Psystory

ball 第4節 助けてくれた人たちの記憶 (恋に落ちたとき、ロマンチックな恋愛の真実)



恋に落ちたとき
 人の心に強く作用する力に、恋愛というものがあります。
 どんな人の人生にも、さまざまなドラマを生み出す、魅力的でいて、ときに厄介な心の作用です。

 この恋愛に関しても、大脳辺縁系の記憶が関与してくることがあります。

 恋愛は、「あばたもえくぼ」のたとえが示すとおり、非常に主観的な色彩が濃いものです。
 第三者から見れば、理解に苦しむような相手に対して、簡単に恋に落ちる人もいます。
 それでも本人にして見れば、とても真剣で、これ以上はない相手だと認識されているものです。

 この、理性の対極に位置するように見える恋愛とは、いったいどうして起きるのでしょうか。
 そのことをお話しする前に、まず、「恋に落ちた」ときの状態を、少し冷静に考えてみましょう。

 たとえば、目の前に初対面の異性がいたとします。
 その人の情報は、五感を通して視床に集まり、大脳辺縁系と大脳新皮質で処理されます。そして、第1章第3節でもお話ししたとおり、大脳辺縁系が第一印象を決定します。

 この第一印象で、「もうこの人しかいない」と感じるほど強く惹かれることがあります。これが「恋に落ちた」と、ふつう言われている状態です。
 実はこのとき、大脳辺縁系では、「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という極端な判断をしていると考えられるのです。

 一度この状態に陥ってしまうと、大脳辺縁系が強烈な情動発生処理をするため、正常な思考ができなくなってしまいます。
 交感神経も強く刺激され、まるで強い電撃が頭や体を走り抜けたように感じ、胸が苦しくなってきます。

 めずらしい例ですが、出会った二人が同時に恋に落ちることもあります。
 そんな場合には、すぐに熱い恋愛の渦のなかに巻き込まれてしまいます。多くの人が、もっともロマンチックで、理想的だと考えている出会いでしょう。

 このようなカップルは、すぐにでも一緒に生活したいと感じ、電撃結婚にいたる場合もあります。
 実際、結婚まで行き着いたカップルのなかには、電撃結婚組がかなりいるようです。

 しかし、恋愛期間が極端に短い場合、「成田離婚」と言われるように、結婚後すぐに離婚してしまうカップルも多いように見受けられます。

 もちろん、ロマンチックな出会いから電撃結婚、その後も、ほかの人がうらやむような幸せな家庭を築くカップルもいるでしょう。しかし、そんなに多くはないというのが、現実のようです。

 よく、一時の感情に流されて結婚を決めてしまうと、後々後悔することになると言われます。
 それは、大脳辺縁系の強烈な情動発生処理によって、正常な思考ができなくなってしまうからでしょう。
 そして、強い情動に突き動かされ、わけがわからないまま結婚までしてしまったからだと考えられます。

激しい恋が人生上の不幸を招く
 このような強い恋愛の情動が一方的だった場合にも、さまざまな不幸を生み出す原因となります。
 恋に落ちた方は、「もうこの人しかいない」と感じて、全身全霊を賭けて求愛するのですが、肝心の相手は全然その気にならないという場合です。

 こうした悲劇は、そんなに珍しいものではありませんが、恋に落ちた本人にとって、これ以上つらいことはありません。

 大脳辺縁系では、恋に落ちた瞬間から、「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」と判断しています。
 ところが相手にその気がないとわかると、今度は生命の大原則に反する危機的状況だと判断してしまいます。そのせいで、ひどくつらく感じてしまうのです。

 ストレスの面から考えても、相当にひどいものになるでしょう。そのままの状態では、心身を病んでしまうことにもなりかねません。

 やがては、生命の大原則にとってもっとも大切な相手に嫌われたということから、自己蔑視や自己否定にも苦しむようになるでしょう。
 そして、うつ状態に陥ったり、自暴自棄になって、自分自身や相手を傷つけたりすることにもつながってきます。

 家庭を持つ既婚者や、婚約者のような決まった相手がいる人でも、初対面の異性に対して、突然恋に落ちる場合があります。
 大脳辺縁系の「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という判断は、いつどんな状況で起こるかわからないのです。

