時代をよく知っている人に、青年がどうして親戚の女子高生のところへ遊びに行かなくなったのか、聞いてみたくなります。

 これには、二つの理由が考えられます。

 一つは、もう大脳辺縁系の記憶を意識化するしかないという、半分あきらめのような心境です。
 そのふんぎりをつけるために、親などに聞くことで、思い切って真実に直面しようという気持ちです。

 もう一つは、大脳辺縁系の記憶を意識化しなくても済むかもしれないという期待です。
 青年の親が、青年が気づきもしなかった新たな偽りの歴史の材料を、提供してくれるかもしれません。それが首尾一貫性を保てるようなものであれば、新たな偽りの歴史の創作が可能になります。

 たとえば青年の親が、その当時親戚の女子高生が大学受験をひかえていたことを思い出したとします。さらに、小学生だった青年に、「受験勉強の邪魔をしないように」と何度も注意したことも思い出したとします。

 そうした記憶から、小学生だった青年が寂しそうにしながらも遊びに行かなくなった理由を推測します。
 その推測が、青年が親の注意を聞き入れて、親戚の女子高生の受験のために、遊びに行くのを遠慮したからだろう、というものだったとします。

 これを聞いた青年は、大好きだった親戚の女子高生の大学受験を気づかって、寂しいけれども遊びに行かなくなった、と納得するわけです。

 この親の推測は、青年が思ってもみなかったことです。
 しかも、その前後の青年の心の歴史と、完全に首尾一貫性が保たれています。こうして、新たな偽りの歴史ができてしまうのです。

 青年の親にしても、親自身の経験のなかから、真実だと確信して話しています。決して青年を騙そうとしているわけではありません。
 したがって、この青年も、親の話を信用できるものだと感じるでしょう。

 前頭前野(=意識)にとって、これほど思い通りの解決法はありません。大脳辺縁系の記憶を意識化する苦しみから逃れられますし、心の歴史の首尾一貫性を保つこともできるのです。
 このような、完璧な偽りの歴史ができてしまうと、真実の歴史は、なかなかその姿を現さなくなってしまいます。

 もちろん、サイストリーを実践し続けていくうちには、いつかは真実の歴史が姿を現すことになるでしょう。しかし、それまでのあいだは、以前と同じように苦しみ続けなくてはならなくなってしまいます。

 サイストリーは、自分だけの心の歴史です。
 したがって、他者の経験を組み入れることは、絶対に避けていただきたいのです。

夢・ファンタジー・幻覚・錯覚とは
 さて、先ほど、心の歴史は客観的な事実とは違う、とお話ししましたが、そのことと関連して、ここでお話ししておきたいことがあります。夢や空想、幻覚、錯覚についてです。

 夢やファンタジー、幻覚、錯覚というのは、人によってその解釈が異なっている可能性があります。混乱を防ぐため、サイストリーではどのように解釈するのか、また、どのように扱うのか、ここでお話ししておきましょう。

 サイストリーの場合、夢というのは、あくまで眠っているときに見る夢のことを指します。
 たとえば、「将来の夢」というように、希望や願望がかなった場面を思い描くことは、ファンタジーとして扱います。また、いわゆる白昼夢というのも、同様にファンタジーとして扱います

 ファンタジーというのは、現実とは関係なく、いろいろと頭のなかで思いめぐらすことを指します。
 たとえば、先ほどお話しした希望や願望がかなった場面を思い描くことや、白昼夢というのは、ファンタジーのもっとも基本的なものです。

 また、幼少期には、ベッドの下に魔物が住んでいるとか、押入のなかに異次元の世界への扉があるとか、本当の両親は別の場所にいるなど、本当にいろいろなことを考えつくものです。
 これらは、すべてファンタジーです。

 思春期以後は、ほとんどの人が性的なファンタジーを持つでしょう。そのなかには、誰にも言えないような、とても恥ずかしいものもあるかもしれません。
 性的なもの以外にも、ひどく暴力的なものや、あまりに馬鹿馬鹿しいもの、魔法や超能力といったオカルト的なものも、あまり誰かに話さないものです。

