How to overcome depression
ball 2度目の受診と入院日の決定(発症2週目)ball



ball 発症8日目
 この日、父からの電話はありませんでした。
 きっと、母の調子がいいのでしょう。
 夜になって、電話をかけると、父がうれしそうに母の様子を語ってくれました。薬も自分から進んで飲んでくれたそうです。

 母の場合は、どうやら、だいたい1日おきに症状が交代するようでした。
 そんな気分変動もあるのだと、初めて知りました。
 心の病気は、体の病気とは違い、患者ごとに症歴(症状の歴史です)が変わってくるため、パターン化が極度に難しい、ということは知っていました。
 それでも、1日ごとにここまでハッキリと症状が交代するのには、本当に驚きました。

 明日は、2度目の診察日です。もし、気分変動が1日交代で起きたとすると、症状の悪化が心配です。
 それに次の日は、私自身、どうしても抜けられない仕事があって、病院でつき添うことができなかったのです。すべてを父に任せるしかありませんでした。

 そうしたこともあって、母に対し、次の日の診察の大切さを、しっかりと説明しておきました。
 たぶん、今度の診察では、担当となった年輩の医師が、父と母に対して入院についての説得を試みるでしょう。その意味で、とても大切な診察なのです。

ball 発症9日目
 朝、電話で、母の様子を確認することにしました。
 電話に出た父は、母の様子について、ちょっとおびえているような感じがすると話してくれました。それでも、薬はきちんと飲んでくれたようでした。
 母に電話を代わってもらい、今日は診察につき添えない、薬の副作用についてきちんと医師と話しをするように、と伝えました。

 薬の副作用について話しをする、この目的があれば、母も進んで診察を受けてくれると思いついたからです。
 この作戦は、功を奏したようです。母も、薬について医師と話しがしたい、と言っていました。これで受診については、問題がないでしょう。
 後は、父と担当医に任すしかありません。

 夜になって、やっと時間が取れたので、実家へ電話をかけました。
 やはり担当医から、入院についての説明があったようです。入院予定日は、1週間後と決まったようです。
 父は、入院しなければダメらしい、と半分ヤケになったような口調でした。担当医からハッキリ告げられたので、ちょっとショックのようでした。
 母の方も、入院には、あまり乗り気ではないようです。

 私は、内心ホッとしながらも、両親をきちんと説得しなければ、と強く感じました。
 せっかく担当医から入院の話が出て、父も母もその必要性について、真剣に考え始めたのですから、放っておくわけにはいきません。
 ちょうど母のやり残した雑事もあったので、明日はそちらへ行くから、と伝えておきました。

ball 発症10日目
 朝、実家に着くと、私はさっそく、両親に対して入院の必要性を話しました。

 母に対しては、家事や親戚づきあい、近所づきあい、友人のことなど、いろいろな心配事があって、眠れなくなったり、苦しくなったりする、このままではいつまでたっても、スッキリした気分になれない、というようなことを話しました。
 父に対しては、母の病状は、知っての通りかなり重いものだ、いつまた恐ろしい症状が現れるかわからない、ずっと目を離さないでいることは不可能だ、といった説明をしました。

 さらに、いろいろな検査を受けてみないと、どんな内科的な病気が潜んでいるかわからない、とにかく入院して、全部の検査をすることが大切だ、と両親に向かって説明しました。

 精神的な症状が出る内科的な病気というのも、たくさんあります
 特に内分泌系の疾患で、体内のホルモンバランスが崩れたとき、精神的な症状が現れやすくなります。脳内ホルモンや神経ホルモンと内分泌系のホルモンは、同じものがたくさんあるからです
 まれには、インフルエンザなどの感染症でも、精神症状が現れることがあります。

 母の場合、うつ病は間違いないのですが、内科的な病気が発症にからんでいる可能性があります。もしそうだったとしたら、内科的な治療によって、症状を軽減できる可能性が高くなります。
 やはり、専門医の手にゆだねることが、一番大切なのです。

 内科的な病気の可能性という話しが、両親の気持ちをほぐしてくれたのでしょうか。
 母は、それなら仕方ないと言ってくれました。
 父も、こうなったら入院して徹底的に検査してもらった方がいい、と母に話してくれました。