 一度そうなってしまえば、正常な思考が働かなくなり、恋に落ちた相手だけを追いかけるようになります。そうして、それまでの平穏な暮らしが、急に馬鹿馬鹿しいものに感じ出します。
 あげくには、家庭を顧みなくなったり、婚約者や恋人を避けるようになったりします。

 そんな場合には、恋が成就しない方が、問題が少なくて済むでしょう。
 確かに、しばらくのあいだは、心が傷つき、つらい思いを味わうことになります。それでも、家庭に戻ったり、婚約者や恋人と仲直りしたりすれば、比較的早く気分が落ち着いてくると考えられるからです。

 恋が成就してしまうと、本当に厄介なことになります。
 家庭が崩壊したり、婚約者や恋人との関係が破局を迎えたりします。
 さらに、家族どうしや婚約者どうし、恋人どうしのあいだで憎悪し合うというような、最悪の状況にもつながりやすいのです。

 現代は、ふつうの人にはとても理解できないような、残虐で冷酷な犯罪が増えつつあります。
 しかし、そんな現代であっても、やはり愛情のもつれが原因となって起こる犯罪の方が、圧倒的に多いのです。

 つまり、大脳辺縁系の、「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という極端な判断が、多くの犯罪を生み出す元凶だと考えられるのです。

 恋愛は、激しいものばかりではありません。
 大脳辺縁系は、第一印象として相手の好き嫌いを判断しますが、例の極端な判断は、そんなに簡単には起きません。ふつうはせいぜい、好意を持つといった程度のものです。

 もちろん、恋の予感のようなものを感じる場合もあるかもしれません。
 しかし、この段階では、恋愛に発展するかどうかわかりませんし、そんなに強く期待しているわけでもありません。

 このような出会いがあって、やがて何度か顔を合わせる機会があると、少しずつ相手についての情報が増えてきます。そして、相手のことを深く理解するようになり、だんだんと相手に惹かれるようになっていくというのが、ごくふつうの恋愛の始まり方でしょう。

 また、第一印象で相手に対して、異性としての魅力を感じるということもあります。
 そして、すぐに本能的で享楽的な恋愛につながることもあるでしょう。

 しかし、そんな場合でも、例の大脳辺縁系の極端な判断は、あまり起きないと考えられます。
 ただし、よく知っている人で、それまでは恋愛の対象と考えていなかった人に対して、あるとき突然、激しい恋愛の情動を持つ場合もあります。
 つまり、大脳辺縁系がそれまでの判断を突然変えてしまうのです。

 こうしたことは、それまで嫌っていた人に対しても起こります。もちろん、軽やかな恋愛関係を続けていた相手に対しても起こります。

 この突然の変化は、大脳辺縁系が起こすものなので、先ほどもお話ししたように、いつでもどんな状況でも起こります。
 前頭前野はその理由がわかりません。そのため、いろいろと思考をめぐらし、自分自身の突然の変化に対して、なんとか首尾一貫した理由を見つけようとします。

 その理由として一番よく使われるものは、「本当は出会ったときからその人が好きだったのに、自分の気持ちに気づかなかった」というものでしょう。

 最初は嫌っていたという場合には、「本当は大好きだったのに、自分の気持ちを押さえ込むため、わざと嫌っていた」などと考えつくのが一般的です。
 軽やかであっても、すでに恋愛関係を続けていた場合には、「自分の気持ちが、前よりハッキリした」などというものでしょう。

 すでによく知っている人に対して、突然激しい恋愛の情動を感じた場合、その情動に振り回されて、それまでの関係が壊れてしまうこともあります。

 いずれにしても、大脳辺縁系の「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という極端な判断は、正常な思考能力を奪います。
 そのため、恋に落ちた相手が悪意を持っていれば、簡単に騙されてしまいます。

 このように、一見ロマンチックな恋愛が、家庭崩壊や人間関係の破綻、犯罪、詐欺など、さまざまな人生上の不幸につながってしまう場合も多いのです。

なぜ大脳辺縁系は極端な判断をするのか
 さて、「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という大脳辺縁系の極端な判断は、いったいどうして起きてしまうのでしょうか。

 今までお話ししてきたとおり、大脳辺縁系は危機的状況だと判断したとき、前頭前野の活性を落とし、主導権を握ります。そして記憶を行うわけですが、このときに、例の大脳辺縁系の極端な判断を生み出す情報も、記憶してしまうと考えられます。

