How to overcome depression
ball 入院と精神科病棟、検査漬け(発症3週目)ball



ball 発症15日目
 この日の午後、入院の説明を受けるため、精神科病棟へ向かいました。
 病院内の案内版にしたがって、精神科病棟に着いたのですが、ナース・ステーションも受けつけも見あたりません。
 矢印の方向のとおりに歩いていくと、何も書いていない金属製のドアの前で、行き止まりになってしまいます。

 私はちょっとあわてました。迷ってしまったのでしょうか。
 少し考えを巡らして、ハッと思いつきました。そうです。きっと精神科病棟なので、ふつうの病棟とは、造りが違っているのでしょう。

 思った通り、その金属ドアを開けると、そのなかにナース・ステーションがあり、受付がありました。
 きっと、ほかの病棟の患者や見舞客が迷い込まないように、ガードされているのでしょう。なかには、精神科病棟の入院患者に、勝手にお見舞いに来てしまう人もいるのかもしれません。もちろん、患者の負担となるため、禁止されています。

 受付のところにも、「これより先は、担当医の許可がないと入れません」と、しっかりと注意書きがしてあります。
 精神科の入院患者を守るためには、このような病棟の造りやさまざまな配慮が必要なのでしょう。やはり、ふつうの病棟とは、違うのです。

 受付で用件を伝えると、面会室と書いてある部屋へ通されました。そのドアには、「面会時は必ずこの部屋をお使いください」と書いてありました。
 すぐに、両親がやってきました。母は、かなり不安げでした。やはり入院ともなると、いろいろと心配があるのでしょう。

 母は、出産以外では、入院をしたことがありません。もう、30年以上ものあいだ、入院したことがないのです。
 私の場合、10年ほど前に、この総合病院の耳鼻科に2回入院しています。父も、この病院ではありませんが、内科と整形外科に何度か入院しています。
 母は、私や父が入院したときの看病は何度も経験しています。しかし、自分自身が入院となると、全然違うのかもしれません。

 私は母に、「入院って、そんなに大変なものじゃない、今まで大きな病気もせずにずっと頑張ってきたのだから、今はゆっくり休むときなんだ」と話しました。
 そして父に、「今度は恩返しで看病する番だね」と話しました。

 しばらく待つと、婦長と若い医師が入ってきました。
 そして、一般的な入院について、説明が始まりました。

 さらに今回の場合は、精神科病棟としての注意事項が追加されます。
 まずは、面会についてです。家族以外の面会は、もちろん禁止です。家族であっても、面会室を利用することが義務づけられます。
 また、病室内へは、家族であっても基本的に立ち入りを禁止されます。洗濯物などの荷物の受け渡しのときは、看護婦に渡すか、看護婦に同行してもらうことが必要となります。
 さらに、子供の面会も禁止されます。これは、病棟内が騒がしくなることを防ぐためだけではなく、子供自身の「心的外傷体験」(トラウマ)を防ぐためです。

 親や祖父母が、うつ状態などで苦しんでいても、子供に理解することはできません。子供は、いつもどおりの親や祖父母の対応を期待します。
 しかし、患者にそのような対応ができるはずはありません。ほとんど無視したような態度となってしまいます。
 子供にとっては、大ショックです。そのようなことが起こると、子供自身の人格の発達にも悪影響を及ぼしかねません。

 一通りの説明の後は、入院者カード(血液型から既往歴、アレルギー、食べ物の好き嫌いなどを書き込む書類です)の書き込みなど、さまざまな書類の作成となります。
 父は、面倒な書類への書き込みは、すべて母任せでした。その母が、手が震えて自分では書けないと言うので、私がすべての書類を書くことになりました。

 何枚もある書類を書き込み終わった頃、やっと担当医が現れました。
 担当医は、私たちに向かって、「ベッドが取れた。明日にでも入院できる」とうれしそうに話してくれました。
 きっと、この親切な担当医は、昨日の夜までに、ある程度の準備をしておいてくれたのでしょう。だから、わざわざ私のところへ、必ず来るように、と電話をくれたのです。

 私は、担当医に感謝しました。やっと母の入院が実現するのです。
 思えば、長い長い2週間でした。母がおかしなことを言いだしてから、初老期うつ病受診拒否自殺念慮自傷行為服薬拒否など、本当に緊張続きの毎日でした。
 そうしてやっと明日、精神科への入院ができるのです。
 もちろん、入院ができるといっても、絶対安心というわけではありません。
 それでも、うつ病に対する無知と無理解がはびこるひどい環境から比べると、天と地ほどの差があります。

 私はこの日、実家に泊まることにしました。大切な最後の詰めです。
 やっとここまでたどり着いたのですから、明日の入院手続きが完了し、母が病室に入るまでしっかりと見届けよう、そう心に誓いました。

ball 発症16日目
 朝早く、父と母、私の3人で、病院へ向かいました。
 入院受付窓口でちょっと煩雑な手続きを済ませると、3人で精神科病棟へ行きました。受付で、入院受付が完了した旨を伝えると、婦長がやってきて、またいくつかの書類を渡されました。病棟看護婦の看護資料となるものだと説明されました。かなり細かい内容の、生活状態調査票でした。

 そんな書類を作っていると、担当医が何人かの医師を連れてやってきました。
 内科医と呼吸器科医、脳外科医だと紹介されました。そして、それぞれの医師から、今後の検査について、一通りの説明がありました。

