How to overcome depression
ball 初老期うつ病(発症2日目)ball



 私は朝から実家に来ていました。別の用事もありましたし、なんと言っても、母の様子が心配でした。

 この日、親戚や両親の友人が何人か来ることになっていました。
 母がその人たちの前でどんな態度をとるのか、とても心配でした。しかし、その反面、親戚や長い間親交のある人たちと会って話しをすれば、母の状態も良くなるかもしれない、という期待もありました。

 母は、誰が来るのか、よくわかっているようでした。しかし、苦痛に満ちた表情やいたたまれないような態度は変わりません。かえって昨日より、悪くなっているようにも見えました。
 朝からなにも食べませんし、お茶さえも飲もうとしません。
 私は母に対して、努めて明るく振る舞いました。「もうすぐみんなが来るから。いろいろと話してみたら?」そんなふうに、言い続けました。

 ひとり、またひとりと来客がやってきました。みんな母の調子が悪いことを知っていて、心配して母に話しかけます。
 ところが、母は、まったく話しをしようとしないのです。話しかけられても、答えようとしません。
 昨日と同じように、家の中を歩き回ったり、じっと座り込んだりしているだけです。
 あれほど親交の深かった親戚や友人たちと会っても、まったく症状の改善はありませんでした。

 私はこの様子を見て、来客が母の心の負担になっているようだと気づきました。
 さらに父は、こともあろうに、母に向かって、いろいろと怒鳴り始めたのです。
 父は、家事や細かい雑事は、すべて母に任せっきりでした。そのため、来客の応対ができずに、イライラしていたのでしょう。
 そこで、別室に布団を敷いて、母に休んでもらうことにしました。

 私は父をたしなめながら、来客たちに母の様子を説明しました。
 来客たちは、声をそろえて、すぐに病院へ連れていったほうがいい、と私に勧め出しました。もちろん私も、そう考えていました。もう、医師の力を借りなければどうにもならない、と感じていたからです。
 私は、精神科へ連れて行く、と話しました。そして、抗うつ剤などの薬物を処方してもらうつもりだと話しました。最善の方法だと確信していました。

 ところが・・・
 父も含めて、その場にいる全員が猛然と反対し始めたのです。
 父は、「そんなところへ連れていったら、治るものも治らない」、と怒り出しました。
 古くからの母の友人のひとりは、「精神科なんかへ連れていったら、おかしくされちゃう」とわけのわからないことを言い出す始末です。
 おかしくなってしまったから、精神科へ行こうと思っているのに・・・

 このときは、そんなに深くは考えませんでした。しかし、母のうつ病との闘病中、もっとも大きな障害となったのは、このようなまわりの人間の無知と無理解、そして無関心だったのです。

 精神科へ連れていくことには猛反対でしたが、その場にいる人たちの共通の意見は、とにかく病院へ連れて行けということでした。それも内科がいい、と勝手に決めつけていました。

 私と父は、母の様子をもう一度確認しました。
 一応は床についているのですが、表情を見ると、精神的苦痛は相当ひどいようでした。うつろな目で、天井をじっと見つめています。さらに呼吸が速くなっているのがわかりました。
 どうしても内科的な病気にしたいのか、父が血圧計を持ってきました。しかし、実際測ってみると、脈拍も速く、血圧もかなり高くなっていることがわかりました。
 抑うつ状態だけではなかったのです。脳出血(脳内出血)脳梗塞などの脳血管障害の危険性も高まっているのです。
 食事をとっていないことも考え合わせると、一刻を争う状況だと考えざるを得ません。

 夕方近くになっていたということもあって、私は近くにある救急指定の総合病院へ電話をかけました。そして母の症状を説明し、診察してもらえるように頼みました。
 ところが、精神的な病気については、救急では受けつけられないというのです。精神科の外来へ明日来て欲しいというだけでした。これには、本当に困りました。
 母の病状を見る限り、そんなのんきなことは言っていられません。

 対応してくれている看護婦に対して、熱があって呼吸が速く、血圧も高い、脈拍も異常に速くなっていると伝え、とにかく診察して欲しいと訴えました。
 私の勢いに押されたのでしょうか。看護婦は、診察を受けつけてくれました。

 私と父は、その場にいる人たちに留守番を頼んで、自動車で病院へ駆けつけることにしました。病院へ行こうと母に話し、着替えてもらいました。
 そこまではよかったのですが、母を自動車へ乗せようとしたとき、思ってもいなかったことが起きました。
 なんと母が、「病院なんか行ってもダメだ。私は行かない」と、拒絶し始めたのです。

 それでも、私と父が説得し、自動車へ乗せることはできました。そして、すぐ近くだったということもあって、病院へはなんとか着きました。

 救急窓口で手続きをしているときも、母は「こんなところへ来てもどうにもならない。もうダメなんだ」と、何度かつぶやいていました。
 私は父に、母から絶対に目を離さないように伝えて、手続きを済ませました。少しでも放っておくと、母は病院から逃げ出しそうだったのです。

 診察を待つあいだも、全然気を抜けませんでした。母に対して、眠れなくて疲れがたまっているし、熱もある、血圧だってかなり高くなっている、だから診察を受けなければいけないんだ、と何度も説明しました。

 30分くらい待ったでしょうか(本当に長く感じました)。診察の順番が回ってきて、3人一緒に診察室に入りました。
 そこで、母の症状について、いろいろと説明しました。
 精神的な症状もその他の身体症状も、詳しく話しました。
 救急センターの医師だったということもあって、とにかく内科的な診察を一通りしてみようと言うことになりました。

