How to overcome depression
ball 12.本当に久しぶりの笑顔(発症7〜8週目)ball



ball 発症43日目
 この日の夜、父からうれしそうな電話がありました。母の様子が、かなりいいということでした。
 やっと母も、少しずつ良くなってきたのでしょうか。
 ちょうど税金関係の書類のことで、母に聞かなければならないことがありました。私は父に、明日また病院で待ち合わせしよう、と伝え、電話を切りました。

 「うつ病性昏迷」の大騒ぎのときから、今日で12日になります。母は、それからずっと、ほとんどベッドで過ごすような生活をしていました。
 もちろん、やっと母の症状にあった薬の組み合わせ見つかった、ということも考えられます。しかし、やはり、ゆっくりと休んだ効果というものも、大きな要因だと考えられます。

 このような本格的な療養というのは、病院でないと難しいものです。
 入院治療の良さが、やっと発揮されてきたということなのでしょう。

ball 発症44日目
 約束の時間に病棟に着くと、父が待っていました。私は、病室へ入ることを看護婦に伝えようと、ナース・ステーションへ行こうとしました。
 そのとき、父が私を止め、「もうそっちへ行かなくても大丈夫だぞ」と言って、面会室の方へ歩き始めたのです。

 面会室は、本来は患者との面会のときに使うものです。しかし、今までは、担当医の説明を聞くためにしか使っていませんでした。
 母の場合、症状が強かったので、面会室まで来られなかったのです。

 私は、父と一緒に面会室で、座ったまま待ちました。すると、すぐに母がやってきました。
 まず驚いたのは、母の表情でした。まだぎこちなさはありますが、ほぼ元気なときの母の表情でした。
 さらに、歩き方や話し方まで、発症前とほとんど変わらなかったのです。

 しばらく呆然と母を見つめている私に向かって、父が得意そうに話しました。
「どうだ、元気になっただろう」
 まったく、その通りでした。母も、にこやかに笑いかけてきます。しばらくは、違和感を感じてしまったほどでした。

 母にいくつか書類作成上の質問をすると、まったく発症前と変わらないように、ていねいに答えてくれました。
 もう、すぐにでも退院できるのではないか、そんなふうに感じたくらいでした。
 その後、しばらく雑談をして、面会室をあとにしました。

 もちろん、「うつ病」特有の「気分変動」は、またやってくるでしょう。この状態が長く続くと考えない方が、後々ショックが少ないはずです。
 それでも、今までの苦労が報われた、そんな感慨にふけってしまうような、とてもすばらしい面会でした。

ball 発症45〜47日目
 この3日間、母の様子は、とても安定しているようでした。父からの報告は、とてもいい感じだ、と言うことばかりでした。
 どうやら「回復期」に入った、と考えられる段階まで来たようでした。
 あとは、「回復期」が安定してくるのを、待てばいいのでしょう。

 「回復期」には、自殺の危険性が高くなります
 しかし、精神科病棟に入院しているあいだは、医師や看護婦が充分に気を配ってくれるはずです。その意味でも、入院治療は、優れていると言えるでしょう。

ball 発症48〜49日目
 この日は、休みということもあって、妻と子供と一緒に、実家に来ていました。
 母の様子がかなり良くなってきたので、そろそろ退院の準備のために、妻と掃除をしようと考えたからでした。

 私の兄弟たちも、ちょくちょく来ていました。しかし、兄弟たちは、母に対する「甘え」が強く、いつも母まかせでした。そんな兄弟たちなので、私が頼んでも、掃除をしていくことはありませんでした。
 家事のすべてを母まかせだった父も、きちんとした掃除まではできませんでした。

 「うつ病」は、責任を負いすぎたとき、または、負わされすぎたとき、発症すると考えることもできます。

 母の場合は、私の兄弟たちが精神的な自立ができず、いつまでも母に甘えすぎていたことが大きな原因でした。
 さらには、お人好しで、他人に対していつもいい顔をしようとする見栄っ張りの父のせいで、苦労を背負い込まされていたということもありました。
 つまり、家族内の問題やストレスを、いつでもひとりで抱え込んでいたわけです。