 雑事を片づけていると、親戚のひとりが、お見舞いにやってきました。
 母ともっとも仲がよく、つきあいも長い人です。落ち着いた性格で、私自身もずっと信頼している人でした。
 その人は、寝そべっている母の枕元で、母といろいろな話しをしていました。
 落ち着いた話し方だったので、私自身も、安心していたのですが、突然、泣き出してしまいました。

 きっと、いろいろな話しをしても、いつもの明るい反応ができない母の様子を見て、悲しくなってしまったのでしょう。
 このときには、私自身、どうしていいかわからなくなりました。その親戚の人の気持ちが、痛いほどよくわかったからです。

 この人は、母のことを大切に思い、心から心配し、悲しんでいる、そう考えると、以前お見舞いに来た傲慢な母の友人のように、追い返すようなことはできません。
 しかし、うつ病の患者にとって、自分のせいで相手が悲しむというのは、大きな心的負担となりかねないのです。
 やはり、うつ病に対する無知と無理解が一番大きな問題なのだと、あらためて実感させられました。

 私は仕方なく、その親戚の人に対し、母が疲れますので、と話しかけました。
 その人は、母の前ですぐに笑顔を作ってくれ、そのまま帰ってくれました。

 うつ病患者は、まわりの人たちの無知と無理解のなかで、どんどん悪化してしまうのでしょう。
 うつ病と、そのもっとも重い症状である「自殺企図」(実際に自殺行動を起こすことです)は、長引く不況のせいもあって、どんどん増えてきています。
 それでも、うつ病についての正しい知識を持つ人が増えれば、自殺者は確実に減っていくはずです。

 家族などの身の回りの人がうつ病になった場合、またはうつ病らしいと感じたとき、どんなことを気をつければいいのか、どんな対応をしていけばいいのか、といった基礎的な知識は、そんなに難しいものではありません。
 誰でも簡単に理解できるような優れた解説書も、たくさん出版されています。インターネットでちょっと調べても、いくらでも見つけ出せます。
 ところが、大多数の人は、身近な人が心の病気になったとしても、まったく理解しようとはしないのです。

 入院予定日は、1週間後です。
 そのあいだ、今日のようなお見舞いは、極力避けなければなりません。
 そんなことを父に話し、その日は、家路につきました。

ball 発症11〜13日目
 その後3日間、母の病状は、1日ごとに交代を繰り返しました。
 母は、気分がいい日は、少しずつ入院の準備をしていました。もちろん、気分が優れないときには、ずっと寝ていましたが。

 2回ほど、母が薬を拒否しました。私が実家にいたときに1度、仕事中に1度です。
 実家にいたときには、もちろん直接説得できたのですが、電話口での説得は、ちょっと大変でした。それでも、父の協力もあって、なんとか飲んでもらうことができました。

 3回目の診察もあったのですが、仕事の都合もあり、父にすべてを任せました。
 このころには、父の精神科に対する偏見や入院に対する抵抗もほとんど感じられなくなっていました。その意味で、かなり安心でした。

 しかし、まだ入院したわけではありません。油断は禁物です。
 私は、兄弟や父と連絡を取り合って、母の24時間監視体制を続けることにしました。

ball 発症14日目
 この日の夜遅く、母の担当医から直接私のところへ電話がありました。
 ちょっとびっくりしたのですが、明日、入院についての説明をしたいので、精神科病棟の方へ必ず来て欲しいとのことでした。
 2回目と3回目の診察のとき、私がつき添わなかったので、話したいことが話せなかったらしいのです。私は、同席できなかったことを謝り、わざわざ直接電話をかけてきてくれた担当医に感謝しました。

 「医は仁術」という言葉もありますが、この担当医は、親切でとても頼りになると感じました。患者の病気と真剣に闘おうとする気持ちが、ありありと伝わってくるのです。
 私は、この医師なら安心して任せられる、と感じました。
 このような、患者の家族と医師との信頼関係も、うつ病という、とてもやっかいな病気との闘いには、欠かせないものなのでしょう。






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