 たとえば、何度も採り上げた例ですが、幼少の頃、親に見捨てられたと感じるような体験をしたとしましょう。もちろん、大脳辺縁系は主導権を握り、記憶処理も受け持つようになります。
 そんな状態のときに、優しく抱きしめてくれ、親の代わりに保護してくれるような人が現れたとしたら、どうなるでしょうか。

 きっと大脳辺縁系は、「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」と判断するでしょう。そしてその人の特徴を、事細かに記憶するでしょう。

 もちろん、大脳辺縁系の記憶のため、断片的で短絡的です。
 したがって、その人の特徴がバラバラになって記憶され、その一つ一つに「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という強い情動が結びついているわけです。

 この大脳辺縁系の記憶は、強烈なものになります。
 危機的状況のなかで助けてくれたのですから、生命の大原則にとって、これ以上好ましい人はいないわけです。
 しかし、大脳辺縁系の記憶であるため、前頭前野は思い出すことができません。

 ここで、疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。なぜ、助けてもらった部分まで思い出せないのかと。
 確かにこの部分だけを見ると、危機的状況ではなく、かえって、素晴らしい体験になるでしょう。簡単に思い出せるはずだと考える方も多いかもしれません。

 しかし、この部分を思い出してしまうと、どうして助けられたのかも、思い出さなくてはなりません。

 もし、大人であれば、危機的状況のときに助けてもらった経験を、一つの美しい想い出として、うまくまとめることができるでしょう。
 ところが、言葉が未発達な幼少期には、これほど複雑な事件を、うまく言葉としてまとめることなど不可能です。抑圧するしかないわけです。

 もちろん、助けてくれた人と再会する機会があり、その人から直接そのときの状況を詳しく聞いたりすれば、思い出すこともあるでしょう。
 しかし、そうした機会がなければ、簡単には思い出せません。

 また、こんなふうにも考えられます。
 前節でお話ししたように、前頭前野は、偽りの歴史を作り上げる段階で、不快の情動発生処理を起こす危険のある記憶を削除したり、作りかえたりします。
 さらに、ごまかしの矛盾点が目立たないように、心の歴史の細かい部分も大きく削除します。

 したがって、危機的状況のなかで助けられたという記憶も、そうした記憶操作の対象になると考えられるのです。

 どちらにしても、危機的状況のときに助けてくれた人の記憶が、例の極端な判断を生み出してしまうと考えられます。

 たとえば祖父母について、非常に大切に思っているという人は、かなり多いのではないでしょうか。
 両親が大脳辺縁系の記憶のせいで、子供につらく当たってしまうというのは、よくあることです。
 そんなとき、子供は危機的状況に追い込まれます。

 もし、その場に祖父母がいた場合、孫につらく当たった父親か母親をたしなめて、孫を助けようとするでしょう。場合によっては、孫を抱きしめ、愛情を注いでくれるかもしれません。
 そんなときに、子供の大脳辺縁系は、助けてくれた祖父母の細かい特徴を、「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」と判断し、記憶します。

 このようなことが起きた後、子供は祖父母を強く慕うようになります。
 その理由がまったくわからなくても、大脳辺縁系が「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」と判断するため、自然と慕うようになるわけです。

 祖父母以外でも、たとえば、怪我をしたとき、たまたま助けてくれた人がいれば、その人の細かな特徴が大脳辺縁系に記憶されます。

 病気で入院したときにも、親切に治療してくれた医師や看護士の特徴が、同じように記憶されます。
 なんらかの精神的なショックを受けたときに、心の支えになって愛情を注いでくれた人がいれば、やはり同じように記憶されます。

 こうしたことは、幼少期に、誰でも体験しているでしょう。

ロマンチックな恋愛の真実
 大脳辺縁系が「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」と判断した人とは、ずっと一緒にいたいと感じるようになります。
 しかし、たまたま助けてくれた人や、医師や看護婦とずっと一緒にいることはできません。再会することさえ難しいでしょう。

 そんな場合、「助けてくれた人と再会して、ずっと一緒にいたい」という欲求が生まれます。
 その方が生命の大原則にとって、好ましいからです。

 しかし、この欲求も大脳辺縁系が作り出すため、前頭前野(=意識)はハッキリと気づかない場合が多いでしょう。
 そうして再会できないまま長い年月が経ってしまうと、もう気づくことはありません。