 私は、そんな母に対して、ことあるごとに兄弟たちをこれ以上甘やかさないように忠告してきました。
 私自身も、母から頼まれて、兄弟たちが作り出した問題を、何度も解決してきました。
 そのたびごとに、これ以上母に面倒かけるな、と兄弟たちには、厳しく注意してきました。しかし残念なことに、私の兄弟たちが反省して生活態度を改める、とまではいきませんでした。

 父に対しても、もっと母のことを考えて欲しい、他人にいい顔をするために、くだらない見栄を張らないで欲しい、と言い続けてきました。
 しかし、兄弟たちと同じで、いつでもぬらりくらりと、無責任な態度を崩しませんでした。

 母は、そんな境遇のなかで、疲れきって寝込むことも、何度もありました。
 それなのに、甘えてくる子供たち(私の兄弟たち)に対して、決して冷たい態度を見せることはありませんでした。

 こんな境遇のなかで、ずっとがんばり続けていれば、いつかは身も心も疲れきってしまうでしょう。母は、そうして「うつ病」になってしまったのだと考えられます。

 実家は、かなり雑然とした状態でした。父は、来客を通すための居間や客間は掃除していたのですが、ほかの部屋は、まるで物置のようでした。
 私と妻は、居間と客間以外の部屋を重点的に掃除しました。母が帰ってきたとき、ゆっくりと休む場所が必要だと感じたからです。

 この日の夜、妻と子供たちと一緒に、実家に泊まることにしました。
 とても1日では終わりそうもなかったので、次の日も掃除を続ける必要があると判断したからです。

 次の日は、朝から掃除の続きでした。
 面倒な作業でしたが、家の中がきれいに片づくと、なんとなく落ち着いた気分になってくるものです。
 母の退院はいつになるのか、いまだ見当もつきません。担当医からも、特にそのような話は出ていません。それでも、現在の母の様子を見るかぎりでは、準備をしておいた方がいいように感じました。

ball 発症50〜52日目
 先週とはうって変わって、この3日間、母はまた苦痛に満ちた表情に戻ってしまいました。やはり、そんなに簡単には良くはならないのでしょう。担当医も、いろいろな薬を試しているようなので、そんな影響もあるのかもしれません。
 ただ、苦痛に満ちた表情をしているとは言っても、発症後間もないときと比べると、少し軽くなっているようでした。お気に入りの看護婦とは、少ないながらも会話をしているようでしたし、ほかの患者たちと一緒に食堂で食事をとることもできました。

 うつ病からの回復というのは、きっとこんなふうに進んでいくものなのでしょう。気分の変動があっても、落ち込んだときの気分のレベルが少しずつあがっていく、そんな印象を受けました。
 本当に少しずつですが、回復に向かっている、という感じは受けました。

 父は、そんな母を見て、かなりショックを受けているようでした。「いったいいつになったら良くなるんだ」と、うんざりしたように、私に問いかけることもありました。母がまた発症当時に戻ってしまうのではないか、とかなり心配していました。
 私は、うつ病の治療というのは、そのような経過をたどるものだ、と何度も説明しなければなりませんでした。

ball 発症53〜56日目
 この4日間、母の様子がまた上向いてきました。表情も動きも、とても軽く感じました。心配していた父も、やっと安心できたようです。
 もう今度こそ、いい状態が続いて欲しいものですが、やはり、あせらないことが大切なのでしょう。担当医や看護婦に、思い切って退院の時期について聞いてみたのですが、まだまだ様子を見る必要がある、とのことでした。

 うつ病患者の家族は、どうしても治療の経過について、イライラすることが多くなります。しかし、こればかりは、どうにもなりません。
 良くなっているように見えても、すぐに症状がぶり返します。のんびりと気長に見守る、これが一番大切なことなのです。

 あの恐ろしい「自傷行為」「うつ病性昏迷」だけは、繰り返してもらいたくありません。そのためには、母にとって、まだまだのんびりとした休養が必要なのでしょう。
 発症して2ヶ月、入院してからは、約1ヶ月半が経過しました。発症当初のことを思えば、ずいぶんと安心できる状態にまで回復したものです。あせることはない、と改めて自分自身に言い聞かせ、父にもそう話しました。






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