 問診のあいだ、あらためて感じたことは、父の無関心、無責任さでした。母の窮状を一番よく知っているはずなのに、全くの他人事という態度でした。
 このような父の態度が、母の病状の原因の1つなんだ、そう考えると、父に対して怒りがこみ上げてきました。
 私は、診察室の外で待っているあいだ、父に対して、母の病気の深刻さと、これからは、どんなことでも自分でしなければいけない、としつこく忠告しなければなりませんでした。

 1時間ほど経った頃でしょうか。母の診察が終わり、私と父が呼ばれました。母は別の部屋で待っているらしく、そこに姿はありませんでした。
 診察室にいた医師は、私と父に向かって、
 「内科的な意味では、緊急を要するような兆候は見られない。多少血圧が高いのと発熱があるが、今のかかりつけの医師に任せればいい。私は内科医なので断定はできないが、不眠拒絶焦慮(いたたまれないような焦りの気持ち)妄想等の症状から推測する限り、初老期うつ病の可能性が高い。もしかしたらアルツハイマーかもしれない」
 と、話してくれました。
 さらに、その医師は、「すぐに精神科の診察を受ける必要がある」とつけ加えました。

 私は心の中で、この医師に感謝しました。私にとっては当然のことなのですが、医師が父にハッキリと告げてくれたことで、父を納得させる手間が省けたからです。
 その医師は、その場で精神科への紹介状を書きながら、「明日必ず受診するように」と、厳しい口調で私と父に話しました。
 そして、私と父をしっかりと見つめながら、「気をつけないと自殺するかもしれない」とつけ足しました。

 この医師の最後の言葉は、私に大きな衝撃を与えました。
 そうです。私は、心の中で、ずっと感じていたのです。でも、どうしても考えたくなかったうつ病の最悪の事態、それが「自殺」だったのです。
 「初老期うつ病」というのは、初老期にありがちな生活環境の変化やホルモンバランスの不調などが、発症に関与していると考えられるうつ病です。
 自殺に結びつくことも多く、長期化しやすいという傾向があります。
 つまり、非常に危険でやっかいな病気なのです。

 無責任な父は、医師の言葉を聞いても、なにも感じていないようでした。
 そして、「アルツハイマーだって。まいったな」などと、のんきにつぶやいているのでした。
 私はあきれかえりました。そして、父に対して、「違うよ。聞いてなかったの? 初老期うつ病の可能性が高いんだよ。自殺するかもしれないんだよ」と強くたしなめました。
 父は、私の言葉を聞いても、全然ピンとこないようでした。

 実家に着くと、親戚や両親の友人たちが、待ちかまえるようにして迎えてくれました。私は母を別室に寝かし、処方された睡眠薬を飲ませてから、親戚や両親の友人たちに話しを始めました。

 そこで、医師の診察の内容を、少し説明を加えて、わかりやすく伝えました。
 しかし、その場にいた人たちの反応は、父と大同小異でした。全然ピンとこない様子なのです。
 「うつ病」という病気の恐ろしさが、まったく理解できないようでした。だから自殺の危険性があると言っても、誰も実感がつかめないのでしょう。
 明日は絶対に母を精神科へ連れて行かなくてはならない、と話したときなど、ただしかめっ面をされただけでした。

 ショックでした。
 もちろん、私のように心理学や精神分析、精神医学の本を大量に読み切ったという人は少ないかもしれません。
 しかし、日本の全人口の5%近くがかかっていると言われる「うつ病」について、これほどまで無知で無関心な人が多いという事実は、受け入れがたいものでした。

 私は、ほかに誰も理解する人がいなくても、たったひとりでも、最悪の事態、つまり母の自殺をくい止めなければならない、そう心に誓いました。
 「自死家族」についてのいろいろ知識もありました。

 不幸にも家族に自殺者が出てしまった人たちを「自死家族(自死遺族という言い方もあります)」と表現します。この人たちの苦痛や苦悩は、想像を絶するものがあります。
 えんえんと自分やほかの家族、自殺者を責め続けることになりがちで、決して心が安まることがありません。その慢性的なストレスのせいで、新たなうつ病患者や自殺者が出ることも多く、さまざまな心身の病気にもかかりやすくなってしまうのです。

 私はまず、24時間監視体制を築くことを考えました。母を決してひとりにせず、必ず誰かが近くにいるようにすることです。
 うつ病患者の自殺は、ひとりでいるときに発生します。それを防ぐためです。
 父に対して、そのことをハッキリと告げました。さらに兄弟に対しても、強く要請しました。そして、連絡を取り合って、スケジュール調整をするようにしました。

 父は、なんでそんな面倒なことをしなけりゃならないんだ、と最初は嫌がっていましたが、必死で説得しました。兄弟たちは、若い分、父よりは柔軟だったのでしょう。比較的簡単に理解してくれ、協力することを約束してくれました。

 来客のうち、親戚の人たちが泊まってくれることになりました。また、兄が駆けつけてくれました。
 私は母の自殺の可能性と注意点について、もう一度しっかりと話しをして、その日は帰宅することにしました。母の様子を見ると、処方してもらった睡眠薬でよく眠っているようでした。

 長い長い一日でした。
 それでも、明日精神科で診察を受け、しかるべき投薬を受けることができれば、たぶん落ち着くだろう、そう思うとかなり気楽でした。
 このときには、その日以上に次の日が苦難に満ちたものになるなどとは、思いもしませんでした・・・






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