 それでも、大脳辺縁系の作り出した「再会して、ずっと一緒にいたい」という欲求は、大脳辺縁系のなかに永遠に残っています。かなり強い欲求です。
 なんといっても、生命の大原則にとって、もっとも大切な人なのですから、当然です。

 誰でも思春期を過ぎると、理想の異性像を持つようになります。そこには無意識のうちに、このもっとも大切な人の特徴が色濃く反映されていると考えられます。
 たとえば、若い女性にありがちなシンデレラ・コンプレックスというのも、このもっとも大切な人との再会を求めているのかもしれません。

 危機的状況で助けてくれた人は、一人だけとは限りません。
 誰でも、幼少期には、何度も危機的状況に遭遇するはずです。毎回必ず誰かが助けてくれるとは限りませんが、そのうちの何回かは、助けてくれる人が現れるでしょう。
 その助けてくれる人というのは、いつも同じ人ではないはずです。

 そうすると、大脳辺縁系に記憶されている危機的状況ごとの記憶グループには、それぞれ別の助けてくれた人の特徴が入っていることもあるはずです。

 つまり、助けてくれた人たちの特徴としてまとめて考えると、そのなかには複数の人の多くの特徴が入り混じっている可能性が高いのです。
 こうした背景があって、助けてくれた人たちと同じような特徴をいくつも持った異性と出会うと、どういうことになるでしょうか。

 大脳辺縁系は、すぐに「生命の大原則にとって、その人がもっとも大切だ」という極端な判断をするでしょう。
 そのとき意識上では、「もうこの人しかいない」と感じられるはずです。
 これが、「恋に落ちた」瞬間です。

 このような出会いは、とてもロマンチックに感じます。
 なぜなら、長いあいだ待ちこがれた相手と、やっと再会できた瞬間でもあるからです。そんなことから、運命の出会いだと確信することにもなります。

 しかし大脳辺縁系は、同時に危機的状況のときの情動発生処理もしてしまいます。
 助けてもらった体験というのは、あくまで危機的状況のときに限られるわけですから、そのときの情動も一緒によみがえってしまうのです。

 また、せっかく再会できたというのに、以前のように相手が去ってしまうかもしれない、という恐怖にも襲われます。

 つまり、「つらい、悲しい、痛い、苦しい。でも、そこから救ってくれた人がいた。その人は誰よりも大切な人だ。それなのに、会えなくなってしまった。会いたかった。ずっと会いたかった。その人がやっと現れた。本当にうれしい。でも、また会えなくなってしまうかもしれない。それだけは嫌だ。これからはずっと一緒にいたい」といった一連の体験の情動が一度に発生するため、非常に複雑な状態に陥ってしまうのです。

 生命の大原則に反するという情動と、生命の大原則にとってもっとも好ましいという情動が複雑に交錯して、いっぺんに発生してしまう、と言い換えてもいいでしょう。

 こうした複雑な情動発生が一度に起こるため、「恋に落ちた」瞬間には、正常な思考ができなくなってしまうのです。

 「恋に落ちる」のは、先ほどお話ししたように、初対面の相手だけとは限りません。
 すでに知っている相手でも、あるときの言葉や表情、仕草、行動などが、たまたま大脳辺縁系に記憶されている情報といくつも重なったとすれば、恋に落ちることもあります。
 そんな場合には、「運命の人はこの人だったんだ」と確信することになります。

 また、相手の特徴や仕草だけでなく、そのときの状況も大いに関係してきます。
 前章の第2節でお話ししたように、危機的状況のときには、大脳辺縁系に実にさまざまな情報が記憶されます。
 したがって、助けてもらったときの状況も、一連の危機的状況の記憶として、事細かに記憶されています。

 つまり、以前助けてもらったときと同じような状況に遭遇すると、例の大脳辺縁系の極端な判断が起きやすくなるわけです。

 そんなときに、助けてくれた人たちと同じような特徴を少しでも持っている人が、同じように助けてくれたとしたら、そのまま恋に落ちても不思議ではありません。

 このように、さまざまな条件が重なると、すでに知っている人や、それまで恋愛の対象とは思えなかったような相手に対して、突然恋に落ちることもあるわけです。






「サイストリー」 トップへ
  

前のページへ
次のページへ


著作権は、すべて著者にあります。無断転載・無断コピー等は、堅く禁止させていただきます。
Copyright (C) 2001-2014 Yuki Tachibana All Rights Reserved


produced byYuki Tachibana