 このように、誰にも話さない内容を持つファンタジーを、サイストリーでは特に重要視します。
 幻覚というのは、ファンタジーを五感からの知覚と区別ができなくなった状態だと考えることができます。

 細かく分けると、幻聴、幻視、幻味、幻臭、幻触があり、それぞれ五感に対応しています。これらの幻覚は、統合失調症(精神分裂病)の患者によく現れます。

 しかし、ふつうの人でも、体調が悪いときや疲れが激しいとき、精神的に追い込まれているとき、薬物の副作用などで幻覚が起こります。
 幻覚があったからといって、すぐに統合失調症(精神分裂病)だと考えるのは間違いです。

 錯覚というのは、人間の知覚の仕組みから、自然に起こる現象です。
 人間は、外界からの物理的刺激をそのまま受け取るのではなく、必ず独自の処理をつけ加えて知覚します。
 この独自の処理が錯覚の原因となるわけですが、そこには、そのときの心理的要因も含まれています。

 錯覚であっても、それが錯覚だという自覚がない場合には、心の真実として認識されることになります。

夢・ファンタジー・幻覚・錯覚も心の真実
 夢やファンタジー、幻覚、錯覚というのは、当然のことながら、客観的な事実とは異なるものです。しかし、サイストリーでは、心の真実の一つとしてとらえます。
 心の歴史の首尾一貫性のなかでは、必然的な意味があると考えられるからです。

 これらの多くが、恐怖や不安、願望と強く結びついているのは、大脳辺縁系の記憶と深い関わりがあるからです。
 つまり、大脳辺縁系と前頭前野の複雑な葛藤が織りなす、心の重要な一側面だと考えられるのです。

 したがって、サイストリーでは、これらすべてを記述の対象とします。

 特に、ある一時期に何度も見た夢で、とても印象深く、今でもすぐに思い出せるといった場合、その夢は、非常に重要な意味を秘めている考えられます。

 ファンタジーでも、ある一時期何度も思い浮かび、今でもときどき思い出すという場合、そこには隠れた重要な心の真実があると考えられます。
 馬鹿馬鹿しくて誰にも話したことがない、または、恥ずかしくて誰にも話せない夢やファンタジーというのも同様です。

 このような心のはたらきに直面すると、誰でも自分の正気を疑いたくなり、漠然とした恐怖を感じるものです。
 しかし、大脳辺縁系と前頭前野の複雑な葛藤は、ときにこのような現象を生み出すものなのです。

 幻覚や錯覚でも、特に気になるものや、恐怖や不安、願望と強く結びついているものは、重要です。
 やはり、隠れた心の真実があると考えてもいいでしょう。

 夢やファンタジー、幻覚、錯覚は、何度思い出したり、思い浮かべたりしても、なかなかその深い意味を理解することはできません。
 しかし、サイストリーの実践によって詳しく記述していくと、少しずつその意味が理解できるようになります。

 記述したばかりのときは、あまりよくわからないかもしれません。
 それでも、何度も読み返したり、直接関係がないと思われる記述を続けているうちに、自然とその意味が解けてきます。

 これは、人生のさまざまな時期にある隠れた真実の歴史が、だんだんと表に現れてくるからです。
 つまり、夢やファンタジー、幻覚、錯覚の原因の一つである大脳辺縁系の記憶が、意識化されてくるからなのです。

 サイストリーの基本姿勢は、どんどん記述し続けることです。そして、その記述に首尾一貫性を持たせるために、どんどん修正を加えていくことです。
 その目的は、真実の歴史を紡ぎあげることによって、心身の病気を予防しながら、自由な心を獲得することです。

 この節では、サイストリー誕生から、サイストリーとはどんなものなのか、実際にどんなことをするのか、といった基本的な部分についてお話ししてきました。

 今度は、サイストリーでは人間の心をどうとらえるのか、どうしてサイストリーを実践すると自由な心が得られるようになるのか、といった思想的側面について、詳しくお話ししていきたいと思います。






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