How to overcome depression
ball やっとたどり着いた最初の受診(発症5日目)ball



 朝目覚めると、母の様子を見て、がっくりしました。
 また母が、昏迷状態のようになってしまっていたのです。
 もう、こうなったら、我慢比べです。

 私は母のふとんの前に座り、母に話しかけ続けました。
 そうして、母が答えてくれるのを待ちました。
 しばらくすると、母が、わずかながら反応しました。私の話が通じたのです。
 私は喜び勇んで、今日、知り合いのおもしろい医者に会いに行こう、そう誘いました。

 母の苦痛の表情は、変わりませんでした。それでも、目がしっかりと私を見つめています。これならいける、私はそう感じました。
 そして、私の話しに対して、初めて答えました。「どこへ連れて行くんだ・・・」

 私は必死に説明しました。もちろん、努めて明るく平静に話すことは忘れません。
 そうして、やっと起きあがってくれました。
 父に頼んで母の着替えを手伝ってもらい、外出の準備ができました。

 2日前は、ここから失敗してしまったのです。ここからが大切です。慎重に事を運ばなければなりません。
 私は、自動車まで行くあいだ、雑談を交えながら、ずっと話し続けました。一度玄関で母は部屋へ戻ろうとしました。
 それでも、話し続けて母の気をそらし、手を引いて、なんとか玄関を越えることができました。自動車へも、無事乗ることができました。

 車内で母は、「止めよう、精神科へ行くんだろう」と言いました。
 母がそこまでわかっていることにちょっと驚きましたが、それなら話が早いというものです。
 私は母に、精神科というのは、眠れなかったり、苦しく感じたり、つらかったりするときに行くところで、全然変なところじゃない、と説明しました。さらに、内科へ行くのと同じ気分で行けばいい、とてもたくさんの人が利用しているし、ごくごくふつうのことなんだ、とつけ加えました。

 苦痛に満ちた表情は変わりませんでしたが、母の目がしっかりしているので、今日こそは大丈夫だと感じました。

 そうして、予約時間の5分前には、精神科窓口へ診察券を持っていくことができました。
 しかし、ここで気を抜くことはできません。
 どれだけの時間待たされるか、想像もつきません。特にその日は、精神科外来の待合室が人で埋まっていて、かなり混雑しているようでした。
 もし、待っているあいだに母が受診拒否状態に陥ってしまえば、また一からやり直しです。

 私は、母をはさんで父の反対側に座りました。母は、不安に満ちたいたたまれない表情で、じっと下をうつむいています。
 私は、話しがとぎれないように、いろいろとしゃべり続けました。父も同じように話しています。
 そうして30分くらい経ったときでしょうか。父がたまりかねて席を立ちました。そして、しばらくして戻ってくると、週刊誌を手にしていました。

 父が週刊誌に集中し出すと、話すのは、私ひとりです。さすがに疲れて、話がとぎれると、母の目が、また遠くを見つめるようになっていました。
 そして、やっぱり帰ろう、と言って、席を立ったのです。
 私はここでも、説得し続けることになりました。せっかくここまで来たのに、このチャンスを無駄にするわけにはいきません。

 そうして1時間くらいたった頃でしょうか。やっと診察室に呼ばれました。
 もう、私の精神力も限界でした。しかし、これからの診察をスムーズにしないといけません。なんと言っても、診察が受けられるのです。

 まずは3人一緒の問診です。
 私は、昨日と今日の母の状態について、説明しました。医師は、父に対しても、いろいろと質問しました。

 そして、私と父が出されて、母の診察が始まりました。
 私は、充実感と脱力感のなかにいました。
 もうこれで、母の病気については、大きな心配はないでしょう。後は、入院がいつになるのかとか、入院までのあいだ、どんなことに注意をすればいいのか、その程度のことです。

 しばらくすると、母が出てきました。そして、父が呼ばれました。
 母は、看護婦につき添われて、処置室の方へ連れていかれました。看護婦が点滴をすると教えてくれました。

 私は診察室の前で、脱力感とともに、ぼうっと腰掛けていました。
 父の問診が終わった後、私が呼ばれました。

 診察室に入ると、医師が診断結果を伝えてくれました。
 母の状態は、ひどい拒絶と妄想状態だとのことです。私も医師に、うつ病だとは思うのですが、分裂病の症状がかなり出ていると思います、と答えました。
 そして、ここ1、2年のあいだに起きたストレスに満ちた事件について、説明をしました。
 医師は、その話を聞いて、こういう状態を「妄想反応」(分裂病のように病気そのものが妄想の原因ではなく、強いストレスにさらされ続けたことが原因で起こる妄想のことです)と言う、と教えてくれました。

