How to overcome depression
ball 14.不安なままの退院「自宅療養」(発症4ヶ月目)ball



ball 発症13週目
 この週、母の様子は、とても安定していました。
 病棟内でも、日常生活に近い状態で入院生活を送っているようでした。自分の身の回りのさまざまなことを、自分の力ですることができるようになった、そんな印象が強くなってきました。
 話をしていても、きちんとした答えが返ってきますし、とてもいい様子でした。
 こんな母の様子に、父も満足です。そして、この週の半ばになって、看護婦から、退院についての話を聞かされたのでした。今週末には、担当医から、正式に話があるとのことでした。

 週末の担当医の話では、もう危険な行動はないでしょう、患者の状態も安定しているので、そろそろ入院治療の段階は終わりです、あとは自宅での療養になります、とのことでした。
 あまりにもいろいろなことが続いた3ヶ月でしたが、やっと退院の言葉が聞けるまでになったのです。

 あらためて母の様子を見ると、発症前のような元気はありませんが、急性期の恐ろしい自傷行為やうつ病性昏迷といった極限の状態からすれば、本当に良くなったと感じざるを得ません。
 発症してから3ヶ月ちょっと、入院してからも、そろそろ3ヶ月になろうとしています。それでも、強い症状が出たうつ病だということを考えれば、かなり短期間のうちによくなったと言えるのかもしれません。

ball 発症14週目
 この週になって、母にも退院後の生活についての指導が始まりました。そして、退院日についても、決定がありました。来週の水曜日と言うことです。それは、ちょうど入院してから3ヶ月目の日でした。

 母の様子を見ると、退院は自分自身でも認めているけれど、どこかしら不安が残る、そんな感じでした。苦痛の表情はほとんどなくなりましたが、以前の機敏なところは、まだまだ戻ってきません。
 担当医は、そんな母の様子を見ながら、これだけよくなったんだから、もう心配はいらない、と励ましてくれます。確かに、その通りなのですが、また強い症状がでたら、と考えると、やはり不安はぬぐえませんでした。

 父は、母の退院が決まったことに、とても喜んでいました。そして、退院後の生活について、いろいろなことを考えているようでした。父は自分の手で母を治そう、そんなふうに強く決心しているようでした。
 このように、家族、特にもっとも近い関係の家族が、正面から病気との対決を決心する、ということは、患者にとって、とても心強いことです。
 母は、重いうつ病にかかってしまいましたが、一緒に真剣になって闘病してくれる家族がいる、という意味では、幸せな境遇だと言えるでしょう。

 さて、うつ病患者の退院には、ほかの病気とは違った配慮が必要になります。
 まず、退院が決まっても、親戚や知人、友人にすぐには知らせない、ということがあります。精神科病棟では、たいていは家族以外の面会を禁止しています。つまり、家族以外は、患者とずっと会えなかったわけです。
 こんな状態で、親戚や知人、友人たちに退院の連絡をすれば、すぐに会いたいと思う人が出てくるでしょう。へたをすると、みんなで誘い合って、いっぺんにたくさんの人が来てしまうかもしれません。

 うつ病患者は、もっとも安全で安静が保たれている精神科病棟から、日常の騒がしい世界へ戻ってくるわけです。しばらくのあいだは、そうした環境の変化による精神的ストレスにさらされてしまうでしょう。
 こんなときに、大勢の人たちがやってきて騒いだりすれば、そのストレスは、何倍にもなってしまいます。うつ病患者にとって、とても危険な状況になるわけですね。

 うつ病について、ある程度の知識を持っている人なら、こんなことをするはずはありません。しかし、ほとんどの人は、私の親戚や母の知人、友人たちと同様、うつ病に関する知識を持たない人ばかりでしょう。
 このような人たちからうつ病患者を守るためには、患者が落ち着くまでのあいだ、退院を知らせない方がいいわけです。

 また、同様のことですが、快気祝いは禁止です。
 うつ病患者にとって、快気祝いは、非常に大きなストレスとなります。それまでの療養生活から、いきなり実生活の場に引き戻され、発症前の責任ある生活を要求されるわけですから、精神的に追い込まれてしまうのです。
 たとえば、快気祝いの席では、「もうそれだけ元気になれば大丈夫だ」、「以前のように頑張って」、などという励ましの言葉が、どうしても出てきてしまうでしょう。これが危険なのです。

