Psystory

ball (第3節の続き) (守られた安全な空間、他者の排除、誰でもない誰か、超越的存在)



大脳辺縁系の記憶は他者そのもの
 さて、今度は、大脳辺縁系の記憶と他者について考えてみましょう。
 大脳辺縁系の記憶というのは、断片的で短絡的です。
 しかも、前頭前野で首尾一貫した記憶として処理されていないため、経験とはならず、まさに他者そのものだと言えます。

 前頭前野は、大脳辺縁系の記憶を抑圧して、心の歴史に空白を生み出します。
 また、大脳辺縁系を刺激して不快の情動発生処理を起こす危険のある記憶も、心の歴史から削除したり、作りかえたりします。
 さらに前頭前野は、そうしたごまかしの矛盾点が目立たないように、心の歴史の細かい部分も大きく削除します。

 こうして、偽りの歴史が作り上げられます。
 したがって、偽りの歴史というのは、かなりバラバラしていて、多くの部分が他者である言葉に分解しているわけです。

 この偽りの歴史も、もとはといえば、大脳辺縁系の記憶があるせいで、前頭前野が仕方なく作り上げたものだと考えることもできます。
 そして、大脳辺縁系の記憶というのは、他者そのものです。

 つまり、他者そのものの大脳辺縁系の記憶が、私たちの存在の根拠である心の歴史を、他者である言葉に分解してしまうのです。
 それが偽りの歴史であり、私たちの存在を希薄化してしまう、一番の原因です。

 もっとわかりやすくまとめてみましょう。
 私たちの存在というのは、もともと他者の連なりのパターンにすぎません。
 しかも、大脳辺縁系の記憶としての他者におびやかされることによって、たえず存在そのものが他者に分解される危険にさらされ続けています。

 前頭前野はそのような危険を避けるために、偽りの歴史を作り上げ、なんとか自分自身の存在を保ち続けているわけです。
 本当に他者というのは、厄介なものです。

 サイストリーの実践とは、この厄介な他者の要素を、どんどんなくしていくことにほかなりません。
 そして、他者の要素のない、首尾一貫した真実の歴史を紡ぎあげることを最終目標とします。

 しかし、サイストリーの実践中であっても、他者におびやかされることがあります。それは、守られた安全な空間に関係したことです。

読者としての他者
 サイストリーでは、自分自身の心の真実として、誰にも話せなかった恥ずかしいファンタジーや夢の内容も記述していきます。
 また、特定の誰かに対する侮蔑の感情や怒りの感情なども記述していきます。

 こうした内容を安心して記述するためには、絶対に守られた安全な空間が必要になります。
 実際には、ワープロソフトのパスワード機能などを利用して、記述された心の歴史を、自分以外の誰にも読まれないようにすることが、必要になってきます。

 このことが破られてしまうと、守られた安全な空間が崩壊してしまいます。
 そして他者の要素が、心の歴史のなかに割り込んできてしまいます。

 たとえば、同居している家族がいる場合など、記述した心の歴史を、誰かに見られてしまう危険性があります。
 もし、誰にも言えないような恥ずかしい記述を家族の誰かに読まれてしまったら、さらにそのことで嘲笑されたりしたら、ひどく心が傷ついてしまうでしょう。

 一度こんなことが起こると、もう恐ろしくてサイストリーを続けられなくなってしまうかもしれません。
 もし続けられたとしても、今度は家族の誰かに読まれても平気なように、最初から偽った心の歴史を記述してしまう可能性が高くなります。

 このことは、自分自身の心の歴史のなかに、読者としての他者が入り込んだことを表しています。
 一度こうなってしまえば、サイストリーを実践しても、もはや自分自身の心の歴史とは言えないものになってしまいます。
 結局は、自由な心の獲得という一番の目的が、はるかに遠のいてしまうのです。

 確かに、他人の秘密をのぞくというのは、卑劣極まる行為です。
 しかし、多くのテレビ番組では、視聴率を上げるために、芸能人などの有名人の秘密をどんどん暴露しています。新聞や週刊誌でも、発行部数を伸ばすために、同じことをしています。

 こうしたことの背景には、多くの人が他人の秘密を知りたがるという厳然たる事実があります。人間のさがのようなものと考えるしかありません。

 サイストリーの実践には、どうしても守られた安全な空間が必要になります。そのため、絶対にほかの人に読まれないように、充分な配慮をする必要があります。
 それを怠ってしまえば、自由な心を得られなくなってしまいます。

 また、必要以上に自分の秘密の暴露を恐れていると、結局は偽った心の歴史を記述することにつながってきます。
 前頭前野が秘密厳守という大義名分の下に、真実の歴史を紡ぎあげる苦しみから逃げてしまうのです。

 これも、読者としての他者の影響だと考えられます。
 一番悪いのは、同居している家族の誰かが読むことを、最初から予定して記述する場合です。
 自分の不満や怒りを、間接的にその誰かに伝えようとするわけです。
 これでは、サイストリーとは言えません。

 読者としての他者の存在は、別の意味でも、サイストリーを実践していく上で、障害となりやすいものです。

 記述というものは、ふつう、誰かに読まれることをイメージして行われます。
 ためしに記述を行う場面を、いくつか思い浮かべてみてください。ほとんどの場合に、具体的な読者をイメージしていることがわかるはずです。

