How to overcome depression
ball 説得、そしてまた説得(発症4日目)ball



 朝、目覚めると、もう母は起きていました。
 そこで驚いたのは、昨日のように自分の世界に閉じこもるのではなく、話しが通じると言うことです。きっとゆっくりと眠れたのでしょう。
 少しですが、母は食事もしました。父も母の様子に満足げです。
 私は、言葉が通じることのうれしさをかみしめながら、いろいろと話しをしました。

 しかし、話しが通じるとは言っても、ずっと横になったままで、すぐに動けるような状態ではありません。
 しかも、すぐに心配事を話し出し、苦痛に満ちた表情とうつろな目つきになってしまいます。

 昨日のような発作的な症状が現れた後、少し良くなったからといって、油断は禁物です。いつまた自傷行為を繰り返すようになるかわかりませんし、自殺の危険性は、自由に動き回れるほうが、かえって高くなるのです。

 父とは、母の様子を見ながら、母に聞こえないように、いろいろと話し合いました。母の自殺の危険性について、さらに、父の健康維持についてです。
 父の精神的な負担についても考えないと、父も倒れてしまいます。もしそうなったら、もう、どうにも手に負えなくなってしまいます。

 私は、母がこなしていた雑事を代わりに片づけながら、ことあるごとに、母に対して、私の知り合いで、おもしろい医者がいるから一度会いに行こう、そう話しました。
 こんな場合、患者の心の負担にならないよう、努めて明るく平静に話すことが大切です。もちろん、強い精神力が必要となりますし、大変な作業です。

 そのかいあってか、母の方も、少しずつですが、納得してくれつつあるようです。
 油断はできませんが、これならうまくいくかもしれない、そんな希望が、やっと感じられました。

 相変わらず父は、精神科よりも内科的治療の方へ意識が向いていたようです。
 母の体を心配し、便秘もひどい様子なので、かかりつけの医師に診てもらった方がいいと言い出しました。
 最初はあきれましたが、よく考えてみると、かかりつけの医師に精神科への受診を勧めてもらうことができるかもしれません。

 さっそく母に、かかりつけの医院へ行ってみようと誘いました。
 最初母は、「そんなところへ行ってもダメだ」と、もうおなじみになってしまった拒絶をしていましたが、「便秘もひどいようだし、熱もあるんだから、とにかく診てもらった方がいい」と何度も勧めました。
 そして、やっと納得してくれました。

 やはり、精神科とは違うのでしょうか。かかりつけの医師という安心感もあるのでしょうか。母も比較的すんなりと自動車に乗ってくれ、その医師のところまで来ることができました。

 私も以前、診察してもらったことがあるので、まず挨拶を済ませました。そして、母の診察の前に、母のことで大事な相談がある、と伝えました。
 両親を待合室に待たせたまま、私は母の病状について、その医師に説明しました。そして、精神科の受診について説得して欲しいと頼みました。

 その医師も、母の状態について、やはりおかしいと感じていたようでした。
 つい10日ほど前に診察したとき、すぐに感じたのは、「仮面様相貌」(表情が失われ、仮面のような顔つきになってしまうことです)だったと教えてくれました。
 もう10日前には、「抑うつ状態」に入っていたわけです。

 その医師は、私の両親に対し、精神科の受診を勧めてくれました。特に母に対しては、何度も勧めてくれたので、私も「来て良かった」と実感しました。

 その日は、ことあるごとに、説得を続けました。明日の診察予約に備えるためです。
 母の方も、だいぶ乗り気になってくれているようでした。

 しかし、せっかく母が心を開きかけたとき、とんでもない邪魔が入りました。
 一昨日来ていた両親の友人のひとりが、お見舞いにやってきたのです。

 私は、その人に対して、母への対応の仕方を説明しようとしました。しかし、私が母を精神科へ連れていく、と話したことがよほど気に入らなかったらしく、私のことを平然と無視しました。
 さらに、父がその人に対して、母がだいぶよくなった、と喜んで話してしまいました。
 その人は、父の言葉にうなずくと、母のところへ言って、もう大丈夫、気の持ちようですぐに良くなる、頑張って、まだまだ若いんだから、しっかりしてもらわなきゃ困る、などと激励しだしたのです。

 私はあわてました。しかし、その人は私の話を聞こうともしません。
 さらに、精神科なんて行かなくても大丈夫、などと言い始めました。私の今までの苦労が、すべて消え失せていくようでした。
 父も同じでした。その人の勢いに合わせて、おれが治してやる、などとくだらない話しを始めたのです。

 もうこれまでか・・・
 母の様子を見ると、見事にふさぎ込んでしまったようです。
 しかし、こんなことであきらめるわけにはいきません。
 その人を、むりやりほかの部屋へ連れて行って、「母は良くなってません。絶対安静なんです。すぐに帰ってください」と、ほとんど命令調で話さなければなりませんでした。

 その人は、表面的にはしたがってくれましたが、いかにも「不愉快だ」といった態度で帰っていきました。

 その人が帰った後、父に対して、お見舞いに誰かが来ても、母に会わせないように、と頼みました。ところが父は、「勝手に来るものは断れない」と、責任逃れを始めたのです。
 母のことを心配しながら、無責任な父を説得しなければなりませんでした。
 本当にばかばかしく感じる、疲れる作業でした。

 またふさぎ込んでしまった母を、もう一度心を開かせて、説得する必要もありました。
 私は、根気よく、母を説得しました。
 明日の診察だけは、絶対に受けてもらわなくてはなりません。

 私はこの日も、実家に泊まることにしました。妻や子供のことが気がかりでしたが、母に精神科の診察を受けてもらうまでは、決して気を抜くことができません。
 妻に電話をすると、息子がすねているといいます。妻自身も、私が帰らないため、落ち着かないようです。
 放ってある仕事のことも、心配になってきました。

 しかし、父に任せたら、なんだかんだと理由をつけて、精神科へは行かないでしょう。
 私が目を離すと、母に対して大声で怒鳴ったりもしています。
 ほかの兄弟も、緊急事態だといくら言っても、私が何かを指示しない限り、自分からは動こうとしません。まるで人ごとのようです。

 心の病気、「うつ病」に対する無知と無理解というのは、本当にやっかいなものです。
 今日は、母のうつ病との闘いよりも、うつ病に対する無知と無理解との闘いの方がずっと大変なのだと、あらためて痛感させられました。

 しかし、私がここでくじけてしまったら、母の自殺という、悔やんでも悔やみきれない最悪の事態に陥ってしまうかもしれません。
 もしそうなってしまったら、私自身、一生重い十字架を背負って生きていかなくてはならないでしょう。

 ここまでうつ病に対する知識があるのですから、それを生かして母を救うのは、私の使命なのです。私自身のためなのです。
 そう自分に言い聞かせて、最後まで頑張ることにしました。






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