 実際にあった事例をお話ししましょう。
 入院を経験したあるうつ病患者の話です。
 退院後すぐに、親戚や友人たちが集まって、快気祝いの宴会をしました。元気になった患者の姿を見て、集まった人たちは、大満足でした。誰もが喜びに包まれたまま、宴会は終わりました。
 そして、その日の夜、せっかくよくなって退院したそのうつ病患者は、自室に戻ったあと、ひっそりと首を吊ったのでした。

 このような悲劇は、うつ病という病気を知っていれば、簡単に想像がつくことです。しかし、残念ながら、この事例のうつ病患者の親戚や友人たちは、誰も知らなかったということなのでしょう。

 父も、うれしさのあまり、親戚や知人、友人たちに、退院が決まったことを伝えよう考えたようでした。でも、その前に私にどうしようか相談してくれたので、面倒なことは避けられました。

ball 発症15週目
 退院の日の直前となりました。
 父は、母が帰ってきたらいつでも休めるようにと、部屋をきれいに掃除し、布団を干し、準備を整えていました。やはり、相当にうれしいようです。いろいろな動作が、とても生き生きとしていました。
 担当医にも呼ばれて、退院後の生活の注意を、一通り受けたようでした。その内容は、とにかく休ませること、本人の意思を尊重すること、無理をさせないこと、薬の量と時間を守ること、とのことでした。

 退院の当日、私は仕事で行けなかったのですが、父と私の兄弟が、すべての手続きを済ませました。母は、入院してからちょっど3ヶ月目の日、わが家に帰ってきたのでした。
 この日の夜、電話で様子を聞くと、母は、帰ってきて、しばらく休んだあと、家の中をゆっくりと歩き回っていたということでした。きっと、少しずつ、わが家の様子を確かめていたのでしょう。
 実際に話をしてみても、元気、とまでは言えませんが、かなりいい様子です。

 母は、この週、少し家の中を歩いてはしばらく休む、ということを繰り返していました。食事は、父がいろいろな料理を作って、きちんと食べさせていました。
 母が元気なころは、あまり作ることはありませんでしたが、父は若いときから料理は得意な方でした。このへんは安心できるところです。
 心配していた退院後の自宅療養は、比較的スムーズに始まったようでした。

ball 発症16週目
 母は、先週と同じように、家の中を少し歩いては、しばらく休む、ということを繰り返していました。特に焦慮にとらわれているようではありませんでしたが、病院にいるときと比べて、少し心配げに見えました。

 退院後、数日経ったときでした。母は突然、いろいろな心配事を話し始めました。
 まずは父に対して、病院の支払いはどうなったの?、税金は大丈夫?、先生と看護婦さんにちゃんとお礼をした?、などなど、とめどなく続いたそうです。
 父は、最初のうちは、ひとつずつ答えていたのですが、そのうち疲れてきてしまって、もう心配しないでゆっくり寝てろ、と強くたしなめたようでした。

 私に対しても、母は心配事を話し続けました。忍耐強く、ひとつずつ答えました。一応は納得してくれましたが、やはり心配事から抜けられないようでした。
 表情も、病院にいたときよりも堅い感じになっていました。
 私はあせりました。もしかしたら、入院前のようになってしまうのでは? そんな不安がよぎりました。退院は早すぎた? そんなことまで考えました。

 しかし、入院前とは違って、苦痛に満ちた表情はありません。心配ごとがある、という程度で、ほかの話をすれば、きちんと聞いてくれます。冗談を言えば、ぎこちなさはあっても、笑ってくれます。
 うつ病というのは、けっこう長くかかる病気です。短期間で治ってしまう軽症うつ病以外は、最低でも半年くらいは、辛抱しなければなりません。

 退院後間もないこともあって、まだ環境の変化についていけない、ということもあるのでしょう。
 ここはゆったりとした気持ちで、気長に接していく必要がある、そう自分自身に言い聞かせました。父にも、きっとこんな風なことがしばらく続いて、少しずつ良くなっていくんだろう、そう伝えました。






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