 作文や論文を記述するときには、担当の教師や教授、または同じ専門分野で研究を続けている研究仲間をイメージします。
 会社でさまざまな文書を記述する場合にも、それぞれの具体的な読者をイメージしています。
 それは、小説や随筆、評論にも言えることです。

 しかし、サイストリーの実践で、具体的な読者をイメージすると、心の歴史に他者の存在を取り入れることになってしまいます。

 たとえば、家族の誰かを読者としてイメージすると、その誰かに知られたくないことは、どうしても記述しにくくなります。また、その誰かに伝えたいと思っている内容ばかりに記述が集中しやすくなってしまうということもあります。
 さらには、その誰かがすでに知っていることに関しては、あえて記述する必要がないと感じ、記述を省いてしまう危険性があります。

 家族ばかりではありません。
 具体的な読者のイメージは、会社の上司であったり、密かに思いを寄せている異性であったりもします。また、個人だけではなく、自分が勤める会社の社員全員といった、特定の集団の場合もあります。

 どんな読者でも、具体的にイメージしてしまえば、心の歴史に他者が入り込むことになります。
 そうなると、サイストリーの実践で一番重要な、より苦しみに満ちた大脳辺縁系の記憶の記述が、困難になってしまいます。

誰でもない誰か
 読者としての他者を排除するには、ちょっとした発想の転換が必要になってきます。それについて、お話ししておきましょう。

 具体的な読者というのは、自分自身がよく知っている個人または集団のことを指します。自分自身がよく知っているからこそ、具体的な読者のイメージとなるわけです。
 しかし、そのことがかえって、サイストリーの実践にとって障害となる他者を呼び込んでしまいます。

 それなら、具体的でない読者を想定したらどうでしょう。つまり、自分自身にとってまったく未知の読者を想定するのです。その読者は、読者というだけの存在で、なんの人格も持ちませんし、特徴もまったくありません。
 つまり、誰でもない誰かです。

 そんな読者を想定できれば、完全に他者を排除でき、サイストリーの実践が容易になるでしょう。
 このような読者というのは、認知行動療法以外の心理療法家と同じ存在だと考えられます。
 読者聞き手の違いはありますが、記述したり話したりといった表現を容易にさせるという意味では、同じことです。

 訓練を積んだ一人前の心理療法家は、誰でもない誰かの役割を果たすことができます。
 そのおかげで、来談者は話しながら、自分自身の真実の歴史を紡ぎあげることが可能になるわけです。
 この章の第1節でお話しした、ロジャーズの「受容」と「共感」と「尊重」の態度というのは、実は、このことを表しています。

超越的存在
 さて、この誰でもない誰かという存在ですが、実はこのような存在は、昔からあったと考えられます。
 古代遺跡に見られる絵や図形、文字は、古代の人間の表現活動を現代の私たちに伝えてくれています。
 また、古代から伝わるさまざまな宗教儀礼とその熱狂は、人間の表現活動の一つの元型として、見るものに深い感銘を与えてくれます。

 こうした人間の表現活動は、具体的な他者に向けられていたわけではありません。
 必ず、誰でもない誰かに向けられてきました。
 その誰でもない誰かというのは、もちろん実際の人間ではありません。ふつうは「神」と表現される、超越的存在です。

 つまり、人間が自分自身の存在の根拠を探し求めるためには、誰でもない誰かである超越的存在に対して、自分自身を表現することが必要だったのです。

 現在でも、同じことが行われています。
 自由な心を得るために、超越的存在に向かって祈りや経文などの表現をし続ける信仰という行為が、まさにそれです。

 サイストリーの実践では、誰でもない誰かである読者をイメージして記述を続けていきます。しかし、このようなイメージがうまく理解できないという人も、いるかもしれません。

 そんな場合、超越的存在に向かって自分自身を表現し続けるというイメージの方が、ずっと理解しやすいでしょう。
 もちろん、信仰を持っている人なら、自分の信仰する超越的存在に向かってサイストリーの実践を行うことが、一番簡単な方法でしょう。

 ただし、教祖と呼ばれるような、実際に身近にいる人を対象にしたのでは、他者の要素が入ってしまいます。あくまで、超越的存在を対象にしなくてはいけません。

 どちらにしても、サイストリーの効果は変わりありません。一番自分が行いやすい方法でどんどん記述を続ければ、自由な心は得られるのです。

 この節では、サイストリーの根本的な思想について、「言葉」、「他者」、「自分自身の存在」をキーワードにして、お話ししてきました。なかには、少し難しいと感じられた方もあるかもしれません。

 でも、心配なさらないでください。ここでお話ししたことは、サイストリーを実践すれば、すぐに実感できることばかりなのです。
 それでは次に、サイストリーの最重要ポイントの一つである、助けてくれた人たちの記憶について詳しくお話しすることにしましょう。






「サイストリー」 トップへ
  

前のページへ
次のページへ


著作権は、すべて著者にあります。無断転載・無断コピー等は、堅く禁止させていただきます。
Copyright (C) 2001-2014 Yuki Tachibana All Rights Reserved


produced byYuki Tachibana