 母の場合、うつ病の症状があるといっても、脳梗塞などの脳血管障害アルツハイマーなどの脳変性疾患があるかもしれません。また、ずっと微熱が続いているので、内科や呼吸器科の病気があるのかもしれません。内分泌系の疾患も考えられます。
 そのような可能性について、一通り検査をしてハッキリさせないと、治療方針が立てられない、とのことでした。

 さっそく明日から検査が始まるとのことで、それも、かなりの過密スケジュールのようでした。
 さらに母の場合、精神状態から見ても、しばらくは家族の誰かが検査につき添っていて欲しいと頼まれました。

 担当医以外の医師が退席した後、担当医から、精神科としての治療方針を聞きました。
 その話のなかで、担当医は私に、「どんな治療をすると思う?」と聞いてきました。
 私はすぐに、「睡眠薬などで、まずはたっぷりと睡眠を取らせます。そして後は、精神療法を中心に、薬物療法を続けるのでしょう」と答えました。

 担当医は笑いながら「そんな古い治療法は、ここではやらないよ。まあ見てみなさい」と言うと、すぐに病棟内を案内してくれました。
 最近全面改修されたばかりの病棟内は、とても清潔でした。さらに、洗練されたインテリア、明るく開放的な雰囲気をかもし出す巨大な窓等、とても病院とは思えないほど快適そうな空間でした。

 専用の食堂やレクリエーション・ルーム、カウンセリング・ルーム、いくつかの病室へも案内してくれました。
 どの患者も、暗く沈んだ特有の雰囲気を持っています。
 レクリエーション・ルームでテレビを見ていた比較的症状の軽そうな患者以外は、ベッドで寝たきりという雰囲気でした。
 見舞客も来ないので、病室内では、ほとんど会話もないようでした。

 担当医は一緒に病棟内を歩きながら、いろいろな説明をしてくれました。
 その話のなかで、規則正しい集団生活のなかで自分自身を取り戻していく、社会性訓練を重要視した治療方針を取っている、ということがわかりました。
 もちろん、規則正しい集団生活を、いきなり患者に強制するわけではありません。たとえば、食事を一緒にとることができなければ、ひとりで食事を取ることもできます。
 しかし、そんな患者に対しても、少しずつ集団生活になじんでいくように、医師や看護婦が心的負担とならない程度の指示を続けるということでした。

 その治療方針のもと、薬物療法カウンセリングなどの精神療法が続けられます。
 私は、担当医の話を聞きながら、これが精神医療の最前線なのか、と何度も感心させられました。
 私の母は、うつ病の治療という面では、とても幸運だったようです。

 さらに担当医は、「閉鎖病棟」(鍵のかかっている病棟です)についても、窓越しですが案内してくれました。こちらは、重度の精神分裂病や躁うつ病などの患者が入院している病棟です。
 私の母の場合は、「開放病棟」(鍵のかかっていない病棟です)での治療で大丈夫だろうということでした。

 担当医の説明が終わると、看護婦が病室に案内してくれました。そこは7人の部屋で、まわりの患者たちの様子を見る限り、比較的症状の軽い人が多いようでした。
 看護婦と一緒にベッドの支度や身の回りの荷物、食器などを整え終わると、私と父は、病室を後にしました。
 後は、医師と看護婦に任せるしかありません。

 その後ナース・ステーションで、検査の予定表を渡されました。
 脳外科でのCT検査、脳波検査、内科でのレントゲン検査、心電図、超音波検査などなど、私の知っているすべての検査が網羅されているようでした。

 父と一緒に実家へ戻る途中、父が「うつ病」についていろいろと知りたいので、ちょうどいい本がないか、聞いてきました。
 父も、本格的にうつ病との闘いを始める決心を固めたようでした。そんな父の態度が、とてもうれしく感じました。
 心の病気との闘いは、なんといっても、病気の理解がまず第一です。
 しかし、私の持っている心理学や精神医学の本は、難解な専門書ばかりでした。

 私は、さっそく大手の書店に父と出かけ、読みやすくて内容の充実している本を探しました。そして、適当な書物を見つけ(うつ病に関する本の多さにちょっと驚きました。やはりうつ病に苦しむ人が増えているということなのでしょう)、父に読んでもらうことにしました。
 私の父の場合、読書好きなので、こんなとき、とても安心です。もう、母に対して、病気を悪化させるような言動は起こさないでしょう。

 余談ですが、パソコンにしても、いろいろな病気にしても、そのほかのどんなものにしても、きちんと理解できるかどうかは、「読書」ができるかどうかにかかっていると思います。
 読書ができるというのは、とても大切なことなのです。

 この日、父と一緒に実家に帰ると、明日からの検査のつき添いについて、兄弟とも電話を取り合って、スケジューリングをしました。
 さらに今度は、母が入院してひとりきりになってしまった父のために、兄弟たちと協力して、なるべく実家に誰かが泊まるように話し合いました。
 まだまだ、闘病は続くのです。

ball 発症17〜21日目
 この期間、母の検査が集中的に行われました。
 私も2日、検査につき添いました。
 母は、検査漬けのせいか、かなり疲れているようでした。父も、心配で落ち着いていられない、と検査の多さに不満のようでした。
 それでも、検査がひとつずつ済んでいくことで、少しずつ安心感のようなものも感じられました。
 しかし、このときには、次の週、恐ろしい病気の宣告が待っているなどとは、思いもしませんでした。






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