 さらに医師は、「お父さんはダメだね」と吐き捨てるように言いました。父の無関心さ、無責任さを簡単に見抜いたようです。
 「これからは君を窓口として、一緒に病気と闘っていこう」と、肩をたたいてくれました。
 私自身、そうするしかないと考えていましたので、即座に返事をしました。
 そして、私の目の前で、いろいろなところへ電話をかけ、ベッドの空きを確保するように、指示を出してくれました。
 やっと、うつ病と本格的に闘うための条件がそろったのです。

 医師にお礼を言って診察室を出ると、処置室の母の姿が見えました。眠っているようでした。点滴が、まだ残っているようで、父は、母の近くで待っていました。
 私も母の近くへ行って、点滴が終わるのを待つことにしました。

 処置室には、ほかの患者もいました。
 私が診察室の前で待っているとき、すぐ近くで医師と話していた若くて美しい女性も点滴を受けていました。
 ちょっと耳に入った話しから、彼女が拒食症摂食障害)だとわかりました。
 きっと母親との関係のなかで、解決できない悩みがあるのでしょう。

 中年の男性が、奥さんとおぼしき人につき添われて、ベッドで点滴を受けていました。
 奥さんの心配そうな様子から、パニック障害不安発作だと感じられました。
 現代は、本当に心を病んでいる人が多いのだと、あらためて感じました。

 しばらくすると、眠っていた母が目を覚ましました。
 母の表情は、ひどくにこやかです。そして、楽しかったときの記憶について、べらべらと話し出しました。
 これは明らかに「多幸症」「オイフェリア」とも言います。酩酊状態のときなどに現れる、幸福感に満たされた状態のことです)です。きっと強い向精神薬が投与されたのでしょう。

 父は、そんな母の様子に満足げです。
 私も、長い間ずっと苦痛にさいなまれていた母の、本当に久しぶりの笑顔が、少しうれしく感じられました。しかし同時に、麻薬のような薬物でしか笑顔が見せられない母の境遇が、あわれに思えてなりませんでした。

 点滴が終わった頃、先ほどの医師が私たち3人を診察室へ呼びました。
 そして、「見てご覧なさい。薬を使えば、こんなにすぐに良くなる。入院しなくても、ちゃんと治療はできるんだ」と告げました。
 私は一瞬耳を疑いました。入院はどうなったのでしょう。しかし、その医師は、私に目配せしています。私はすぐに、何かある、言葉通りに受け取ってはならない、と感じました。
 そして、そのまま、にこやかに笑っている母と一緒に、医師にお礼を言って、診察室を出ました。

 薬局で投薬の順番を待ちながら、先ほどの意味について考えました。
 そして、やっと、思いつきました。どうやら、疲れきっていて、頭が回らなかったようです。
 きっと母は、入院を強く拒絶したのでしょう。父も同じような状態だったに違いありません。2人とも入院に同意しなければ、入院治療はできないのです。
 そのことをあの医師は伝えたかったのでしょう。

 入院にこぎ着けるためには、母と医師とのあいだの「ラポール」(患者と治療者の信頼関係のことです)の構築が、絶対必要です。それを作り出すための、ひとつの方便だったのです。
 さすがです。あの医師は、相当な名医のようです。私はあの医師なら、安心して任せられる、と実感しました。

 私は、一度実家に戻り、母が今日もらった薬を飲むのを確認しました。
 そして、父に対して、薬の時間と量を絶対に守らなければいけない、としつこいくらい説明しました。

 精神科の薬、特にうつ病や分裂病の薬は、患者本人が管理できないときもあるため、家族の管理が重要となります。
 飲む時間も量もきちんと守り続けないと、効果が期待できなくなってしまうのです。

 母は、まだご機嫌の様子でしたが、すぐに落ち着いてくるでしょう。
 とにかく、薬を指示どおり飲んでいれば、そんなに危険な状態には陥らないだろう、そんな安心感がありました。

 それでも、24時間監視体制を崩すわけには行きません。
 私は兄弟と連絡を取り合って、必ず誰かが夜だけでも実家に泊まるように、スケジュールを調整し、帰宅することにしました。

 自宅へ着くと、子供がまだ起きていました。久しぶりだったので、しばらく子供たちとのんびり話しました。
 そして、妻に対して、長く留守にしたことのお詫びと、いろいろな報告をしました。
 本当に、長い長い3日間でした。






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